JR長浜駅東口の前に建つ、「出会いの像」です。
左が羽柴秀吉、右が少年時代の石田三成です。
歴史に詳しい方はこの像のエピソードを御存知だと思いますが、
狩りの途中に寺に立ち寄った秀吉が
「のどが渇いたので茶を持ってきてくれ」と頼むと
三成が、最初にぬるいお茶、次にやや温かいお茶、三杯目に熱いお茶を持って来ました。
この三杯のお茶を飲むと、のどの渇きがすっかり治まっていたので、
秀吉は大変驚き、三成の利発さに感心して、
自分の側に置きたいと和尚に申し出て城に連れて帰った、ということです。
当時の三成は15歳の少年だったそうですが、
後に関ヶ原の戦いで、豊臣方の総大将を務めるほどの武将となります。
JRで長浜駅に着いて、駅から市内観光に出発する場合、
まずこの駅前の「出会いの像」を見て、次に駅の北にある豊国神社を見て、
豊国神社から大手門通りを黒壁スクエアのほうに向かう、というルートが一般的です。
駅から豊国神社に向かう途中にある「長浜城家臣団屋敷跡」の碑です。
長浜城の秀吉の家臣の屋敷が、この地に並んでいたということです。
駅の西、通称「湖岸道路」の辺りまで、当時は長浜城の堀が巡らされており、
侍屋敷や町人の家々は長浜駅より東にありました。
この碑の後方に「長浜400年」の記念碑があります。
秀吉によって長浜城が築かれ、城下に民衆を集めて町を作ったのが
長浜市の始まりなのは言うまでもありませんが、
この記念碑の石が、
小谷城から退却する秀吉の部隊が、大きな岩に隠れて浅井軍の追っ手をやり過ごした、
という故事から、その大きな岩を切り取って運んできた石なのだそうです。
見たところ砂岩質の岩なので、切り取るのは難しくはなかったのでしょうが、
故事の岩を持ってくるという発想に驚きました。

(豊国神社の鳥居)
神社に着きました。豊国神社は「ほうこくじんじゃ」と読みます。
慶長5年(1600年)、長浜の町衆が秀吉の遺徳をしのんで神社を建立したのが始まりですが、
江戸時代になると幕府の命により秀吉信仰が禁じられ、社殿も取り壊されました。
それでも長浜の町衆は信仰を続け、
恵比須神を祀る神社の奥社で密かに祀っていました。
秀吉の三百回忌に当たる明治31年(1898年)に拝殿が再建され、
秀吉とともに恵比須神(えびすさん)も祀っています。
秀吉=出世にあやかる、えびすさん=商売の神様、
ということで、現在でも商工業者らの信仰が厚いということです。
神社の拝殿です。
本殿と拝殿が同じ棟になっている(拝殿の奥に御神体がある)、
「神明造」という形式です。
神社の境内にある「虎石」です。
秀吉の家臣・加藤清正が秀吉に庭石として贈った石で、
秀吉は「虎石(清正の幼名が虎之助であったから)」と名付け、大変大事にしていたそうですが、
秀吉の死後、市内の大通寺へこの石を移したところ
この石が夜になると「いのう(帰ろう)、いのう」と泣き叫んだので、
元の長浜城の庭に戻した、という伝説があります。
左が豊国神社拝殿と並んでいる、稲荷神社の拝殿、
右が稲荷神社の横にある「福万年亀石」という石です。
見ようによっては亀の形に見える石で「福まねき石」と読みます。
長浜市民は「この石を撫でると福を招くことができる」と言い伝えているそうです。
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