100年前の軽井沢・・ 100年後の軽井沢・・ みなさん 考えた事 ありますか
つい先日、お葬式が執り行われて 働き者のお祖父さんが旅立って行った 享年100歳
早起きで 働き者で、稲作をしてお米を作り 畑で野菜を作り
お天気が悪い日は絵を描いたり本を読んだり・・
暇を持て余して ゴロゴロしているなんてことは滅多になかった様だ
風景画を描くほかに昔の村の様子や伝え聞いた村道、山道の絵図なんかも熱心に描いて
襖の様な それも何枚も続く様な大きな村絵図や生活の様子の絵なんかもあった
お話も上手で、こどもたちに昔話を聞かせたり
大人の歴史好きに聞かれると 昔語りを聞かせる事もあった
丁度、自宅や自分の田畑の土の中から古い時代の刀剣や土器などが見つかったこともあって
郷土史も熱心に勉強していた
少し前までは、軽井沢でも 古くから続く集落には何人か似たような
ご先祖さまからその辺りに住み続けている人やお家があって
そのお家の蔵や土蔵の中から 何かの機会に「古文書」と呼ばれる書き付けが見つかったり
古い絵図面が出て来たりして数百年近く以前の事象が読み取れたり
思わぬ新発見が出来たりする
それが論文と呼ばれる様なきちんとした文書に残されたり、専門家による裏付けや
その後の展開が有ったりしたならば 事実、史実として後世まで語り継がれて行くんだけれど
昔話の「 語る会 」くらいで終わってしまうと
その後、いつの間にかただの風聞として 立ち消えになってしまうことが少なくない
「 どこに証拠が・・ 」って 世界だね
たとえば 数百年も前から近隣の集落との行き来に使われた小さな小道が
車社会になってめったに人の通行が無くなり草木に埋もれ
更にその辺り一帯を 誰かが広範囲に一気買いしちゃうなどして
周辺のどこかに新しい道が出来て使われ始める その様子が定着するともう昔の道はどこか判らない
長い歳月が過ぎて、たまたま誰かその道の所在を知りたくなっても
例えばその近くに自分の家の田畑や山林があって・・などなど みたいな具体的な知見が無いと
誰も知らない話になっちゃうことが多いんだな
亡くなったそのおじいさんから
「 いいや、その道はこっちからこう通っていたんだ。あそこの大きい石の所に
オラ家(おらち)の畑があっただから間違いネエ(無い)・・ 」
なんて 生き証人の力説を聞いたのを思い出す
100年の人生と そのご先祖さまから具体的に見聞きしただろう プラス数十年超だろうか
軽井沢の方言を交えた 実地の昔話も聞けなくなった・・ってことだね
庭に植えられた色とりどりの花の向こう側から 呼ぶ声に振り向いた穏やかな老顔が懐かしい
ご冥福をお祈りします