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雨宮処凛がゆく!第476回:渋谷の児童養護施設・施設長刺殺事件。の巻

2019年03月06日 | 事件
 
 

 千葉県野田市で虐待を受けていた栗原心愛ちゃんが亡くなった事件を受け、このところ、児童相談所が注目を浴びている。

 そんな児童相談所と同じ児童福祉法に基づく施設・児童養護施設で2月25日、施設長が刺殺されるという事件が起きた。

 一報を耳にした時は、「子どもを施設に入れられた親が逆恨みして施設長を刺したのか?」という予想が頭をよぎった。心愛ちゃんの事件から、そんな連想をしたのだ。しかし、違った。容疑者として逮捕されたのがその児童養護施設で3年間を過ごした22歳の若者であること、施設に「恨みがあった」と語っていること、施設関係者なら「誰でもよかった」と話していることを聞いて、目の前がどんどん暗くなっていった。しかも容疑者はネットカフェを点々とする生活で、所持金はわずか数百円だったという。

 この連載でも何度も書いているが、ホームレス状態の若い世代を取材していて、もっともよく耳にするのが「児童養護施設にいた」ということだ。

 現在、非正規雇用率は4割に迫り、その平均年収は172万円。特に若年層ほど非正規雇用率が高いわけだが、その多くがホームレス化していないのは、大なり小なり「家族福祉」の恩恵にあずかっているからだ。例えば、家賃滞納をしてアパートを追い出された時に帰る実家がある、困った時に親に泣きついてお金を貸してもらえる、もともと実家に住んでいるなど。ちなみに、私と同世代の35〜44歳で親と同居している未婚者は約300万人。ひと昔前は、35〜44歳で未婚、実家暮らしという層はほとんどいなかったわけだが、今は低賃金ゆえ実家を出られない人が多くいる。が、裏を返せばその層は、「実家」というセーフティネットがまだ機能している人々という言い方もできる。

 しかし、児童養護施設出身者の多くは、親には頼れない。虐待を受けていたり、貧困だったりという理由から施設に入ったのだ。そんな若者が施設を出る時にどのような困難が待っているかはあまり知られていない。私がこれまでの取材で聞いたのは、「未成年で親がいないと携帯の契約ができない」「仕事に就く際に保証人が必要でも頼める人がいない」「不動産屋でアパートを借りたくても保証人がいない」など、自立に向けた第一歩目でつまずいてしまうという現状だ。

 もう10年以上前に取材した、当時19歳のA君もそんな一人だった。携帯を買うにも、不動産屋に行っても、「身寄りが一人もいない」事実を伝えると店の人は戸惑い、「異例の事態なんでわかりません」と言われてしまう。どこに行っても「異例」「特例」で、何をするにも「親がいる人」がおそらく生涯気づかない高い壁に何度も未来を阻まれる。

 彼の場合は、児童養護施設出身ではなく、里親家庭で育っていた。本人はそのことをまったく知らなかったのだが、18歳のある日突然「実は養子だった」と告げられ、「すぐに施設に入れ」と言われて本当に4日後には「自立援助ホーム」に入れられてしまう。実の親だと思っていた相手が里親と知るだけでもショックなのに、突然追い出されて施設に入れられてしまうなんて、世界が反転するような衝撃だったろう。

 ちなみに自立援助ホームとは、児童養護施設を退所した若者の受け皿として設置された施設。働きながら、自立を目指す。そこは20歳までいられると聞いていたが、なぜか彼は半年で出されてしまい、しかし、バイトをしてお金を貯めていたのでアパート暮らしを始めることができた。が、一人暮らしを始めると地元の「危ない奴」に「目をつけられて」しまい、執拗に絡まれ、バイト先やアパートに押しかけられるなどが重なる。警察に相談するもどうにもならず、アパートを出るしかなくなる。

 そこで、それまでいた施設に助けを求めるが、「管轄が違う」のでもう受け入れることはできない、「住み込み就職しかない」と言われる。「危ない奴」から被害を受けた時に連絡した警察に相談しても「住み込み就職しかない」と言われる。路上で倒れ、運び込まれた病院の人に「行くところがない」と訴えても、「うちはそういうことでは入院させられないから住み込み就職しかない」と言われてしまう。

 しかし、家がなく、住民票も身分証明も何も持たない少年を、いきなり住み込みで雇ってくれるところなどあるだろうか。結局、彼は長い期間をホームレスとして過ごし、その間、教会で寝かせてもらったり、山奥の牧場でなんとか住み込み就職をしたりと各地を転々とした。「普通の仕事」を求めていたが、警備員なども身分証明が必要なのでできなかったという。

