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スポーツ観戦&体験記、
映画&ドラマ鑑賞記、
日々の出来事などを、綴ってまいります

汗と涙と仲間と笑顔・・・感動満載!!2024パリオリンピック

2024-08-23 09:44:05 | 暮らし&行事

感動と驚きと汗と涙(と、SNS話題満載)の2024パリオリンピックが終わりました。

 

 

 

 

もうすぐ、始まるパラリンピックの前に、胸熱だった二週間を振り返って・・・

 

4年に一度しか見られない、世界のあちこちから選手が一度に一か所に集まって、様々なスポーツで競い合う、スポーツ大会のお祭り、それがスポーツ大好き、オリンピック好きの、自分のオリンピック定義!?

 

酷暑の7月、ヘタレそうな身体に、オリンピックの熱戦パワー注入。とはいえ、深夜にかかる熱戦は、翌日の仕事を考え途中で断念。朝起きて、嬉しい知らせに、朝からパワー充電なんて日が何度も❗️


テレビに張り付くように、様々な試合の放送を見ていたが、実は、幼い頃は、オリンピックで見るのは体操(それも男子)。

 

理由は、大好きな俳優が、元体操選手でオリンピックを目指していたと知ったから。

 

前田禎穂という青年が、体操でオリンピックを目指して日体大で練習中に腰を痛め、夢を断念、千葉真一として俳優の道へ。どんなふうに練習していたのかをこの目で見たのは、ずっと後になってから。鉄棒の腕前を映画で披露、(その前にCMで見せてくれた?!)得意だったというあん馬の映像はないが、千葉ちゃんのキックの足先や、飛び込みの身体の線の美しさを見るたびに、体操選手の千葉ちゃん、いえ、前田青年の体操に明け暮れた日々が想像できる。

 

そして、オリンピックの男子体操の見始めて、月面宙返りの着地成功を初めて見た時の衝撃は、今でも覚えている。離れ業のはらはらドオキドキワクワク、素晴らしい日本代表選手をたくさん見てきた。

 

そんなわけで、今回も、最初のお目当ては男子体操。

 

体操男子団体戦、完璧な中国船主の演技に、半ばあきらめて眠った翌朝の驚き、喜び!録画を見て、涙。個人競技でもあるが、熱~いチームワークが胸に迫りました。様々な国の選手たちの、美しく見事な技の数々、そして、中国選手の身体の線の美しさ、力強さは、やはり、素晴らしかった。

 

試合は、「体調」「メンタル」「運」等々、多くの要素が絡まって結果が出ると、だいぶ長く生きて来て何度も感じてきた。だからこそ、奇蹟を願って応援してしまう。

 

しかし、今回の選手の活躍は、素晴らしかった❗️毎日のように増えたメダル!素晴らしい結果にただただ拍手!!あと一息の敗戦の熱戦にも、拍手!!


フェンシングの大活躍に興奮し、マラソン日本選手の奮闘に拍手し、初めて知った近代五種という過酷な競技のメダルにも拍手。そして、とってもうれしかったのが、オリンピックの度に見ていた、飛び込みの銀メダル❗️中国選手独占から、ついに日本選手が、メダルに届いた‼️

 

勝者は一人しかいない厳しい勝負の世界に、体一つ生身で挑む人々の泣き笑いのドラマ。最後の最後まで気持ちとぎらせずに手にした金メダル、あと一歩の悔しさが詰まった銀メダル。見事な輝きだが、特に、今回は、再び立ち上がって掴んだ銅メダルの選手の涙と笑顔に、何度も胸が熱くなった。

 

選手たちが、国内の沢山の戦いに勝ち残り辿り着いたオリンピックは、4年に一度。体調維持には長くもあり、準備にかける時間としては短くもある。メンタル、体調、そして運も味方につけて、手にできる、オリンピックのメダルは、本当に特別で、格別なのだと思う。

 

オリンピックの度に増えていく、国をこ終えた試合後の選手同士の抱擁、そして、試合後のインタビューに答える姿にも、感動させられた。なんて、クール!!大泣きする姿に注目が集まったが、見ているものも大泣きしたいシーンが、沢山あった。それでも、マイクに向かう姿は、凛々しくて、こっちが泣けてきそうだった。

 

