盛夏 2017感謝しつつ (22)簡単更新の近況報告ブログですよろしくお願いいたします。 珍しいことに、近所に○○○コーヒーのお店が開店し息子がモーニングに行こうと誘ってくれま......
お湿りの雨が欲しいですね~
隣地の駐車場の草が一列づつ全部
茶色に立ち枯れ状態になっています。
グレーチングから芽生えたもので、草丈は
50㎝~1mほどでしょうが、あれほど青々して
いた草が、炎暑と水切れで枯れたのですね。
草なのでこれは支障ないのですが^^、大事な
お野菜もこの暑さで弱り、量が不足してキャベツや
キューリ、トマト等々高騰していますので、
これは毎日の食事に大いに影響しますね。
そして、台風13号が関東地方に近づいて
来たそうで、前回(7月28日、29日頃)の
12号は西へと進路をとりましたが、今回は北?東?
再度西?ハッキリと分かるのは何時でしょうか?
どうやら方角が見えてきたようですね。台風に伴う
大雨の対策も備えなくては、避難指示が発令されたら
明るい内に避難しましょうね。車が水に浸からないよう、
高台に車を移動しておくことも考えて。。。その際
自転車を積んで行き、自転車で一旦帰宅してから本格的に
家族で避難所の3階以上に。。。あぁ、色んな
シュミレーションに忙しい、忙しい。
↓最近の美観地区の様子です。
先日、持病の薬を頂きにいつもの医院へ。
受付の事務員さんお二人から、「豪雨の被害はありませんでしたか?」
と、直ぐに訊かれました。優しいですね~有難いことです。
体調が特には変わらないのでお薬だけで(診察はしなくて)
早く帰れる方をお願いし、待っていました。
待っている間に写真の許可を頂き、お花ばかり
↑4枚撮ってみました^^素敵なお花ばかり。で、
呼ばれたので、診察室のさらに奥の部屋へ。
そこでも、看護師さんお二人から「お家は大丈夫でしたか?」
と、又訊かれました。「ギリギリ大丈夫でした^^」と。
家庭的な医院で、嬉しくなりましたね。その後、
診察の区切りでドクターがお見えになり、私の顔を見ると
やはり同じ質問をされたのです。先生のご親戚が私の町と
同じ地区に住んでおられることは知っていましたが、
そのお宅が、床下浸水になったのだそうです。我が家の
浸水を皆様がご心配下さったのは、そういう事があって
のこと、優しい人々に心が温かくなりました。
娘の車でこの医院に向かいましたが、旭川を越えて
百間川まで来ると、あの見慣れた広い河川敷には
ゴミが一杯流れた後が見て取れましたし、水は引いて
いましたが、中洲の雑木の上に色んな物が引っ掛かって
いて、東屋の一つは横倒しになっていました。
百間川は治水事業で、大水対策に作られた川です。
岡山市の街中にある旭川だけでは、とても水害の
心配が大きかったので、緩和されたのですね。
橋を渡りながらこちらの医院の被害が何もなければ
いいのだがと、心配していましたが何もなかった
そうで、本当に良かったです。岡山市も実はあの豪雨で
あちらこちらに被害が出たそうです。次又やって来る
台風などの災害に備えて、早く復旧作業をしなければ
なりませんので、地方と国が連携して頑張ってくれていますね。
台風一過の7月29日、庭のフウセンカヅラを撮りました。
この白い小さな花からこんな魅力的な風船に育ちます。
灼熱地獄のような炎暑の中でも枯れずに
朝顔はどうにかこうにか咲いています、感心しますね。
私も頑張って厳しい残暑を乗り切りたいです^-^。
ここから前ブログの続きになります。
さて、6月の旅行は、白洲次郎さんの旧白洲邸「武相荘」を
前回ご紹介しましたね。現在ミュージアムとして管理され、
入館料が¥1050となっています。白洲氏が
1943年、この鶴川の地に転居して60年近く住み
続けた「武相荘」のことは、私は以前テレビ放映でほんの少し
ですが見て知っていましたので、ここを訪問できたことは感動でした。
↑写真の如くありのままの当時を残してあったからです。
観光地化して、手を入れ過ぎているスポットが多い中、
ごく自然で遥か昭和の田舎暮らしといった風情です。
白洲次郎氏は「従順ならざる唯一の日本人」と敗戦後に
GHQ側から印象付けられたことが有名ですが、遺言も
「葬式無用、戒名不用」と83年の生涯を自分の信条と
共に歩まれました。夫人の正子氏は大変美しい女性で、
14歳で女性として初めて能舞台に立たれています。
学習院女子部の後、米国に留学し、帰国後
白洲次郎氏と結婚。二男一女を得ました。
「能面」「かくれ里」「明恵上人」「西行」他多数の
著者としても有名です。
今日もご覧いただき有難うございました。