(館の大手門)
10月31日(月)、美里ボランティアガイド会の定例の視察研修で
滋賀県長浜市に行って来ました。
今回の目的は、美里の家所城と同じ特徴を持つ「下坂氏館跡」の見学と、
もうひとつが観光ボランティアガイドの大先輩である、
長浜のボランティアガイドさんを生で見て勉強する、というものです。
「下坂氏館跡」は、市中心部の長浜駅や市役所から約2km南にあり、
琵琶湖から500mほど内陸の、田園地帯の集落の中にあります。
下坂氏は、室町時代よりこの地の地頭職を拝命し、
城の代わりに屋敷を四角く土塁(土手)で囲んで住んでいました。
(下坂氏の居館、江戸時代のものか)
このような、平地の屋敷を四角く囲んだ土塁を「方形土塁」と言い、
これは滋賀県の中世城館の特徴であるわけですが、
美里の家所城もこの「方形土塁」を備えています。
(館を囲む土塁)
何故家所城にそれが伝わったの?家所城の先祖は滋賀にいたの?
という疑問があるわけですが、残念ながらこれについては詳しいことはわかりません。
しかし、
「家所氏が住んでいた当時の家所城はどんなんやったやろなあ」と想像するには、
後世(江戸時代)のものとは言え、居館(2枚目の画像)も現存している
下坂氏館跡を見るのが勉強になるだろうということになったのです。
(土塁の外側の環濠)
下坂氏は室町時代、戦国時代を通じて生き残り、
今もこの館の敷地内に子孫の方が暮らされています。
茅葺の旧宅は現在使われていないようですが、きれいに保存されているようです。
土塁の一部は現在の居宅の敷地に削られてしまったようですが
屋敷の東側と北側の土塁は保存状態も良く、当時の環濠に今も水が流れていました。
↑
屋敷の北側の土塁の上に社(やしろ)が祀られていました。
実は家所城も同じ位置に社があります。
これは屋敷から見て北東の鬼門にあたりますので、偶然の一致ではありません。
ということは
家所城もこちらと同じように、南に大手門があり、
庭があって、その奥に南向きに居館が建っていた、と想像することができます。
こちらは、同じ敷地内にある下坂氏の菩提寺であった不断光院という寺院です。
江戸時代に再建されたもので、その後も下坂氏のご子孫の方が改修をされているようで、
大変きれいに整備されていました。
こちらは屋敷を囲む土塁の外側になりますが、
この寺院の外側(東側)にも土塁があったようです。
寺院の裏側には墓石が並んでいます。
おそらく室町時代以降の下坂氏代々のお墓なのでしょう。
ただ、新しい今風の墓石は無かったので、ご子孫の現在の墓地は別の場所にあるようです。
美里の家所城も、城の裏手(北側)にお寺があったことが知られています。
家所氏の菩提寺か祈願所か、あるいは別邸として使っていたか、
詳細はわかりませんが、家所氏が城とともに整備したのは間違いないようです。
敷地の大きさから想像すると、ちょうどこちらの寺院と同じような大きさではなかったかと思います。
というわけで、
「家所城の当時の様子を想像してみよう」ということについては
今回の下坂氏館跡を見られたことは、大変参考になりました。
ただ、こちらの下坂氏館跡は、
国指定史跡であるとのことですが、案内板も説明書きもありませんでした。
現に居住しているので基本的に「非公開」だからかもしれませんが、
このような歴史遺産を活用していないのは惜しいと思いました。
>家所城関連の記述
家所城跡の方形土塁は、甲賀地方の城に類似
家所城趾(場内の配置)
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