自動作用に任せ思考せずに居ると、
思考からの距離に依って私たちの自由度は制御される。
私達の日常の思考は意味的に繋がらない言語や響きといった
指向を形作る作者言語に多く支配されて要ると言え、
装置としての詩は「拘束」を伴って不自由さこそ可能性を見出し、
「私の言いたいことが語れない」ことこそが作者の補助線としても、
作者の身体と登場人物の身体と、読者の身体にも重要なのである。
ゲームのルールに依って恣意的な駒の動きが禁じられているように、
展開に対するリアクションとして、
作者も読者の身体へ装置として詩の在り方を実現させる。
存在自体が視覚的に再現するのではなく、
登場人物の身体から読者の身体へ
存在自体を抽象化し読者に内的な行為を要請し、その身体を開発さしめる。
読書、特に優秀な頭脳の持ち主という人が発した言葉を無神論者なりに
噛み(神)しめますと、時空を超えて共有しうる喜びは音楽にありと。
GeneLabCon : ชั่วชีวิต - COCKTAIL