「私達自身」がどこまで感覚器官の対象であるかという難問で
私達自身と「対象」の両方が感覚機能によって比較しなければならない。
日常の生活で自己や人格といった観念は
明らかに固定されているものではない。
持続的存在を帰属させる対象には穏やかなものであれ、
激しいものであれ随時なものも記憶の彼方となっていたものでも
どれにもそのものの特異な恒常性があり
①物体の形、大きさ、運動、固性
②味、匂い、音、熱さ冷たさ
感覚機能が伝える知覚と印象には
一般的には①も②も別個の持続する存在を持つと思っているが
感覚器官が判定する印象は内的で消え去る存在で、
感覚器官も記憶もそれらの存在についてなんら告げず証拠も与えない。
哲学者は単なる知覚と想像との相違を研究の主題とするので
そのような訳で感覚器官からは持続的な存在の所信も
別個の存在の所信も起こらないと結論づけてみて、
知覚が中断した後、それと見分けられぬような場合でも
変化する前と後の状態は互いに一種の因果律で物体は整合性を保ち、
依存し合っているという整合推論が
別個の外的存在としての物体の持続的な存在という所信を生む。
物事が身体に当たり伝わった痛みや心地よさとか
自らの運動で伝わる快、不快の感覚は論証のために印象や理性を属させたり
同化依存するのを否定していないからで
音楽の力は音と触れあい楽しめること♪
ヘッドホンしなくても
気分次第で脳内で彼の歌声もメロディーも自動再生される。
自分で歌えるようにでもなれば過去の音学でも音道でもなく
吟味するだけのものでもない。
Sunny Side Up - bodyslam Feat.DABOYWAY「Lyric Video」