ヴァレリーによれば脚韻(きゃくいん)とは
規則が思考に対して周期的に与える暴力である。
形式の創造性を見出すための創作では
創造性を支配するのは詩人ではなく形式の方である。
リズムの強制力は形式的想像力の別名に他ならない。
あらかじめ考えられた計画でない脚韻の持つ規則上の策略が
意志の作る様々な偶然の素朴で絶え間ない連鎖を
約束によって体系的に再生産することを狙い
私たちの本来の連続にとってありそうもないことを想起させる。
脚韻は一群の観念
即ち夢想だにしなかったような一群の組み合わせを生じさせる
という魔力を持って、人は自身に全くなじみのない思考を作らせるのである。
前世二人一組が合致して至福な完全態を為していた。
現世でもその片割れを探し、再び一体と成らんが為に恋愛がある。
とする説がある。
交際を断られたり、恋愛が数多く生じたりするなら
恋愛対象というより好敵手であったというだけになる。
刺激され支配欲が起こっても求めているのは自らの欠落の克服で
完全態の代用品に過ぎなかったことになる。
恋愛は代用品に完全態に近づく訓練を教わるものと言える。
失敗に終わったならば勉強代とか怪我の功名、等として
更に得難い経験値として知力、経済力を養う手立て変え成長するのもいいが、
恋愛には精力、体力が欠かせない。
しかし人間の体の構造は寿命は延びたものの数万年ら進歩していない。
成立年齢や恋愛期間いには立派な賞味期限が存在する。
代用品?としても若くて可愛い人なら
男性から言い寄られるチャンスは幾らでもあって、
自分次第で男性を操れそう。
更年期過ぎのポンコツ中古品ではもう
自分磨きにやっきになる気力は失せ、他人を羨むも妬むもない。
最果ては見えてる。偉そうに悟って死ぬつもりもないけど。
โอเคป่ะ? (Yes or No) feat. นุช วิลาวัลย์ อาร์ สยาม : Flame เฟลม | Official MV
5年前、ケンさんのファンとして
大阪のタイフェスを楽しみにしていた。
その日の肉体労働をこなしクタクタだったが、
一人でステージ最前列の隅っこに居た。
ケンさん中々こっちまで来ない、そんな虚しさを感じながらも
一緒に歌って踊ることが私の使命のように頑張った!
高まる脚韻、歓喜する前列を占めているタイ人達、
孤独な還暦近い小柄な叔母さんはもみくちゃにされながら
ドンドン後方に追いやられステージのケンさんがもう見えなくなった…。
疲労と昂楊と融和と崩壊の役を演じ
長い努力の波の果て
あえなく終わる淡い泡沫
叫びはやがて囁きになる
自分の不足の役割に
唯憐れと思召されよ
※その後 勝手に控室?に押しかけ(私も策略家であった)
直接ケンさんからシールとサインを貰いました♪
ありがとうございました♪
盛り上がれて楽しかった。おばちゃんミーハー魂。
2021-09-02 13:20:25に追加