原爆ドームから橋を渡り三角州になっている場所へ。
平和記念公園は、今は本川と呼ばれる旧太田川が元安川と分岐する三角州の一番上に位置しているのです。
原爆死没者の慰霊と世界恒久平和を祈念して開設された都市公園。
高いところで手を広げている子どもの像は「原爆の子の像」と呼ばれるもの。
佐々木禎子さんをはじめ原爆で亡くなった多くの子どもたちの霊を慰め、世界に平和を呼びかけるための像。
禎子さんは2歳の時に被爆し、10年後の6年生で突然白血病となり8か月の闘病後、短い生涯を終えてしまう。
衝撃を受けた同級生たちが全国に慰霊碑建立を呼び掛けて実現したもの。
そう平和記念資料館のサイトで説明がありました。
周りにはたくさんの折り鶴。
この場所は、江戸時代から昭和初期に至るまで広島市の中心的な繁華街。
それが、昭和20年8月、人類史上初めて投下された一発の原子爆弾で一瞬のうちに破壊し尽されてしまう。
それから4年後に公布された広島平和記念都市建設法に基づいて、爆心地周辺を恒久平和の象徴の地として整備するよう、翌年から平和記念公園と施設の建設が進められるのです。
完成は、原爆投下から10年後の昭和30年。
公園内には数えられないほどのモニュメント。
それらの一つひとつが慰霊であり、平和を求める声で出来上がっているのだと思います。
また改めて時間を作り、出掛けましょう。
原爆ドーム、広島平和記念資料館、被爆したアオギリ。
美しく整備された公園。
学生さんの姿も多かったです。
外国からも…、国際色豊か。
平和を願う気持ちに国境はありませんから。
ありませんよね…、そう願いたい。
原爆死没者慰霊碑。
公式には「広島平和都市記念碑」と呼ばれるものとか。
穏やかな水面に映る埴輪のような形の…。
これは何を表現しているのでしょうね。
不勉強なワタクシは、何もわからないまま、ここに立ってしまいました。
沖縄、長崎とそれぞれの地で感じたものは、何とも重くもモゾモゾしてしまう落ち着かない気持ち。
だけど、ここは美しく整備されているからでしょうか。
新緑のせいもあるかな。
春の爽やかな風を感じてしまうのです。
この美しい空間を曇らせること無く、いつまでも穏やかに、そして優しい風が吹き続けますように。
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」
そう刻まれた文字。
多くの犠牲の上に今の暮らしがあるのだと心に念じ、積極的平和では無い道を探し続けます。
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