学ランにセーラ服だった中学時代。
とある掲示板で、哲学書の文章が難解であることについて。
「人間だけが死に直面して立つという際立った特徴を「持っている」
が、それは、人間が〈有〉の中に内的に緊迫して立っているからである。
つまり、死は〈有〉の最高の証書〔である〕。」
↑これを私なりというか、武者小路実篤風に翻訳した記録↓
「神に見放された者は生きるに値する。
浸透しつつある死の内的に、
自らの偽らなさや尊厳を見出し立ちはだかろうとする。
いわば本能と別した務めを行うからである。
潜在意識下においてあった至福へと、
欠落を把握し合致させる働きをるからである。
しかし、人間がこの真理の内へと突き進むことはいかに稀であることか。
人間は満足を得ようとして不思議にも人間の弱点の利用ばかりを考え出す。
神にみはなされることは自ら相当で生きることの祝福であり、
大事なことを贈られ知らされ、それの驚きである。」
「人間だけが死に直面して立つという際立った特徴を「持っている」
が、それは、人間が〈有〉の中に内的に緊迫して立っているからである。
つまり、死は〈有〉の最高の証書〔である〕。」
↑これを私なりというか、武者小路実篤風に翻訳した記録↓
「神に見放された者は生きるに値する。
浸透しつつある死の内的に、
自らの偽らなさや尊厳を見出し立ちはだかろうとする。
いわば本能と別した務めを行うからである。
潜在意識下においてあった至福へと、
欠落を把握し合致させる働きをるからである。
しかし、人間がこの真理の内へと突き進むことはいかに稀であることか。
人間は満足を得ようとして不思議にも人間の弱点の利用ばかりを考え出す。
神にみはなされることは自ら相当で生きることの祝福であり、
大事なことを贈られ知らされ、それの驚きである。」