今回も、いいことも、よくないことも、話題がたくさん詰まったオリンピック。マイウェイを聞きながら、4年後、また見られるのか、自分は、どこで観戦しているのか、歳と共にそんなことを考えはじめた閉会式だった。

 

工夫を凝らした魅力たっぷり意外性に富んだ、開会式、閉会式は、選手たち、かかわってきた人々、ボランティアへのねぎらいと、開催地の人々への感謝の気持ちがこもったお祭り&儀式。

 

気候や、世界情勢が変化していく中、4年後のロスアンゼルスオリンピックが、無事に沢山の国が参加して、沢山の笑顔の中で(悪意より善意があふれる中で)開催されることを、祈っている。

 

帰国した選手の特番をチラチラ見ていますが、メダリストだけではなく、大好きな球技のあと一歩の試合の応援も記憶に残っている。

バスケ、サッカー、バレーボール、卓球、ハンドボール etc....

4年後が、すでに、とっても、楽しみになっている。

 

そして、あの初老ジャパン(何処が?! 熟年とも違う気がする)と言われた馬術団体の銅メダルメンバーが、また活躍されることを願っている。そして、その時はもっともっと、馬術競技を詳しく見てみたい!TV放送してほしい!!どんな競技なのか知れるのも、オリンピックならではの、楽しみなのだから。

 

この『願い』、昭和生まれのテレビ育ちの自分ならではの、(時代遅れの)お願いかもしれないが・・・。

 

平和のスポーツの祭典は『夢』

 

だが、少しでも、夢に近づきますように、願い、祈っている。

 

オリンピックが在る幸福に、感謝!!

 

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お殿様のお部屋は……秋田秘湯旅行、最終章、締めくくり

2024-03-06 22:58:27 | 暮らし&行事

気温差頭痛と花粉にやられつつ仕事に追われた二月でしたが、何とか確定申告が終わり(会社が変わっていく中で、給与が報酬に変わり提出し始めたのですが、父の分は、昨年中、亡くなって4か月以内に準確定申告というものをしなくてはならなかったことを知り、ショック!!)

 

やっとブログ再開、何とか最終章へ。

 

父とお別れ旅行の最終日は、不忘庵のお湯に、料理に、しっかり癒されて、もう一つ最後のお楽しみ、不忘閣の見学へ。

 

不忘閣は、お殿様や著名人が泊まられた部屋で、保存の為でしょうか、数時間だけ説明案内付きで公開されていて、朝食後、希望者はロビーに集まり、二階の廊下の奥の通路、階段を上って、上って、一番上の部屋へ。

 

通路の壁には、お殿様がいらした時の様子を記録した日記のようなものが飾られていました。下はその一部。

 

 

 


お殿様、お姫様がお泊りになられ、小説「もみの木は残った」が書き終えられたという部屋、廊下からは題材になったもみの木、遠くの景色が見渡せました。

 

 

 

代々引き継がれた建物は、今も親族がそのままに守られているが、保存が大変で、年期の入った建物は、強風が一番怖いそう。

 

 

お姫様と泊まったお部屋には、鎧兜や、刀等々。

 

 

 

 

そして、先祖代々の資料、覚書なども展示されていました。


  

 

 

しばし、別世界に連れて行ってもらったような、不忘庵、不忘閣で過ごしたひと時でした。

 

 

 

 

蔵王のお釜の入り口や、紅葉の滝を見ながら帰宅。

 

 

 

 

 

 

 

 

不安と感謝、懐かしさと淋しさの入り混じった、三泊四日の旅。

 

無事帰宅して、仏様に父に感謝して、安堵と新たな寂しさをかみしめることになりました。

 

 

 

あっという間に、もう半年が過ぎ、父の部屋だった場所は、今、古い着物が山積みに。

 

姑、祖母、叔母からの年代物の着物、帯、和装小物たちを、整理&リフォームしようと、友人にも協力してもらい計画中。(ご先祖様のものは、なかなか捨てることが出来ません)

 

10年住んだ主がいなくなった部屋を見ては、淋しさを感じていましたが、新たな楽しみの場所に変え、忙しさで紛らす計画進行中です!

 

次回は、今年見た、映画たちの感想を!

