美里町の探検日記GP

津市美里町(旧美里村)に住んでいるコレクターです。コレクション自慢(?)のほか、津のこと、美里のことも書いていきます。

円光寺の紅葉(河芸町)

2012-11-29 21:15:12 | 津のこと


津市河芸町、本城山公園近くの円光寺の紅葉です。
円光寺は、伊勢上野城を築いた分部氏の菩提寺です。

織田信包の家臣として伊勢上野城を築いた、分部光嘉、
光嘉の子・光勝(29歳で早世したため、光嘉を継ぐことはなかった)、
万(光嘉の室)、分部光高(光嘉の養父)の墓碑があります。



万松山 円光寺 
延文3年(1358)栗真庄に後光厳天皇の勅願寺として開創。
一休さんでおなじみの蜷川新右衛門の息子親元の「蜷川親元日記」にも度々記載が見られる。
1555年頃、城主分部氏の菩提寺となり、百石を受領。
1619年分部氏の所替えにより近江大溝(高島市)に円光寺も移った。
しかし、伊勢上野の円光寺は、その由緒が重んじられ紀州徳川家の祈願所と定められ24石を賜った。
分部氏先祖の墓碑、分部光嘉の木像、紀州藩主の位牌が祀られている。 
(河芸「江」の会のホームページより)

そうなんです、
アニメ「一休さん」に出てくる「新右衛門さん」はフィクションだとずっと思っていたのですが、
実は、蜷川新右衛門という人物は実在したのです。
ただし寺社奉行ではなく、幕府政所の役人だったそうです。



蜷川氏もまた「幕府奉公衆(奉公衆二番に所属)」であり
また、政所代(政所の長官、次官に次ぐナンバー3の役職)の職を世襲していました。

そのような幕府高官の蜷川氏が、度々記録に残すほど、
室町時代の伊勢の円光寺は、隆盛していたのです。



分部光嘉が築いた伊勢上野城、
信長軍に救出されたお市と浅井三姉妹が、伊勢上野城で7年間過ごしたことが知られるようになり、
分部氏の菩提寺である円光寺も脚光を浴びるようになりました。

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辰水神社のジャンボ干支の製作が始まりました(11/26)

2012-11-29 11:15:32 | 津のこと


津市美里町の冬の風物詩・辰水神社のジャンボ干支の製作が
11月26日から始まりました。



作業初日は、図面を実物大に拡大する作業、
段ボールを広げ、ヘビの絵を書きこんでいきます。



実物大の図面を段ボールに書いて、1日目の作業は終了。



作業2日目(11月27日)、
骨組みとなる鉄骨をカットして、図面に合わせて並べました。



図面どおりに鉄骨をカットして2日目の作業は終了、
翌日、これを溶接して骨組みは完成です。

さすが、手慣れているというか、
作業の段取りが良いですね。

>昨年のジャンボ干支・辰の親子
ジャンボ干支が辰水神社に飾られました

※この項の画像は、アキラさん撮影です。
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