M's Den with GB350

流れる雲を追いかけて…SINCE 2004

車暦

2012-03-31 17:03:32 | MISC

次女が春休みに自動車免許(四輪AT)を取得した。
集合住宅なので車庫入れが出来ないと困る、その練習と近所の試走に付き合いながら
昔の事を思い出していた。

私が免許を取得した時まで家に車は無かった・・・日産にいた叔父から貰った車が我が家で
初めての車となったがこれが中々思い出深い車で日野コンテッサクーペだった。

普通は家の車庫から運転を始めるのだろうが、その時は叔父が入院していたニコタマの
病院の駐車場においてあったのをお袋を乗せて家まで帰ってきた。

バイクで散々走っていたので道は分かってはいたが、結構癖のある車で家に辿り着いた時には
二人ともドッと疲れていたと80を過ぎたお袋は今でも多摩川の土手道を通ると口にする。

その頃は運転したことのあるのはマークⅡ、カローラ、スカイライン2000GT、
ファミリアロータリー、ホンダステップワゴン、カルマンギア、クーガーRX7、スバル1300・・・

2台目は日産ブルーバードU(610)だった。私は一代前の510の中古でよいから、
4ドアのATを希望したが、親がマニュアルの2ドアクーペを選び、スポンサーには逆らえず
6年間7万キロ程乗った。

『熱いナイフでバターを切る』と表現された510のポルシェタイプシンクロとは程遠く、
ミッションフィールはゴリゴリとしてすこぶる楽しくなかったが、車体と足回りは結構丈夫で
奥多摩まで良く走りに行ったものだった。
その頃、ワーゲンビートルが60万円、トレノ、レビンも少し上乗せすれば買えたと記憶している。

3台目は日産フェアレディ280Z(AT)だった。これはコンテッサをくれた叔父が販売したが
売った相手のローン支払いが滞り、困った叔父が父に買って欲しいと言い、父が引き受けた
車で3000km程の中古車だった。

3代目にしてやっとAT車となったのは嬉しかったが、何せ2シーター、家族4人で出かけると
車組と電車組に分かれるという不便な車、それでも香港駐在期間中も車検は切らさず、
3年ほど乗った。

免許を取った頃から愛読していたカーグラフィックの小林(章太郎)編集長がATの左足ブレーキ
を使っているのを知り、左足ブレーキ使いにしたのもこの車からだった。

『重く大きくて眠たい』と評されていたL28は特に発進から60km/hまでが遅く、左足でブレーキ
を掛け、アクセルを煽って発進することが出来て重宝した。

4台目は日産のブルーバード910にした。”した”と書いたのは、この時に自分の金を半分
出したから。SSSの4ドアATターボ付きで、カーグラの影響もあり、サンルーフをチョイスした。

ブルーバードUと同じヘビーデューティな足回りを期待したが、これがSSSとは名ばかりの
ヘロヘロな足回りで全然踏ん張りが効かず、ターボ付きの割には全く速くなかった。
購入して直ぐにダッシュボードの下に潜り込んで、スピード警告アラームを殺したのを覚えている。

この車で北海道まで新婚旅行に行き、全部陸路を走ったがその頃にはエンジンからの
タペットノイズが酷くなっていて知床の地の涯ホテルに泊まった時にはディーゼルですか?と
宿の人に聞かれたのを今でも覚えている。

この頃は丁度四動がブーム、子供も出来てもう少し車内が広くて使い易い車が欲しいと
考えていた。日産テラノと迷ったが、最後はサンルールが電動フルオープンというところで
件の叔父には「今回は」と仁義?を切って5台目はトヨタのハイラックスサーフを選択した。

ディーゼルターボ、サンルーフで寒冷地仕様というスペックを選んだら納車に3ヶ月掛かると
言われた。
仕方が無いので、それで構わないが、それなら税金対策から4月以降の登録にしてくれてと
言うことで契約をしたが、3月末になって今月登録、納車をさせてくれと煩く言ってきたので
妥協するがナンバーンがシニバン(死に番=ナンバーに42が入っている)にだけは絶対するな
と言ったにもかかわらず納車された車は42-47としっかりシニバンだった。
頭にきてそのセールスマンは出入り禁止、メンテナンスも別のディーラーに変更した。

後部座席を畳み、荷台とフラットにして布団を敷いて二人の娘を寝かせキャンプも含め
毎週のように出かけたものだった(その頃はチャイルドシートは法令化されていなかった)

数年たった時にT字路で横から飛び出したバンにぶつけられて3ヶ月修理に掛かり、
ラダーフレームを換装したが、修理が上手かったのかその後も元気に走ってくれ15年、
13万キロ程乗った。

この頃はバイクが遊びの中心になり、車は家の用でしか乗らない様になっていたので安い
中古車で十分と判断、近所のディーラーで100万円位の車を探してもらっていた。

希望にあう価格の中古車が入ったと連絡があり、試乗した後、カミサンを呼んでその車を
見せたが、カミサンは奥に置いてあったエスティマに目を付け、こっちが良いと言い出して
結局6台目はエスティマ(240)になった。

サンルーフ付きというスペックに文句は無く、3年落ちの割には走行距離が6万キロを越えて
いて足回りはヘタリ始めているだろうが、走っていない車よりある程度乗り込んでいる車の方が
調子が良かろうということもあり試乗の結果、予算の倍近くであったがこれに決めた。

試乗の時にセールスマンからエンジン回して引っ張りますねと言われたが、バイク乗りの
四輪に同乗すると概ね皆さん同じ様な運転をしていて笑ってしまう。

購入してから仕事で毎週のように長野県まで往復する時期があり、2年間で5万キロほど
オドを増やしたが長距離には適していてこの車で正解だったと思っている。

娘は大きすぎて運転しずらいと言うが、どうせ初めのうちはこすったりぶつけたりする
だろうし、13万キロを越えたがまだ特に不具合も無いから暫くはこの車で練習して
もらおうと思っている。

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4 コメント

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まるでCGライターのよう ( kaorru)
2012-04-03 04:55:09
MOMOさん、おはようございます。
「車歴」楽しく読ませていただきました。
日野コンテッサからエスティマまで、とてもマニアックな記述で、まるでCGライターさんの様な書きっぷりでとても面白かったです。
返信する
CG (MOMO)
2012-04-03 11:26:51
kaorruさん、

朝5時前の書き込み、早起きですね~

CGは愛読雑誌でしたから、無意識の内に
影響されているのかもしれないですね
特に長期テストの記事は楽しみにして
いました。
返信する
懐かしい! (Ed)
2012-04-03 14:17:10
日野コンテッサ。

私はコンテッサ900を探して、友達と中古車屋を歩き回ったことをおもいだしました。

結局買わなかったのですが、兄の友人から一日借りてドライブしたことがあります。

MOMOさんは勿論、コンテッサ1300ですよね。ルノーから踏襲されているRRの美しいデザインでした。

今もまだコンテッサ・クラブがあるようです。
返信する
40年 (MOMO)
2012-04-03 15:52:15
Edさん、

Edさんには遠く及びませんが、40年前ですから
ねぇ~
今の人は日野が乗用車作っていたなんて
知らないですよね、いすゞのベレル、べレット
辺りも知らないかも

ミケロッティデザインのコンテッサクーペ
1300SUツインキャブでした。
ご存知のようにRRなので長いリンケージを
経由したミッションやクラッチは重たくて
長距離を走ると足が疲れて・・・


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