無功徳
むくどく
梁の武帝は信心の篤い人で、多くの仏寺を建て、出家僧を増やした。帝は、大聖達磨に「たくさんの供養をした私にはどれほどの功徳があるでしょうか」と尋ねた。達磨はこれに対し、「功徳などない」と応えた。
「禅語」 石井ゆかり 文
井上博道 写真 より
「徳」の字、形がとりにくかったが、左右の大きさを変えて、いい感じになったかな。へんは小さめ、三分の一くらいにするとバランスがよくなる感じかな。
説明文は長かったので、最後ちょっとスペースが足らなくなった💦
これをすると何かになると考えては、あまりしない。
好きでしていることは、一見何にもならないようにも思うが、やりたいからやるし、楽しいからがんばる。
そういうものは、努力という苦しい印象はない。
結果として誰かが喜んだり、何かのためになっているかもしれないが。それは目的にすると、努力は苦しみとなるかもしれない。
自分を楽しませること、自分を喜ばせることをバカみたいに一生懸命すればいい。
ムダなことに一生懸命になれることは、最高にバカで、最高に素晴らしいことと思う。
むくどく
梁の武帝は信心の篤い人で、多くの仏寺を建て、出家僧を増やした。帝は、大聖達磨に「たくさんの供養をした私にはどれほどの功徳があるでしょうか」と尋ねた。達磨はこれに対し、「功徳などない」と応えた。
「禅語」 石井ゆかり 文
井上博道 写真 より
「徳」の字、形がとりにくかったが、左右の大きさを変えて、いい感じになったかな。へんは小さめ、三分の一くらいにするとバランスがよくなる感じかな。
説明文は長かったので、最後ちょっとスペースが足らなくなった💦
これをすると何かになると考えては、あまりしない。
好きでしていることは、一見何にもならないようにも思うが、やりたいからやるし、楽しいからがんばる。
そういうものは、努力という苦しい印象はない。
結果として誰かが喜んだり、何かのためになっているかもしれないが。それは目的にすると、努力は苦しみとなるかもしれない。
自分を楽しませること、自分を喜ばせることをバカみたいに一生懸命すればいい。
ムダなことに一生懸命になれることは、最高にバカで、最高に素晴らしいことと思う。