泥仏不渡水
でいぶつみずをわたらず
泥でできた仏は水に溶けてしまうので、川を渡ることはできない。「渡る」は、彼岸に渡るの意。仏は水の上を歩くことができ、自在に彼岸に渡れるとされる。
「禅語」 石井ゆかり 文
井上博道 写真 より
説明文歪んだ💦
「渡」の字、何回書いても納得できず。本番はまあまあか。
「泥」の字、練習の方がうまくいったな。サンズイの一番下がもう少し左だ。
今日はサンズイに苦労する。
象徴は象徴にすぎない。大事なことは、その象徴の中にある本質。
象徴に執着しなければ、その本質の部分気づき、自分が本当に必要としたことがわかるだろう。
誰かが行った場所、やったことを羨ましく思い、自分もいつかそこへ行きたいとか、それをやりたいと思ったとする。でも、それはあくまで象徴にすぎないのだ。どういう気持ちになりたいから叶えたいということがわかれば、いつの間にかそこにたどり着き、叶っているものだ。ただ、それは同じ場所、同じものではなく、また別の場所、別のものなのだ。
禅語の意味からはズレているのかもしれないが、言葉はきっかけで、そこから自分が考えたこと、感じたことを答えとすればいい。現代風の禅問答のように😁
今日で50枚達成!
でいぶつみずをわたらず
泥でできた仏は水に溶けてしまうので、川を渡ることはできない。「渡る」は、彼岸に渡るの意。仏は水の上を歩くことができ、自在に彼岸に渡れるとされる。
「禅語」 石井ゆかり 文
井上博道 写真 より
説明文歪んだ💦
「渡」の字、何回書いても納得できず。本番はまあまあか。
「泥」の字、練習の方がうまくいったな。サンズイの一番下がもう少し左だ。
今日はサンズイに苦労する。
象徴は象徴にすぎない。大事なことは、その象徴の中にある本質。
象徴に執着しなければ、その本質の部分気づき、自分が本当に必要としたことがわかるだろう。
誰かが行った場所、やったことを羨ましく思い、自分もいつかそこへ行きたいとか、それをやりたいと思ったとする。でも、それはあくまで象徴にすぎないのだ。どういう気持ちになりたいから叶えたいということがわかれば、いつの間にかそこにたどり着き、叶っているものだ。ただ、それは同じ場所、同じものではなく、また別の場所、別のものなのだ。
禅語の意味からはズレているのかもしれないが、言葉はきっかけで、そこから自分が考えたこと、感じたことを答えとすればいい。現代風の禅問答のように😁
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