 その後、彼は支援団体に出会い、生活保護を受けるのだが、10代にして「家族福祉」を突然失い、その後、施設や警察や病院などに助けを求めても「誰も助けてくれなかった」という事実、そして路上で寝ている自分を気にかけてくれる人は誰ひとりいなかったという現実は、大きな大きな傷となって残っているようだった。突然自分を放り出した里親への複雑な思いも大きいようだった。

 社会に対する、怒りと不安。どうせ自分はどこに行っても「異例」「特例」扱いという思い。そして実際、「親がいない」ことから降りかかる数々の困難。生活保護を受けたものの、しばらくすると、彼は再び路上に戻っていた。それから何度も顔を合わせているが、どこに住んでいるのか、今は路上なのか生活保護なのか、なかなか聞くことができないままだ。ただ、少年期のあまりにも過酷な経験が、彼を今も苛んでいることは伝わってくる。

 今回、逮捕された容疑者がどんな人生を歩んできたのか、それはわからない。しかし、報道から断片的に伝わってくる様子からは、彼の苦悩が垣間見える。家賃を滞納して大家さんとトラブルになった際には、錯乱状態で壁にハンマーのようなもので穴を開けていたという。もうどうしていいのか、わからなかったのかもしれない。18歳で施設を出て自立を目指すしかなかった彼には、私たちには見えない壁がどれほどあったのだろう。

 なんで自分だけ。そんな思いがあったのかもしれない。

 もちろん、どんな背景があるにしても、彼のしたことは決して許されることではない。

 しかし、自らの18歳から22歳を振り返ると、そんな時期に「自立しろ」とせかされたら、生きられなかったかもしれないとも思う。いろんなことに躓いて、時に世間知らずゆえ騙されて、自分に何ができるかなんてまったくわからなくて、時に勝手に社会を恨んだ。だけど私の場合は、家賃を滞納すれば親に泣きついたし、最悪、実家に帰ればいいという逃げ場があった。だからこそ、いろんなことに挑戦できた。そして、それがどれほど恵まれていることかも知っていった。周りの友人の中には、実家や親には頼れないという人が多かったからだ。その理由は「実家が貧しい」ということで、そんな友人たちが風俗で働いたり援助交際したりすることを、私は何も言えずにただ傍観していた。傍観することしかできなかった。

 この国に、もう少し、「自立」に向けての躓きを見守る余裕があったら。

 「若い頃ってそうだよね、特に児童擁護施設にいたら、いろいろ特別なフォローが必要だよね」と、躓きや寄り道や小さな間違いが許される社会だったら。社会として、そんな制度や受け皿があったら。そうしたら、こんな事件は起きなかったかもしれないと思うのだ。実際、ヨーロッパでは、施設出身者はホームレス化しやすいということが広く認知されているので、そのための支援がちゃんとある。しかし、日本はあまりにも手薄い。

 「昔の施設出身者は、住み込み就職でもなんでもして頑張ったんだ」と言う人もいるかもしれない。実際、私のかなり年上の知人にもそんな経歴を持つ人はいる。しかし話を聞くと「昔の日本には、施設出身の若者を一人前に育てようという気概のある中小企業の社長がいたんだ」と驚くばかりで、参考にはならない。なぜなら、「若者を育てよう」などというような機運は今、社会からとっくに失われ、とにかく1円でも時給が安く、いつでも切れる労働者ばかりが求められているからだ。使い捨て労働が蔓延するということは、労働によって社会に包摂されてきた弱い立場の人々も見捨てられるということだ。社会がそうやって劣化することに、誰も歯止めをかけてこなかった。それよりも国際競争の方が大切だという社会が、何十年もかけて作られてきた。

 亡くなった施設長の大森信也さんは、報道を見ると、児童擁護の問題に熱心に取り組み、同僚や入所者からも信頼されていたという。熱意を持って現場で奮闘する人の命がよりによってこのような形で奪われたことに、改めて戦慄する。

 しかも、退所した容疑者に対する「支援」が事件の引き金になったのでは、とも報じられている。容疑者がアパートを出たあとも、施設職員は住まいや仕事の紹介をするなどの相談に乗っていたという。しかし、容疑者は「施設からの連絡が嫌になった」と供述している。また、アパートを出る前、容疑者が家賃滞納で大家さんとトラブルを起こした際にも職員は駆けつけている。大家さんの連絡を受けてということだから、おそらくアパートの保証人に施設がなっていたのではないか。その上、施設はアパートの修繕費など130万円も立て替えている。

 児童相談所も児童養護施設も、圧倒的に人手不足だ。そんな中、退所後もトラブルに駆けつけるなど「手厚い支援」を続けていたことが、逆に事件の引き金になっていたとしたら。

