美里町の探検日記GP

津市美里町(旧美里村)に住んでいるコレクターです。コレクション自慢(?)のほか、津のこと、美里のことも書いていきます。

長浜編その13・終/下坂氏館跡(国史跡)

2011-11-03 22:30:26 | 日記

(館の大手門)

10月31日(月)、美里ボランティアガイド会の定例の視察研修で
滋賀県長浜市に行って来ました。
今回の目的は、美里の家所城と同じ特徴を持つ「下坂氏館跡」の見学と、
もうひとつが観光ボランティアガイドの大先輩である、
長浜のボランティアガイドさんを生で見て勉強する、というものです。

「下坂氏館跡」は、市中心部の長浜駅や市役所から約2km南にあり、
琵琶湖から500mほど内陸の、田園地帯の集落の中にあります。
下坂氏は、室町時代よりこの地の地頭職を拝命し、
城の代わりに屋敷を四角く土塁(土手)で囲んで住んでいました。


(下坂氏の居館、江戸時代のものか)

このような、平地の屋敷を四角く囲んだ土塁を「方形土塁」と言い、
これは滋賀県の中世城館の特徴であるわけですが、
美里の家所城もこの「方形土塁」を備えています。


(館を囲む土塁)

何故家所城にそれが伝わったの?家所城の先祖は滋賀にいたの?
という疑問があるわけですが、残念ながらこれについては詳しいことはわかりません。
しかし、
「家所氏が住んでいた当時の家所城はどんなんやったやろなあ」と想像するには、
後世(江戸時代)のものとは言え、居館(2枚目の画像)も現存している
下坂氏館跡を見るのが勉強になるだろうということになったのです。


(土塁の外側の環濠)

下坂氏は室町時代、戦国時代を通じて生き残り、
今もこの館の敷地内に子孫の方が暮らされています。
茅葺の旧宅は現在使われていないようですが、きれいに保存されているようです。

土塁の一部は現在の居宅の敷地に削られてしまったようですが
屋敷の東側と北側の土塁は保存状態も良く、当時の環濠に今も水が流れていました。


 ↑
屋敷の北側の土塁の上に社(やしろ)が祀られていました。
実は家所城も同じ位置に社があります。
これは屋敷から見て北東の鬼門にあたりますので、偶然の一致ではありません。
ということは
家所城もこちらと同じように、南に大手門があり、
庭があって、その奥に南向きに居館が建っていた、と想像することができます。



こちらは、同じ敷地内にある下坂氏の菩提寺であった不断光院という寺院です。
江戸時代に再建されたもので、その後も下坂氏のご子孫の方が改修をされているようで、
大変きれいに整備されていました。
こちらは屋敷を囲む土塁の外側になりますが、
この寺院の外側(東側)にも土塁があったようです。



寺院の裏側には墓石が並んでいます。
おそらく室町時代以降の下坂氏代々のお墓なのでしょう。
ただ、新しい今風の墓石は無かったので、ご子孫の現在の墓地は別の場所にあるようです。

美里の家所城も、城の裏手(北側)にお寺があったことが知られています。
家所氏の菩提寺か祈願所か、あるいは別邸として使っていたか、
詳細はわかりませんが、家所氏が城とともに整備したのは間違いないようです。
敷地の大きさから想像すると、ちょうどこちらの寺院と同じような大きさではなかったかと思います。

というわけで、
「家所城の当時の様子を想像してみよう」ということについては
今回の下坂氏館跡を見られたことは、大変参考になりました。

ただ、こちらの下坂氏館跡は、
国指定史跡であるとのことですが、案内板も説明書きもありませんでした。
現に居住しているので基本的に「非公開」だからかもしれませんが、
このような歴史遺産を活用していないのは惜しいと思いました。

