秋晴れに恵まれた16日の日曜日、久し振りに御成山公園に出掛けた。以前は無かった秦逸三(はたいつぞう)氏の胸像が松が岬公園内に設置されたことを記す、新たな記念碑が御成山公園に増設されていた。
← 50年ほど間に設置された記念碑
御成山公園には、人繊工業発祥の碑があり、眼下にはかつて工場のあった現在の第三中学校周辺が良く見える。
碑の説明の看板は10年位前には風化していた見にくかった様な気がするが、数年前に改修されて見易くなっている。
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下の2つの写真に写っているものは、春の桜の季節に訪れた時には無かったものです。
秦逸三(はたいつぞう)氏の胸像が松が岬公園内に設置されたことを記す、新たな記念碑だった。
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↑ 御成山公園は、斜平山(なでらやま)の北の外れに位置し、市街地より標高が100m以上高く、眺望の大変良い所である。
秦逸三の精神、受け継ぐ 帝人寄贈の胸像除幕式 2016/9/29 14:36
大手化学メーカー帝人(本社・大阪市、鈴木純社長)の創業者の一人で、米沢高等工業学校(現山形大工学部)の教授だった秦逸三(はた・いつぞう、1880〜1944年)の胸像が同社から米沢市に寄贈され、25日、同市の松が岬公園で除幕式が行われた。
秦は東京帝国大学工科大学(現東京大工学部)応用化学科を卒業後、米沢高等工業学校に赴任した。日本で初めて人造絹糸(レーヨン)を開発し、工業生産に成功。東工業米沢人造絹糸製造所を母体として1918(大正7)年、帝国人造絹糸(現帝人)を米沢に設立した。
胸像は高さ70センチ、幅45センチ、奥行き32センチ。秦の出身地・広島県の帝人三原事業所に52(昭和27)年から設置されていたが、東工業米沢人造絹糸製造所設立から100年を記念して昨年、米沢市に寄贈された。移設に伴い修復し、台座も製作。台座には秦のひ孫頼太さんの揮毫(きごう)による「秦逸三之像」の文字が刻まれた。胸像とともに碑文も贈られ、こちらは同市の御成山公園内に設置された。
除幕式には同市や同社の関係者、秦の親族ら約30人が出席した。中川勝市長が「絆を大切に、秦先生の成し遂げた偉業を受け継ぎ、今後の産業振興に努めていきたい」とあいさつ。鈴木社長は「技術の礎をつくった秦先生が市民に長く愛され、ゼロからのものづくりの精神が根付いていくことを願う」と祝辞を述べた。中川市長や鈴木社長、秦のやしゃごらが除幕すると、会場は拍手に包まれた。
※ 上の記事並びに文章は下記のWeb記事を掲載したものです。
2016-9-26 山形新聞記事 URL→ http://this.kiji.is/153027171978937844
さらに詳しい記事はこちら → http://yamagata-np.jp/news/201609/26/kj_2016092600545.php
順番は逆になったが、松が岬第二公園内に先月末、移設されたばかりの秦逸三氏の胸像を見学に、きのうの午後出掛けた。
秦氏の胸像の左側には、鷹山公の大きな座像がある。
鷹山公像の左には、2年前に米沢を訪問した、キャロライン・ケネディー駐日大使の歓迎の記念プレートが設置されている。
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