 一体、現場で動く人たちはどうしたらいいのか。どう対応すればいいのか。

 そう思うと、呆然と立ち尽くすことしかできないでいる。


雨宮処凛「生きづらい女子たちへ」79 日本と韓国の女地獄

2019年03月06日 | 社会・経済

雨宮処凛「生きづらい女子たちへ」79

日本と韓国の女地獄

  Imidas連載コラム2019/03/06

    20179月、韓国に行ったら、会った人全員が名前の後に「私はフェミニストです」と自己紹介した。女性はもちろん、男性も。2030代の数十人全員がだ。仕事ではなく、韓国で様々な活動をしている人やアーティストと交流するために行ったのだが、それでもフェミ率100%には驚いた。

 あまりにもみんなが「フェミニスト」を自称するので、思わず「流行ってんですか?」と韓国在住の日本人に聞くと、「今、無風なのは日本だけですよ」とちょっと呆れた顔をされた。アメリカの映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタイン氏のセクハラをめぐり、世界中を「#MeToo」ムーブメントが席巻する1カ月前のことである。

 そんな韓国で16年に出版され、100万部を超えるベストセラーとなったのが『82年生まれ、キム・ジヨン』だ。著者はチョ・ナムジュさん、1978年生まれ。201812月、日本でも筑摩書房から翻訳出版(斎藤真理子 訳)され、すでに8万部を突破。この本を「読んでいる」とK-POPアイドルが言っただけで「炎上」したという「フェミニズム小説」は、30代で子育て中の主人公、キム・ジヨンの半生を淡々と綴ったものだ。しかし、淡々とした記述の中に、女性であれば誰しもが身に覚えのあるだろう「あるある!!」が、23ページに一度くらいの頻度で仕込まれている。

 大小さまざまな理不尽、そして不条理。女だけにかけられた呪いだ。

呪い」はすでに、生まれる前から始まっている。

 例えばキム・ジヨンの母は、最初の子として娘を生んだ時、姑に「お義母さん、申し訳ありません」と謝罪している。そんな嫁に姑は優しく言うのだ。

「大丈夫。二人めは息子を産めばいい」

 しかし、そうして生まれた二人目も娘。それが主人公のキム・ジヨンなのだが、その後に母のお腹に宿った命は「女だから」という理由で堕胎されている。次に生まれた弟は「男だから」という理由で、あらゆる面で姉たちより優遇される。

 炊きたてのご飯が先に配膳され、傘が2本あれば姉妹が相合傘をして弟が1本を使い、布団もお菓子も2つしかない場合、常に弟が1つを独占する。学校に入れば、優遇されるのは弟だけではないこと、自分の意志とは関係なく性別で決められることの多さを突き付けられる。

 学級委員選挙では必ず男子が選ばれる。美化委員は女子で、体育委員は男子。中学に入れば、男子はスニーカーを履いていいのに女子には革靴しか許されない。登校途中に女子生徒たちが露出狂を取り押さえれば、「女の子が恥ずかしげもなく。学校の恥だぞ、恥」と謹慎処分を食らう。予備校の帰りに男子生徒につきまとわれ、恐怖のあまり父に迎えを頼むと、あとで父に叱られる。スカートが短い、服装をきちんとしろ、危ない人につきまとわれるのは「本人が悪い」のだと。

 

 就職を前に、呪いはさらに強烈になっていく。いい会社に行った先輩は全員男という現実。「同じ条件なら男性の志願者を選ぶ」と答えた大企業の人事担当者が44%いたというアンケート結果。「女があんまり賢いと会社でも持て余すんだよ」と言う学科長。1999年には「男女差別禁止及び救済に関する法律」が制定されているのに、「決定的な瞬間になると『女』というレッテルがさっと飛び出して」くる。

「どうしろって言うの? 能力が劣っていてもだめ、優れていてもだめと言われる。その中間だったら中途半端でだめって言うんでしょ?」(前掲書)。

 なんだか、既視感でクラクラしてこないだろうか? 小説はその後も「結婚、親戚付き合い、出産、退職、育児」と「女地獄」をバージョンアップさせていくのだが、それは読んでのお楽しみ。

 最近、女友達と会うたびに、「キム・ジヨン、読んだ?」が挨拶代わりになっている。読んだ同士は「すっごいわかるよね!」とその瞬間から「女の呪い」について語り合う。冒頭でも触れた通り、現在、韓国ではフェミニズムが盛り上がっており、その下地があったからこそこの小説も社会現象となったわけだが、そもそもなぜ、盛り上がっているのか。

2017年の韓国行きで知ったのは、二つの事件だ。

 一つ目は、15年に広まったネットのデマ。当時、韓国で流行していたMERS(中東呼吸器症候群)をめぐるものだった。デマの内容は、MERSを韓国に持ち込んだのは「無節操な女たち」である、感染しているのに隔離を拒否した、などなど。これに女性たちが対抗し、ネット上で女性ヘイトに対する戦いを始めたのだ。その手法は「ミラーリング」。鏡に映すように、女性へのヘイト発言をそのまま男性に置き換えて返したのだ。

