美里町の探検日記GP

津市美里町(旧美里村)に住んでいるコレクターです。コレクション自慢(?)のほか、津のこと、美里のことも書いていきます。

観音寺の十一面観音と、金毘羅さん、祇園さん(南長野)

2010-10-04 11:12:52 | 津のこと


美里町南長野、観音寺という集落にある観音堂です。
このような地名の場所には、昔、そういう名前のお寺があったと推察しますが、
現在はお寺は無く、本尊であった十一面観音像が伝えられ、
地元の観音寺と分郷の集落の住民がこれを祀っています。

観音様の命日である8月18日と1月18日には、
ここで祭礼が行われます。



中央が十一面観音像です。
脇侍として、左が何かの菩薩像、右が地蔵菩薩像です。



境内地にある手水鉢と、寺に伝わる鉦鼓(打楽器の一種)の銘文には
江戸時代の文政年間(1818~1829)の日付があることから、
その頃に、篤志家の寄付を募り、この御堂が整備されたものと考えられます。



この観音堂の前に、2基並んでいる石搭です。

左が「祇園さん」「天王さん」と呼ばれている、牛頭天王を祀った祠です。
昔からの祠は風化が激しかったので、数年前に新調したということですが、
新調する前の祠の写真が「美里村史」の453ページに載っています。

右が「金毘羅さん」と呼ばれている祠です。



「金毘羅さん」とは、四国の金刀比羅宮のことです。
祠の屋根に、丸に金と書いた印が刻まれていますが、
これこそ四国の金刀比羅宮の印です。
(余談ですが、丸に金と書いた団扇が、
 江戸時代の参拝客に人気の土産物だったということです)

「金毘羅さん」が祀られているのは、
美里町では、此処と北長野の2ヶ所です。
「金毘羅さん」は、船の安全を守る神様として有名で、
海の見える丘の上に社殿を建てる例が多いのですが、
美里の山の中に、何故「金毘羅さん」があるのでしょうか?



「金毘羅さん」の中に祀られていた木像です。
地元の人が言うには、
「十一面観音さんを守る28人の家来がいたというから、
 そのひとりではないのかな、でも名前がわからんのや、
 せやで、いっぺん、あんた調べておくれへんかな」
ということでした。

確かに、十一面観音を守る「二十八部衆」という家来がいたようです。
この木像のような、背中に羽があるのは「迦楼羅(かるら)」ですが、
現存する迦楼羅像と比べてみると、あまり似ていません。



そこで、もう一度「金毘羅さん」から調べ直してみると、
金毘羅権現の信仰は、平安時代に修験道と混合して盛んになり、
その際に、金毘羅権現の使いとして天狗が現れるという伝説が広まったようです。
一説には、
金毘羅権現を信仰していた崇徳天皇が、
死んで天狗に生まれ変わった、という伝承もあって、
天狗と金毘羅さんが結び付いたようです。

江戸時代になると「伊勢のおかげ参り」と同様に
「金毘羅さん」も庶民の間でブームとなり、
背中に天狗の面を背負って、四国の金毘羅さんへ参拝するようになりました。

この南長野の「金毘羅さん」も、そういったブームの中で、
村人が身近にお参りできる「金毘羅さん」として整備されたものでしょう。


 ↑
これは、インターネットで売りに出ていた「天狗の像」です。
こちらの木像と良く似ていますね。

想像するに、
江戸時代、四国の金毘羅さんで、
この天狗像が売られていたのではないか、と思うのです。
これを買って持ち帰った南長野の人は、村に祠を建て
「今日から、これを金毘羅さんだと思って拝もう」と
呼びかけたのではないでしょうか。

同じ時代の、同じような「天狗像」が、
全国各地に持ち帰られていると思いますので、
南長野の木像のほうは両手首が失われていますが、
こちらの「天狗像」と同じポーズだったのでしょうね。
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辰水子ども神輿(穴倉子ども会)

2010-10-04 09:24:54 | 津のこと


10月3日に行われた、辰水神社の秋の祭り「子ども神輿」です。

早朝、辰水神社に集まってお祓いを受けた神輿は、
その後、それぞれの地区に戻り、町内をねり歩きます。

辰水子ども神輿(出発前)



画像は穴倉地区子ども会の神輿です。
辰水神社から、穴倉公民館に戻ってきて、
行列の道具(メガホン、太鼓、鈴、大きな団扇、浄財箱など)を用意し、
最初に別所の集落に向かいました。

別所の集落は、急な坂道が多いため、
お父さん4人が神輿を担いで歩きました。


(別所の金剛寺にて)

別所の集落から、一度公民館に戻って来て、
神輿をリアカーに乗せ換えました。



準備をしている間にも、近所の人がやって来て、
寄附を浄財箱に入れています(右端)。



再び、行列がスタートしました。
今度は、広い穴倉地区を、自分たちでリアカーを引いて歩きます。



公民館では、
お母さんたちがお昼ご飯とお菓子などを用意して
子どもたちが帰ってくるのを待っていてくれます。

金剛寺(穴倉)

コスモス畑と白い彼岸花(穴倉公民館付近)
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