何でもない日々

優しさの素は幸せ
幸せの素は楽しい
楽しく生きる人は優しい

一度きりの人生

2024-08-31 16:13:45 | 詩はあいまいな哲学
人は好奇心の消費と時間の物語を求めイメージ文化の反逆に反逆しつつある。
食べ物について、酒池肉林的に味覚や彩りやレストランの雰囲気に楽しむより、流れに逆らって個性的な郷愁の蘇りは消費され尽くしていて既に情報ではない。
確実な行動の消費であった。

頭脳の産物は裏側持たず、全て滲みや揺らぎが出来るだけ排除されている。
それを作った視点から眺められた存在が映像のの全てとしても、
イメージは自由に無限に作ることが出来る。

現実でも満ち足りなかったイメージの余白とか周縁とかにより
滲みや揺らぎより新たな陰影を差し出し、続く

https://youtube.com/shorts/JLp3gHWuV6U?si=MDP7lzS-2-KM_J78
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

everybody社会装置

2024-08-29 15:09:45 | 詩はあいまいな哲学
原始時代のある日に、
人間が生理的身体維持の為ではなく楽しみの為にものを食べ始め、
快楽が問題になった途端人間と神との間で一人の偉大な個性が確認され
それを巡る取引が成立し始めたと考えられる。

経済から文化まで含んだ複雑な社会全体の生きものとしての姿は
教育によって民主主義と自由経済にもとずいて
一定の方向に意識的に社会運営を導くことで
人権の基礎となっている個人主体somebody-誰か、は
伝統、習慣に従いつつも
改善修復したり、意識的に困難を予測して制御されていく。

しかし選挙によって特定の顔も名前もない人間一般の集合意識体anybodyが
複数の意識で民主主義社会を決定させている。

民主主義は、究極には個別的な意識と「人権」という主体を尊重する為に
個性的な意識を欠いた存在に変えるという逆説的な制度で
市場が全体としてつくる相場は誰の意志の産物でもないのと同じく、
自然現象のように上下し
それは意識を超えた変化が続く「試行錯誤の連続」の中で
「生物としての人間」「自然としての人間」が新しい普遍性の変化を遂げ
文化と文明を持つ人間に踏み出したと同時に
「個人という自覚」が自然や生物との均衡を破った。

宇多田ヒカル(Utada Hikaru) - Time Will Tell (Live Ver.)

ヒカルちゃんの25周年コンサート行ってきました♪
唯一無二のヒカルちゃん、そして娘とデートも出来てご機嫌です。
特定の場所、季節、時間には探せば物語が必ずあって、
イメージを求めて既製品を求めるのと逆に
一度だけ、一つしかない経験や物語への回帰と郷愁をありがとう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

着ることが出来る最上のもの

2024-08-19 07:18:51 | 詩はあいまいな哲学
意味には大概その反対となる対立した意味を持っている。
派手とは葉出で、自らを飾り出て外を味わい、
対立者に地味という根が地を味わう品柄を有させるが
渋さは派手とも地味とも判然たる対立者を持っていない。
ただ、積極的か消極的かの判断価値である。

渋味は恐らく渋柿から来ていて、柿は甘味も持っている。
なので、渋味の対立者として甘味を考えても差し支えないとする。
これらの対立意味はどういう価値としての内容を持っているか。

個的人間の中核を包み込んだ主要な情緒の「欲」と「寂」の
下部に緊張弛緩の感情「不安」があり、
その上部に幸福鎮静の感情「驚」がある。

驚きの周囲に「可笑」「美」「厳」の高等感情の構成要素が
空の雲のように浮かんで
下部の「不安」の周囲には多様な快不快の感情が展開しており、
動物進化上意義のある本能的情緒が根を延ばしている。

特に人間的重要性は「個体性寂」「主観的哀」と
「有限性哀」「客観的憐」が制約し合い
自己否定的なアガぺと自己肯定的なエロスの
二方向を弁証法的に内合していて、
有用な恋の裏には常に無敵な寂が基礎づけられている。

趣味は何らかの主体的価値判断を持っていて、
その判断が明瞭に主張される場合(有価値的)と、
主観内に留まり形を取らない曖昧な場合(非価値的)とがある。

「いき」は肯定から否定への中間に位し、
甘い夢が破られ批判的知見により内包的構造として
「いき」が目覚め、自律的遊戯の形へと推移を取り
「否定に依る肯定」として可能とする。

