何でもない日々

優しさの素は幸せ
幸せの素は楽しい
楽しく生きる人は優しい

両翼に矛盾があるならばの価値

2020-09-14 15:11:10 | 詩はあいまいな哲学
人に気に入られるのは嬉しい、成功は一種の安らぎをもたらす。
しかし、ことごとく成功した場合でも人を不快にするのは嫌だ。

成功を支える必要から
やり切れぬ思いをするのが普通の感情である。
自分の力だけでやり切った確信が強い人でも
身の回りに装飾や礼儀をつけている。

幾何学は距離、固定点と方位の決定、
測量、回転、運動の区別、求積、最後には曲線の征服と
目的は出来るだけ少ない線で、出来るだけ多くの角を計り
どうにかして直線や曲線の網の中に物事を捉えようとする。
単純から出発して秩序が展開して
幾何学の網で形がとれる物事は与件も次々供給され全科学の野を覆う。

しかし、直線の角度が零で経験なし!で知れることも考えらずとも
距離で分けられている直線に感じられる人々は非ユークリッド可感の多様性をみる。
人が導入した矛盾以外の矛盾はないはずだが
直線においても図(右)と観念(左)の違いを精神は経験として知っている。

愛しさ、懐かしさ、可愛さ、尊さやキュンキュンするとか。

REBECCA 『フレンズ』(1985.12.25渋谷公会堂)
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恋人の時代

2020-09-01 15:23:34 | 詩はあいまいな哲学
カエルの子供はカエルとか
鳶が鷹を産む等というが、感性の形式としてあるのは
子供は時代に生まれ、忘れられないドラマは自由な原因によってである。

全てを言わなければという思いが表現を台無しにする例もある。
ダラダラと切れ目なしに続く会話によって満たされるのは下らなさで、
下らなさとは空虚が怖いからという判断を下して、
立ち止まって考えなおしたりしない状態のことだ。

原因も目的も
自身の憐憫から他者の軽蔑にへと導いた先には
悲しみや怒りで精神を混乱させられ、
善良な肉体まで損なうよう責められる。

私が空中楼閣(心の隙間を埋めるものや繕うもの)を想像するなら
幾らでも喜びと楽しみを創り出させるだろう。
我々の心を動かすのに原因というものは要らない。
感動の実態や主体になるとは、運動の意味を受け入れ、与えること。

思考の表現体は行動と両立し閃きと轟く軍鼓の響きが
彼らの血管の中に新しい激情を注ぎ込んでいく。

崇拝に勝る崇拝を理解するには
望む限りに
行動者の夢想は現実での表情を呼び起こさせて
如何に手足や声の激動が興奮を呼び起こし
表現者は私を道連れにして
共に形象の秘密を豊かにする目的のことだろう。

我々人間以外に、
心が夢想や空虚に養われ支配されるものが他にあるのだろうか。


ポルノグラフィティ(PornoGraffitti) Century Lovers


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