 

 

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温泉の癒しで、ホッと一息・・・秋田秘湯旅行、最終章

2024-02-08 23:18:31 | 暮らし&行事

2月に入り、節分の儀式、豆まき&一陽来復深夜飾りが終わりました。

 

家の中も外も豆だらけ。日帰りで、娘一家とスキーに出かけて、夜遅い時間になってしまいましたが、しっかり豆巻きして鬼を追い払いました。

 

二十年以上はいていなかった、スキー板。滑れるのか?!ドキドキ。リフト無事降りられるのか?!ドキドキ。なんとか無事コケず孫と滑ってきました。

 

娘一家の日帰りスキーは、温泉に入るのがお決まりのパターン。

秋田以来の温泉公衆浴場のジャグジーで全身マッサージしてもらいながら、秋の秘湯の宿を思い出していました。

 

 

おそくなりましたが、

 

秋田秘湯旅行の最終章へ。

 

 

父を秋田の母の元へ帰し、いとこのお店に行けて、念願の映画館も見られて、帰路の途中、いよいよ、相方が、楽しみにしていた、秘湯の宿、不忘庵へ。

 

雨の中暗くなって山道で迷い、くねくね道をギリギリヒヤヒヤUターンしたりして、予定時刻大幅に遅れて到着。

 

早速、秘湯の湯へ。

 

お殿様、有名作家、著名人も愛した秘湯は、源泉かけ流しはもちろん、石のお風呂に、プールのように大きな湯舟(頭が良くなるらしい?!)二人入るのがやっとのプライベートな変わった石のお風呂に、大きい木の板の入浴札で、が置かれた貸し切り蔵湯まで、5つの湯。露天風呂は半露天のみですが、充分、満足!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

入浴後の休憩室に、試飲の日本酒、ワインのサービスを見つけて、ルンルン。注いでみたら、皆、、空っぽ!残念‼️

 

綺麗に盛り付けられた美味しいお料理に日本酒。相方さんは、マツタケのお吸い物に上機嫌。

 

 

一気に、アルコールが回った三人でしたが、年季の入った立派な木造階段を降りて、上って

、更に、部屋まで、階段をてくてく。エレベーターは、無し。

 

 

 

3階到着。ヘタレていたら、もっと上のお部屋に向かう先輩御婦人発見。秘湯愛好者は、健脚が多い!?(一階にも、お部屋あります!)

 

 

貸切風呂が空いたのを見て、早速、娘と、階段降りて、入り口へ。木札を裏返し、中へ。

 

歩いて、歩いて、

 

 

拝んで、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

辿りついた蔵の扉を開けると

広々体育館のような蔵に、檜の浴槽一つ。

 

 

 

 

 

お湯の音を聞いて、眺めているだけで、癒しの空間が広がります。

 

 

翌朝、入らなかった、相方さんも、見学。

 

 

朝食後は、お殿様の泊まったお部屋見学ツアーに参加することに。

 

 

だいぶ、長くなりましたので、

続きは、次回へ。

 

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あたらしい辰年が、少しでも良いことが多い年になりますように・・・・千葉ちゃんのお誕生日に思いをよせて

2024-01-24 23:49:11 | 暮らし&行事

もう小正月も過ぎてしまいましたが、
秋田旅行のお話を、一拍お休みいただいて・・・

 

ふと気づけば、今日は野際陽子さんのお誕生日でした。

 

その二日前が、そう、千葉ちゃんのお誕生日でした。
(ご本人に確認するまで、123の1月23日と、思っておりました)

あちらの世界では皆さんで賑やかにされているのでしょうが?
熱く新作映画の話を語りあっているのでしょうか?

集まって語り合い!そんな思いで過ごす、1月22日。

 

センチメンタルへ落ちていきそうな気分を紛らすように、慰めてもらうように、
ため込んでいた録画番組を見ていました。

昼間には、バーンスタイン「復活」見て、仕事へ。

そして、夜、ロッカー宮本浩二のコンサート。
熱く歌う姿、声が、どこかで、かぶってきて・・・
「化粧」で、ぽろぽろ・・・

そう、熱い人、好き。
出会ったその夜を思い出してみる。

小学4年の夜、飛び跳ね転がる躍動感と笑顔に、あっという間に心奪われた。
 

ずっと、ずっと、前を向く姿を追いかけていた。

 

あちらの世界に旅立って、寂しさが、だんだん大きくなる気がしています。

 