渋味は甘味の否定に相違ないが、その否定が優勢を示し、
甘味を常態(有価性)と考え、渋味に至る路があることに気付く。

否定はくすんだり、忘却と共に、渋味が甘未の艶を回想可能とする否定で、
つまり逆説は客観性としての輝きを持たせる。

非価値対立は上下の正方形の二対の対角線を垂直に切ることによって生ずる。
この関係は直六面体の立方体であらわすことが出来る。
上面は異性的特殊性(対自性)であり四つの頂点の意気の体面に野暮を置き、
渋味の体面に甘味を置く。
下面は人生的一般性(対他性)で上品の体面に下品を置き、
派手の体面に地味を置く。
二つの対角線の交点は普遍的具体者を意味し、
その内的発展によって、外囲に特殊の趣味が現れて来る。


老眼になってからは読書量が激減したものの小難しい本を読んで
音楽鑑賞して現実逃避するのが好きで
西洋哲学は用語に慣れれば理解出来るようになってきた。

それはきっと日本語の構造の複雑さ柔軟性でもって外国語にも精通している
翻訳者の賢さと巧みな技量、優れた直観のお陰でもある。

今『「いき」の構造 / 九鬼周造(サルトルのお弟子さん)』を読み進め、、
られない!ムズイ。誰か訳してチョー。

日本語そのままなのに数行を何分でも見つめては知らない語彙に苦戦する。
深遠な日本の哲学では上品でも下品でもあらず
ただ中間者と見做され凡人なしての『いき』で飾る
ってのは実は難しいことみたいです。

ดัม-มะ-ชา-ติ dharmajāti ≠ ft. F.HERO 「BODYSLAM FEST วิชาตัวเบา LIVE IN ราชมังคลากีฬาสถาน」

2024-07-11 21:50:48に追記
2024-07-17 18:18:56に追記
2024-08-19 08:19 タイトル変更して更新
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時間的空間的因果によって

2024-08-10 16:35:58 | 詩はあいまいな哲学
「私達自身」がどこまで感覚器官の対象であるかという難問で
私達自身と「対象」の両方が感覚機能によって比較しなければならない。

日常の生活で自己や人格といった観念は
明らかに固定されているものではない。

持続的存在を帰属させる対象には穏やかなものであれ、
激しいものであれ随時なものも記憶の彼方となっていたものでも
どれにもそのものの特異な恒常性があり

①物体の形、大きさ、運動、固性
②味、匂い、音、熱さ冷たさ
感覚機能が伝える知覚と印象には
一般的には①も②も別個の持続する存在を持つと思っているが
感覚器官が判定する印象は内的で消え去る存在で、
感覚器官も記憶もそれらの存在についてなんら告げず証拠も与えない。
哲学者は単なる知覚と想像との相違を研究の主題とするので
そのような訳で感覚器官からは持続的な存在の所信も
別個の存在の所信も起こらないと結論づけてみて、
知覚が中断した後、それと見分けられぬような場合でも
変化する前と後の状態は互いに一種の因果律で物体は整合性を保ち、
依存し合っているという整合推論が
別個の外的存在としての物体の持続的な存在という所信を生む。

物事が身体に当たり伝わった痛みや心地よさとか
自らの運動で伝わる快、不快の感覚は論証のために印象や理性を属させたり
同化依存するのを否定していないからで
音楽の力は音と触れあい楽しめること♪
ヘッドホンしなくても
気分次第で脳内で彼の歌声もメロディーも自動再生される。
自分で歌えるようにでもなれば過去の音学でも音道でもなく
吟味するだけのものでもない。

Sunny Side Up - bodyslam Feat.DABOYWAY「Lyric Video」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

媚態は手柄

2024-08-03 21:04:25 | 詩はあいまいな哲学
手柄は何やってもうまくいかない事から手を軽く反らせたり
無意味なこと曲げる事と全体重心から理想主義を 踊ってみて
異性を魅惑する芸術的形式模様の形式は
具体的な内容として取り扱わない為に。

 /meiyo
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無目的な目的は頬に司る

2024-08-03 20:01:49 | 詩はあいまいな哲学
「色気」は底辺上に射影を投じ、影は往々に実物より暗いが
上面では意気と甘味を繋ぐ直線上に並行して
派手と地味を繋ぐ短径全体で上品に運動する。

渋味は溢れて渋滞する正の意で、甘味は第二段たる形成する反、
そして「酸いも甘いも嚙分けた」という言葉があるように
酸味は甘味と渋味の中間にあり、
渋味は自然界に於いては未熟の味であっても精神界にあっては
粋な「無地表、裏模様」で「合」を果たし、
甘味を止場した個抽性が酸味を尊ぶ円熟した趣味である。

เราคงจะได้พบกัน - เบิร์ด ธงไชย Feat. อัญชลี จงคดีกิจ [OFFICIAL MV]
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする