言葉には魔力があって、迷信によって力を獲得することがある。
モノを模写しようとする者の言葉の響きは
効果を求めて集めて、対象を適切に表現する。
けれど人の注意を引く言葉と、
わざわざ注意を引く為に造られた言葉とを区別しなければなならい。
無邪気な筆者が誰でも使う言葉の集まりによって
印刷した味気ない単語での力が効果を造ることもある。
体験したことや歴史や文学作品等の単語に強く結びついた思い出を持つ人と、
そうでない人では響きが違ってくるからだ。
美味しい日本食に感極まって泣きそうになったり放心状態になったり
微笑ましいけど、こちらまでもらい泣きしそう~。
散文の方法は分析の名で呼ばれ、
まだ若く十分に純化されておらず数から解放されている。
詩は散文に足りない時間の法則に支配されていて
観念の精密な検討との間に思いがけぬ一致が成り立つ時
喜びが得られる。
この原理は満たされるほど隠されている。
表現力とかリアクションも感極まると言葉にならなくなるものですね。
ところで宗教って何だろう?
初来日の観光客が日本食に驚き⁉︎こんなに凄いと予想してなかった
海外からの観光客が増えたのを実感しつつ、
赤信号では渡らず静かに佇んでいてくれたり、
関西じゃ店員さんが「ありがとうございます」というと
お客さんも「ありがとう」ぐらいは言いますが
外人さんが満面の笑みで「ありがとごじゃいまつ」
とまで返してくれてハッピーになる。
宗教の仕組み?信心によって不平等を克服させる媚薬のよう。
不安な弱者が強者に怯えたり、何らかの不満を抱かせないようにする。
日本の宗教と文化の具有性は別個に切り離して考えられない。
八百万の神、存在の一つ一つが全体へと向かう。
2024-11-03 21:01:36に追記