それは外面の官能的な魅力と
内面の無整理と無知
認識想像力の不足が相まって
他人の上に幻を描き出す1%理論の人間の特権。
大場より急場、為さぬ善よりその場しのぎに為す偽善。
画像がブレてる、ピントが合ってない、光が分散してる。
包むように覆っても白はうろついてる。
最終日を待つ人の死に何が可能であろうか
希望が生き残るならリスクを冒しても戦う必要がある。
それがなければ運命を許さない、信じるほど窒息する。
彼女は自分の中に情念の恐ろしさを知らずに過ぎたので
暴れまわる寂寥感(せきりょうかん)と謂ったものが
心を卑しくさせ、涸渇させ
浅間しき生活の片隅で生まれ錆びついていたものは
微塵も甘美ではなかったことに驚いた。
今、人に愛されない醜い自分には
不在こそ最上の質量ではないのか
熱い體を転がして締め付けるように抱いて
内の灯台の燈火が漏れることより
未知に向かって外の月光が洩れ入ることを怖れた。
誰かから嫌がらせを受け、そして被った(被害妄想)時に
その鬱憤を他の人にぶつけてしまう前に
何故?(哲学センス)で疑うことからの出発しませんとです。
自分の鬱憤を晴らそうとする悪意は共謀罪。
悪意が拡散する伝染力を一般に「不幸の手紙」という。
山羊さんのように読まずに食べたなら?
「御用事なあに?」話し手と聞き手が逆転のループ?
何時、どちらが「食べずに読もう」という意志が芽生え
いい聞き手となれるんだか。
恋愛は美しい病で、会話だけで「守る」できなく
「犯す」に変換されて好戦的に堕落しやすい。
善人であるにも関わらず不遇の愛され方しかなかった人は
親しんだ偽善さえ成功させたくない素直さが
いつしか、正しさに頼った自分を信じるほど、狂い
存在の潮は断崖に叩きつけられる度に自由を得て望みを失う。
愛しつつあるのか殺しつつあるのか区別する要因が
外的であるしかないのに、独創性として自分の作法にする。
関西で生まれ育って、海も山も身近で、そこそこ都会。
人の群れからの解放が贅沢に思えど
自家用車を持たずに一人ですぐ帰れる便利さ。
何人か何歳か不明なでも干渉しないし、
過剰供給される娯楽に異議を唱えないでいる。
自虐ネタやら、独りノリツッコミで宙を舞い、
ボケには「何でやねん」で輪郭とれぬまま着地。
というアホな人が大勢居るので
地方都市の閉塞感に詳しくなくて、こういう鬱々した作品に
「エキゾチックジャパン」を感じる。
無知であれば愛そうとした人もただ窒息する。
賢明で明るい人まで暗くする讃美歌とか
偽善そのもののような音楽を借り合わせて一層暗くみせて、
辺境にある光を探させる。
平素な日常が如何に感情を奪った行っていたものかを知れる。
愛し合える人と未来永劫幸せになる確立は1%、それ以下。
評価としてクスッとも笑える場面、逆転発想の人も居なくて
いや? あの微妙な最後からしてそうでもないか。
直木賞受賞作ですが☆4で。
KLUAYTHAI - ทฤษฎี 1% [Official Music Video]
2022-01-15 21:09:00に追記