>家所城関連の記述
家所城跡の方形土塁は、甲賀地方の城に類似
家所城趾(場内の配置)
家所城趾と什心寺跡

長浜編その12/湖畔の国民宿舎で昼食
長浜編その11/黒壁スクエアと長浜まちづくり役場
長浜編その10/中に入ってみると金ぴかの大通寺
長浜編その9/長浜大手門通り(曳山博物館周辺)
長浜編その8/豊国神社
長浜編その7/長浜のグルメスポット
長浜編その6/JR長浜駅
長浜編その5/長浜の曳山まつり
長浜編その4/長浜へ行く途中のサービスエリアにて
長浜編その3/長浜は浅井三姉妹でにぎわっていました
長浜編その2/えっ??こんな場所に模型店が??
長浜編その1/海洋堂ミュージアムでお土産を買いました
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津駅長お薦めハイキング 江姫・高虎さんゆかりの地ウォーク(11/20)

2011-11-03 21:20:09 | 津のこと


津駅長お薦めハイキング
秋のいろどりと江姫・高虎さんゆかりの地ウォーク(11/20)
主催 近畿日本鉄道㈱
日時 23年11月20日(日) 午前9時30分から10時30分受付
集合場所 津駅西口
コース 津駅~津偕楽公園~四天王寺~津観音~大門商店街(MIDLEカフェ)
    ~津なぎさまち(おもてなし)~寒松院~津城跡~津新町駅(ゴール)
参加費 無料
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長浜編その12/湖畔の国民宿舎で昼食

2011-11-03 20:05:44 | 日記


今回の「長浜編」について、記事が時系列になっていないので
読みにくいと思われた方も多いかと思います。
実は、長浜に到着して最初のメニューが「下坂氏館跡」の見学、
その次が昼食だったのですが、このふたつが最後になってしまいました。

今回は、美里ボランティアガイド会の視察研修で長浜にやってきました。
目的の一つは、美里の家所城と同じ特徴を持つ「下坂氏館跡」の見学、
もうひとつが観光ボランティアガイドの大先輩である、
長浜のボランティアガイドさんを生で見て勉強する、というものです。

美里ガイド会一行24人は、下坂氏館跡を見学を終えて、2kmほど車で走り、
午前11時過ぎに長浜城の公園に着きました。
この公園の駐車場は無料です。
中心街には長浜駅を越えて歩いていかないといけないので、便利とは言えませんが、
今日はたっぷり歩くぞーと心得てやってきましたので、問題ありません。



ただ24人が一度に食事をするとなると
平日(月曜日)であっても観光客が多い長浜では難しそうです。
「市内まで歩いて飛び込みで探しますか」という選択肢もあったのですが、
見つからなかったらまずいので、
結局、駐車場に一番近い、国民宿舎豊公荘を利用することにしました。



お昼のランチメニューは数種類あり、
名物の「鮒の子定食」がおススメですが、
鮒はちょっとダメという人は他のメニューにしました。



こちら、名物の「鮒の子定食」1050円です。
鮒の刺身に鮒の卵(黄色い粒々)がまぶしてあります。
なお、時期によっては鮒が獲れないので、代わりに鯉の刺身になるそうです。



こちら、川魚が苦手な私の食べた「焼き肉定食」945円です。
山の中に住んでいても、鮎やアマゴやらはダメなんです。
でも、上の「鮒の子定食」を食べた方に聞くと、
全然臭みは無かった、とのことで、挑戦してみても良かったかなと少し後悔しています。



国民宿舎豊公荘の琵琶湖側の玄関です。
この項の最初の画像は、反対側の長浜駅側の玄関です。
客室はすべて琵琶湖を向いています(レイクビューですね)。

昼食後、徒歩で長浜駅に移動、
長浜駅の2階テラスで、長浜観光ガイドの方と待ち合わせです。

長浜編その11/黒壁スクエアと長浜まちづくり役場
長浜編その10/中に入ってみると金ぴかの大通寺
長浜編その9/長浜大手門通り(曳山博物館周辺)
長浜編その8/豊国神社
長浜編その7/長浜のグルメスポット
長浜編その6/JR長浜駅
長浜編その5/長浜の曳山まつり
長浜編その4/長浜へ行く途中のサービスエリアにて
長浜編その3/長浜は浅井三姉妹でにぎわっていました
長浜編その2/えっ??こんな場所に模型店が??
長浜編その1/海洋堂ミュージアムでお土産を買いました
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長浜編その11/黒壁スクエアと長浜まちづくり役場

