毎日使っている小道具なんだけど,見当たらない時って凄くショックで・・・.出張から戻って荷物を整理していた時にはあったはずだったけど,何故か,その”お泊まりセット”が見当たらなくなって・・・.毎日使っているモノが入っている袋のことなんだけど,やはり気が重い,そんな状態だったの.
で,先ほど,折りたたみ椅子の隙間に挟まっていた袋を発見して,やっとスッキリした気分に.もちろん,記憶を頼りにいろいろ推論して,それで見つけたの.もちろん,嬉しい,そんな気分に.
記憶というデータ,それに種々の想定というモデリング,こういった2つに基づいて推論をしながら発見するのってとても大切で,結果として嬉しいってなるでしょ.
だけど,データも曖昧なところがあって・・・.さらに,モデリングもいろいろで・・・.で,推論も悲しい結果になることも・・・.要は,発見できないけど,納得する,そんな結果.具体的には,”そもそも記憶が間違いで,お泊まりセットをホテルに忘れてきて・・・”,”整理の後にゴミ箱に落ちて,そのまま出してしまった・・・”などの結果になることもあるの.
この場合の嬉しさって,損をしなかった,ということだけであって,推論の正しさ(事実を見出す)だけでないでしょ.推論が正しくても,損となれば悲しいってなるし.でも,推論が間違っていて,かつ損をしたと思い込んでしまったら悲しい?かなー.時間が経てば,見つかる,そんなことになって,結局,嬉しいになるけど・・・.
推論の誤りは,まあ,時間が経てば是正される,そんなこともあるのだけど・・・.
事実と推論に関する考察は続くけど・・・.
頑張りましょう.