20歳そこそこの、あお~~い時代、無鉄砲怖いもの知らずで、 仲間、友人、知り合いの力を借り、夢を形にしたことがある。
それは、ある晩、夢だった思いを、友人(今では恩人)に語り、協力を求めたことから始まった。周りの迷惑省みず、自分の技量は横に置き、動けるだけ動き回り、聞けるだけの耳で仲間の話を聞きつつも、エゴたっぷりに、ささやかな軍資金をかき集め、乏しい知識をかき集め、
沢山の友人仲間知り合いの援助で、たった二回の夢を実現。
遠い昔の事、だが感謝の気持ちは時がたつほど大きくなる。
最後までやり通しやり終えた事だけは、今の自分に、大きな支えとなって生き続けている。(自分のトラウマの一つが、小学生時代成績表に罰点が付いていた「最後までやり抜く子」と言う言葉)
昨年、ピアノを初めて半年過ぎてであった映画「ボヘミアンラブソティー」。気持ちよく泣きたくなると一週間に二度も映画館へ行ったりして、クィーン、フレディ、そしてロック、ほとんど未知の世界に足を踏み入れ、ピアノ弾くフレディに憧れ、楽譜購入するも、なんとかポロンポロン。
新コロナの騒ぎが始まった今年の春出会った、フレディ愛あふれるブログ&ピアノ愛いっぱいのブログをフォローし、新しいアメバブロの世界へ迷い込む。
仲間への憧れ、ものつくりへの憧れは、胸の奥でくすぶりつづけ、この春、始まったクィーン1分演奏にはまってしまった。リレーの思いのこもった演奏、熱く暖かい繋がりを紡いでいくように、続くいていくブログに、楽しく、時に、ウルウルしながら、読み聞いていた。
そして、ブログには、毎回、ラストの「ご参加ください~」の声が。
遂に、無鉄砲怖いもの知らずの自分が、頭をもたげてしまった。
必死でカメラを固定して見たり、音量を編集するアプリ探してみたり、一分間なのに、とちる!椅子がきしむ!車や隣の声が!! 皆が簡単に動画投稿できる時代に、DVDやビデオテープを編集していたおばさんが、何もわからぬまま、入り込んでしまった。
思いは、クィーン&フレディへの憧れ、そして、沢山の熱い思いの暖かい繋がりへの自分なりの感謝。フレディの歌う姿を思いながらの必死の一分。大切な心のこもったバトン持受け渡すことは、なんとか出来た。嬉しくありがたい瞬間だった。
ほんの一分でも、昔の思いがよみがえり、ご指導援助いただきながら、途中で投げ出さず、バトン落とさず、形に出来た事に、充分に満足、安堵。
結局、無鉄砲でこわいもの知らずな自分は、相変わらず。父の介護が続く中でも、胸の奥が、ざわざわ。気のせいか?! 先日、夢実現に手をかしてくれた仲間と、久々の電話で、思い出話。
○十年ぶりに再開する約束をした。コロナ次第だが...。
あと何年いただいている寿命かわかりませんが、人生後半戦、お楽しみは、まだこれから...な・の・か・も...
(相方の不安そうなな顔が、目に浮かんできた)
それは、ある晩、夢だった思いを、友人(今では恩人)に語り、協力を求めたことから始まった。周りの迷惑省みず、自分の技量は横に置き、動けるだけ動き回り、聞けるだけの耳で仲間の話を聞きつつも、エゴたっぷりに、ささやかな軍資金をかき集め、乏しい知識をかき集め、
沢山の友人仲間知り合いの援助で、たった二回の夢を実現。
遠い昔の事、だが感謝の気持ちは時がたつほど大きくなる。
最後までやり通しやり終えた事だけは、今の自分に、大きな支えとなって生き続けている。(自分のトラウマの一つが、小学生時代成績表に罰点が付いていた「最後までやり抜く子」と言う言葉)
昨年、ピアノを初めて半年過ぎてであった映画「ボヘミアンラブソティー」。気持ちよく泣きたくなると一週間に二度も映画館へ行ったりして、クィーン、フレディ、そしてロック、ほとんど未知の世界に足を踏み入れ、ピアノ弾くフレディに憧れ、楽譜購入するも、なんとかポロンポロン。
新コロナの騒ぎが始まった今年の春出会った、フレディ愛あふれるブログ&ピアノ愛いっぱいのブログをフォローし、新しいアメバブロの世界へ迷い込む。
仲間への憧れ、ものつくりへの憧れは、胸の奥でくすぶりつづけ、この春、始まったクィーン1分演奏にはまってしまった。リレーの思いのこもった演奏、熱く暖かい繋がりを紡いでいくように、続くいていくブログに、楽しく、時に、ウルウルしながら、読み聞いていた。
そして、ブログには、毎回、ラストの「ご参加ください~」の声が。
遂に、無鉄砲怖いもの知らずの自分が、頭をもたげてしまった。
必死でカメラを固定して見たり、音量を編集するアプリ探してみたり、一分間なのに、とちる!椅子がきしむ!車や隣の声が!! 皆が簡単に動画投稿できる時代に、DVDやビデオテープを編集していたおばさんが、何もわからぬまま、入り込んでしまった。
思いは、クィーン&フレディへの憧れ、そして、沢山の熱い思いの暖かい繋がりへの自分なりの感謝。フレディの歌う姿を思いながらの必死の一分。大切な心のこもったバトン持受け渡すことは、なんとか出来た。嬉しくありがたい瞬間だった。
ほんの一分でも、昔の思いがよみがえり、ご指導援助いただきながら、途中で投げ出さず、バトン落とさず、形に出来た事に、充分に満足、安堵。
結局、無鉄砲でこわいもの知らずな自分は、相変わらず。父の介護が続く中でも、胸の奥が、ざわざわ。気のせいか?! 先日、夢実現に手をかしてくれた仲間と、久々の電話で、思い出話。
○十年ぶりに再開する約束をした。コロナ次第だが...。
あと何年いただいている寿命かわかりませんが、人生後半戦、お楽しみは、まだこれから...な・の・か・も...
(相方の不安そうなな顔が、目に浮かんできた)
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