2011-11-03 19:25:23 | 日記


滋賀県長浜市を代表する観光資源というと、
それは「黒壁」と呼ばれる明治時代の町並みを保存再生した建物群です。
ただ保存するだけではなくて、
それらが美術館、ガラスショップ、工房、ギャラリー、カフェ、レストランへとして活用され、
ノスタルジックな町並みに、活力があふれている、ということが特徴でしょう。


 ↑
その代表的な建物が「黒壁ガラス館」です。
1899年に銀行として建築された建物です。



黒壁ガラス館の西の通りが、昔の北国街道です。
私が撮影しているこの位置が、
長浜城へ通じる大手門通りと北国街道の交差点、
つまり昔の長浜で最も人通りの多い交差点だったのです。
現在も観光客で混雑していました。



大手門通りのアーケード街にある「まちづくり役場」です。
役場と言っても役所(行政)ではなく、
長浜のまちづくりを行っているNPO法人の事務所です。
 ↓
長浜 まちづくり役場とは?

庇の下には、まちづくりに関わるいろいろな団体の表札が掲げられていました。
それぞれこの事務所を拠点に活動しているのでしょう。
小さな団体だと事務所が持てないとか、
常時スタッフを雇う資金が無いとかの事情がありますが、
このようにして共同で事務所を置けばそれが解決する、ということでしょうか。



長浜編その10/中に入ってみると金ぴかの大通寺
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長浜編その10/中に入ってみると金ぴかの大通寺

2011-11-03 19:05:11 | 日記

(表参道から見た山門)

黒壁スクエアから約500m、中心街の北東にある大通寺に着きました。
ここは以前にも来たことがあって
「津の一身田の高田本山専修寺みたいに大きなお寺やったなあ」という記憶はありました。


(本堂と境内)

高田本山となんとなく雰囲気が似てると思ったら、
こちらも浄土真宗のお寺でした(こちらは真宗大谷派)。



本堂を見学しました。
本堂内の拝観は無料です(展示スペースの部分のみ有料)。

正面の祭壇の周囲は、この項のタイトルの通り「金ぴか」です。
この本堂の柱や建具などは、伏見城で使われていたものを移築したのだそうです。

伏見城は秀吉の晩年の居城で、大変豪華なものであったようですが、関ヶ原の戦の際に焼失しています。
その後家康が1602年に再建したものの、1619年に廃城となって解体され、
木材などは二条城などに移築されたとあります。
大通寺が現在地に移築されたのが1652年なので、少々時代が合いません。
ということで、
上の説明の「金ぴかの御殿」が伏見城のものであったとは言い切れないのですが、
いかにも安土桃山時代というような金ぴかの様式であるのは間違いありません。

本尊の阿弥陀如来の向かって右に、親鸞聖人の肖像画が祀られています。



見学コースの帰路です。
大通寺の表参道から右に曲がって「ゆう壱番街通り」を歩いています。



ゆう壱番街通りにある、昔ながらの佇まいの旅館・三谷旅館です。
観光協会のホームページによると
「素泊り4,800円~ 朝食付5,800円~ 2食付7,200円~」とあります。
ビジネスホテル並みのお値段です。

こちらの旅館の御主人が3代目で、代々曳山まつりにも参加していて、
御主人のお子さん2人も「子ども歌舞伎」に出演された、とのことです。
こちらに宿泊すると、そういう祭りのお話も聞かせていただけるようです。

市内の旅館はここだけなのかと思って調べてみると、
今年オープンした、こんな旅館を見つけました。
 ↓
お蔵の宿 旗籠・白忠


(大通寺の南、針屋橋付近の風景)

長浜編その9/長浜大手門通り(曳山博物館周辺)
長浜編その8/豊国神社
長浜編その7/長浜のグルメスポット
長浜編その6/JR長浜駅
長浜編その5/長浜の曳山まつり
長浜編その4/長浜へ行く途中のサービスエリアにて
長浜編その3/長浜は浅井三姉妹でにぎわっていました
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長浜編その1/海洋堂ミュージアムでお土産を買いました



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