民宿本間のブログ

世界自然遺産知床羅臼から情報発信 

長い間有難う・・・・・・

2010-02-28 21:25:21 | Weblog


   早朝の日の出、流氷とゲストさん






お客さんが未だ移動していない内に閉校式に出かける。

来賓のお客さんがもう到着していたが、未だ時間が早いので昔懐かしい写真や

文化施設を見せていただく~~~~その仲にとても懐かしい写真を見つけた。

私が未だ38歳の時の写真で、PTAの役員の方々と写した写真だったが、当時は

毎日着物を着ていたし、着付けを教えていた頃だったが黄色い黄八丈を着て赤い

帯姿の自分と出会えた~~~未だ若いなと思える一枚で本当に懐かしい・・・・

当時のPTA会長と副会長さんとその当時一緒に副会長をさせてもらって居たので

色々な話をしたが、昔話は尽きない・・・・昭和51年から始めた餅つき集会は

何処の学校よりも早く、飯寿司や漬物を沢山持って学校に集まり、楽しくワイワイ

ガヤガヤ色んなことで話して聞いての繰り返しであった。

オジロワシの餌取、昔の流氷から見ると
勢力が薄い、もっと盛り上がりがあって
      密度が濃かったけ






先生方の送別会も寿司の握り方を教えたり、オ-ドブルを作り赤飯を蒸かしたり

全て手作りで作ったのが思い出される。

歴代の校長先生の写真を見ていると、その当時が懐かしく、あんな事こんな事

本当に沢山の思い出を有難うと大きな声で叫びたいような気持ちになりました。

私を育てて下さった原点は飛仁帯小学校、副会長という職を与えて頂いたお蔭で

人前でも色々な意見も言えるようになり、仕事を覚えさせていただいた。

今の自分があるのも、ここから始まった~~~~

式が始まり沢山のご挨拶を聞きながら62年の歴史に幕が閉じられたが、続いて

学校を語る会が催され、年代別に色々な方と同席して、私の時代、僕の時代を話し合う

新任の先生が多く赴任したせいか、どの先生も自然豊な羅臼と育てて頂いた海岸町の

住民の方に、家庭的な学校飛仁帯小学校と話していたのがとても印象的でした。




羅臼小学校まで歩いて通う過酷な通学で、親も子供も満足に勉強が手につかないほど

通学に時間を裂かれ、材木岩トンネルの上を通りチトライの川の所からマッカウス

洞窟の波打ち際を歩き(ヒカリゴケの所)時には衣服を脱いで頭の上に服を載せて

波で服を汚さない対策を考え通学したといいます、上級生は下級生の面倒を良く見て

今ではテレビという物があるが、当時はそれが当たり前でした、ただ此処の学校の

気風とすれば、今田に上級生が下級生の面倒を見るのは自然体であり普通の事である

そんな気風を忘れない飛仁帯魂を持った子供に育って欲しいと願っている。

宴もたけなわですが学校についてクイズをしましょうと学校に関する色々な事を

クイズにして出した~~~~解るかな学校は出来てから何年~~~~

持ちつき集会は昭和何年から始めましたか???○か×出答えを出してください。

色々な問題を出した・・・・司会の竹内さんご苦労様です・・・・・こうして

昨日等々閉校式も終盤~~~~蛍の光と校歌を歌って学校に別れを告げた。

4月以降に学校は取り壊しに成る、とても寂しいが町内でも維持できず、全てを

教育委員会に任せすることになっている、子供達には元気でたくましく

新しい学校で友達を沢山作り、明るく健康に育って欲しいと願っている。