人の精神構造は新たな発見に成功した前と後でも
変わったところはないはずである。
違うのは結果を見た周囲の者の評価の違いに過ぎない。
世間の人には結果を得ずらい問題に集中している学者や
骨が折れるばかり風変わりな人達の言葉が偏屈で狂気のようにも感じ取れる。
視野が一つのことに集中すると余計な周囲のことに注意を払えなくなり
普通以上に才能がある人の独創性から成立させているのである。
そして、事実ばかなのでも抑制は成立する。
売られていた既製品のメガネフレームは
常識と非常識の両目の視野(レンズ)で常識とした経験や世間体で
物事との距離を調整し捉える。
既成品の裸眼はうっかり欲望の及ばない無意味なところに到達しては、
自分で自分の天秤を揺さぶり続ける?。
日本人が自然にその環境下で時間を掛けて習得した日本語も
外国人が鳥肌級に驚愕することに漢字が一文字に一音とは限らない
読みの多さがある。
例えば「生」という一文字も熟語として対等挿入する語句に合わせて
読みを変えてしまうことがある。
生物(せいーぶつ)
生き物(いーきもの)
生米(なまーごめ)
一生(いっーしょう)
生憎(あいーにく)
生業(なりーわい)
芝生(しばーふ)
生贄(いけーにえ)
弥生(やーよい)
羽生(はーにゅう)
どこにでも身を置くことが出来る。
何んとなーく主客対立させずに自身を変化させてしまう。
依存心多めの(笑)膠着語とされるが
他の言語から独立した発展を続けて来て、
現代日本人は6つの言語を同時に読んでるそうである。
(ひらがな、カタカナ、漢字、アルファベット、絵文字、
空気(思い込みや共有している幻像、主従関係性、主体性(らしさ)
(日常会話(方言、男女別)、丁寧語、謙譲語、尊敬語、文語、皇室語?))
)日本語の歴史や文法構造をちゃんと分別理解して使っている日本人
がどれだけ居るかと思うとごく少数だろう。
なんじゃないかと。
タイ語の響きが好きだからもっと話せるようになりたい!←勉強しろ
タイ語もこれが完成形というものもなくて成長しつつあるそう。
เข้าสังคม - bodyslam「Official MV」
2024-03-04 18:25:04に追記
2024-03-18 14:52:56に日本語のややこしさについて追記