Tik's little window 

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社会の子(供)の旅立ちイベント

2010-09-30 00:00:00 | 暮らし&行事
 今月、大きな出来事があった。

 思い起こせば、二十数年前の秋・・・その子は、突然やって来た。

「元気なお子さんですよ。」と、お医者様。自分は実感も何も無く『その子』の出現に、うろたえボロボロ状態。迎える用意もまだ先、心の準備など全く出来ず、混乱し不安渦巻く中、これから姑になる女性(ひと)に「あなたの子ではなく、社会の子なのだから、しっかり育てなさい。」と、赤飯と一緒に、言われた。

 そして、妻と同時に親という、第二第三の人生がはじまった。

 思い出すのは、泣き顔ばかり。

 3歳、姉になった日、母と病院に見舞いに来た帰り、玄関から聞こえてきた泣き声。

 5歳、来て行く服が気に入らず、大喧嘩で、大泣き大パニック。

 12歳、数学の最初の授業の日、家に帰って「”-1”の意味が分からない!」とパニック
大泣き、噛み砕いて説明した。同年、テニスのダブルスの試合では、先輩と組んで惜   敗後、声もかけられない程、同級生も唖然とする程号泣。(悔し泣き出来るくらい頑張れる姿が、羨ましかった。)

 15歳、高校に行く意味が見つからず悩むも、入った高校で人生の恩師二人に出会い、気がつけばせっせと 6年間大学に。そして、そこに、人生の大きなが出会いが・・・。
 が、気がつけば、パートナーと出会って5年、就職して半年、気がつけば、自分が初めて出会った歳をとっくに過ぎて、『その子』は、第二の人生へ踏み出す準備を始めた。

 危な気で頼りない自分のところへやってきて、親にしてくれたことに何度も感謝してきたが、花嫁衣裳を選ぶ姿を見る楽しみは、格別だった。晴れの日、パートナーの隣りで、落ち着いた様子で微笑む姿を見ながら、亡き姑の留袖に身を包み、ドキドキする度、姑に「社会の子に育ったでしょうか?」と聞いていた。

 寂しいというよりは、ちょっとホッとしたような、でも、まだまだ伝え切れていない事が沢山でやり残しばかりの、至らぬ自分に頭を抱える。もちろん全力投入してきたつもりだが。

 これからは、ちょっと長く生きてきた先輩&経験者として、側で、一緒に生きていけたらと思う。今回、初めて両親が、慣れない飛行機に乗ってやって来て、側で自分たちを支えてくれたように、自然に、さりげなく。日々、姑に手を合わせ、感謝しながら。
コメント
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