沢山の熱い人のパワーを集めて、いただいて、
少し身軽になった自分にできることを、少しずつ初めていきたいと思っています。

ずっとずっと、触れずにいた、HPやら・・・
歳負けない?!歳相応の?!身体つくりやら・・・

 

そして、日記の更新も・・・

 

次回は、秋田旅行の最後の秘湯の宿、
思い出の貸し切り蔵風呂のお話を、もう一度、温泉気分を思い出しながら・・・・

 

12年前の、

姐さんが逝き、母が逝き、新しい命がやってきた怒涛の辰年から一回り、
 

父が偲びながらのラオケ店で大揺れから始まった、辰年。

 

 

良いことが、悪い事より一つでも多くありますように・・・・

涙より、笑顔が多く願いながら・・・・

一陽来復とお守りを買ってきました。

 

 

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母からの預かりものを、お返し出来ました・・・・お別れ見送りの7月

2023-08-05 11:13:02 | 暮らし&行事
酷暑中お見舞い申し上げます。



大雨が終わると、一段と厳しいっ日差しが復活。運動しなくてもこんなに汗かけるなんて!と喜んでいる次元ではない大汗かいて、父の病院通いしておりましたが、二週間前の朝、母のもとへ旅立ちました。


母の脳血種手術の為の上京し、5月手術で15年前の親指爪のメラノーマのだったことが判明、10月に亡くなり10年。妻に先立たれた父は、生まれ育った秋田で、山菜キノコ紅葉すべて母の運転する車で、いつも二人一緒に出掛けたり、すべて8歳年下の母だより。



そのまま、娘の嫁ぎ先に世話になることになった父。幼くして両親を亡くし、戦時中、池袋の叔父叔母に育てられた為、一人大好きな秋葉原へお買い物に行ったり、池袋の映画館に行ったり、高尾山に行ったりしていましたが、数年後、道に迷い、デイサービスで、認知症おすすめの病院と先生を聞いてきてくれて、すぐ診断も出てシールでの治療が始めることが出来ました。



孫、ひ孫との暮らしは、幼い頃の長屋で多人数暮らしと似ていいたり、育ての親と、娘姑夫婦の墓地が一緒で、墓参り出来たり、家庭菜園や金魚メダカと、離れがたかった実家での暮らしとかぶっていたり、「〇〇さん、楽しかったね」と、髄膜炎になる前、書き残した母。父が寂しくならないように自分に預けていったと、何度も思いました。



腎臓結石からの発熱を2年ごとに繰り返しコロナ明けに3年目の発熱。入院したとたん、飲みこみ不可、声が出ない、左半身まひ再発と、一気に重病人に。熱が下がり、ソーシャルワーカーさんに病院紹介してもらい転院(二件見学)となりました。



面会10分二名二週間が一週間おきになり、危篤でいつでもOKとなって約二週間。皆二回ずつ会いに行き、長女とひ孫の声に目を開け、何か言いたくてたまらなそうに口を動かす父の手を握り眠らせ別れた翌日朝、危篤(呼吸停止)の連絡入り、かけつけた大好きな次女が手を握った瞬間、心臓が止まりました。(次女は、祖母二人、ぎりぎり看取ることが出来ませんでした)



家に戻りみんなで見送れる日を選んで、母が迎えに来てくれました。

ひ孫にもやっとゆっくり会えて、賑やかな声を聞きながら眠る父の髪頬を、病院でできなかった分たっぷり撫でて・・・・・
大好きな花に囲まれて眠る父は、二日前に風呂にも入れていただき、髪も髭もいつもきれいにしてもらい、大好きなテレビをつけてもらい、面倒だった食事も体操からも解放され、穏やかな最期の日々を過ごすことが出来ました。



「継がなくていいから、世話だけは見てくれ」

好きなことがしたいと18歳で上京するとき父がいった一言が忘れられず、家を出るまで、出てからも、お互い忙しく話すことも出来なかった父との10年は、母から父というバトンを引き継いだような日々でした。




気が付けば、相方の父の命日の翌日、母の月命日、姑の亡くなった7月を選んで、父も逝ってしまいました。



まだ、二人を一緒に大好きな山に返す仕事が残っていますが、

そろそろ、何かを始めたいと思っています。



姑介護12年が終わった時、パソコンをいじり始めたように・・・

 

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