 その翌年5月には、決定的な事件が起きる。「ミソジニー殺人事件」と呼ばれる事件だ。ソウル市江南駅近くのカラオケ店が入った建物のトイレで、20代の女性が30代の男性に殺されたのだ。被害者と加害者はまったく面識がなく、犯人は「女性たちから無視されるから犯行に及んだ」と供述した。

「女だから」という理由だけで女性が殺害されたこの事件は、韓国のフェミニズムに一気に火をつけた。私が韓国に行った際、出会う人が全員「フェミニストです」と自己紹介した背景には、このような悲劇があったのだ。「殺されたのは私だったかもしれない」という感覚。特に若い世代にはその思いが強いようだった。

そんな江南のミソジニー殺人事件を受けて韓国で出版されたのが、『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』である。同書も1812月、タバブックスより翻訳出版(すんみ・小山内園子 訳)された。

 本書の「はじめに」で、著者のイ・ミンギョンさんはこの事件以降、「もうそれまでと同じようには生きることができなくなりました」と書く。そして男性たちに、事件のことやミソジニーやフェミニズムについて説明することに、ひどく疲れたことを吐露する。なぜなら、「なんでそれが女性嫌悪なわけ?」とか「いまや女が弱者でもあるまいし……」「おまえ、ひょっとしてフェミニスト?」なんて言葉で話を遮られ、傷付けられるからだ。

「男性に理解させるために、どうして私たちがこんなに大変な思いをしなきゃいけないんだろう」

 本書は、そんな彼女が編み出した想定問答集のような一冊だ。もちろん、前提として、話したくない時は話さなくていいし、苦しい思いをして答える必要はないことが強調されている。

 読みながら、「共感の極み!」と何度も叫びそうになった。

なぜなら私は日々、無理解な男性に理解してもらいたい一心で、「必殺! フェミ返し」と名付けた技を編み出し、使っているからだ。例えばそれは、東京医科大学の入試において女子が一律減点されたという問題について語っている時などに使用する。その場にいた男性が「でも、医者はやっぱり激務だし、仕方ないんじゃない?」なんて口にした瞬間、「よっしゃ! フェミ返し行きます!」と頭の中でゴングが鳴るのだ。試合開始の合図である。

「では、入試や就職試験という人生を左右する機会において、『男性だから』という理由で一律減点されたらどう思いますか? 自分がもし同じことをされたら、『しょうがないか、男だもんな』と容認できますか?」

「フェミ返し」とは、このように男女を入れ替えることである。そのことによって、非対称性を理解してもらおうという技だ。ちなみにこれは本当に偶然だが、韓国の「ミラーリング」と一緒である。

 さて、「フェミ返し」された相手は一瞬口ごもるが、大抵の場合、「でも、女の人は子ども生んだり子育てしたりもあるから……」というようなことを言ってくる。そこで今度は、OECD諸国平均では医者の女性の割合は45%で、日本は最下位の20%であること、諸外国では妊娠、出産しても女性が医者を続ける制度が整っていることなどを主張する。

 そのくらいまで言うと相手は黙るのだが、まぁ、空気は最悪だ。みんなの顔に「メンド臭ぇ女……」とはっきり書いてあるのがよく見える。

 そのたびに、思う。なんでプライベートで人と話してるだけなのに、「朝生」論客ばりに神経を尖らせなくちゃいけないのか。なんでわざわざ嫌われ、場を白けさせてまで「理解されよう」としているのか。しかもなんで少なくない男性は、この手の話題になると「お前が俺様にわかるように話すのが義務」みたいな感じで「はいはい聞いてやるよ、お手並み拝見」みたいで偉そうなのか。

そういう一つひとつにどっと疲れるのだが、この本の著者のイさんは、私とまったく同じ理由で疲れ果てている。いたよ、韓国に。私とまったく同じ徒労感を抱える女が。それを知れただけで、本書は読む価値がある。いつかマッコリ飲みながら、日韓女子会でも開催したいものである。

 しかし、徒労感を抱えながらも韓国の女性たちは元気だ。本書の冒頭「日本の読者のみなさんへ」で、イさんは以下のように書く。

「韓国では江南駅殺人事件以降『どんなことにも屈しないでいこう』と叫ぶ女性たちが集まって、自分を、そしておたがいを、蔓延する暴力から守りはじめています。数万人で街に繰り出して『MeToo』と叫ぶ、中絶の権利を要求する、違法な盗撮を糾弾するデモを行う。そうやって世の中を変えている真っ最中です」

江南駅殺人事件が起きた16年の暮れには、朴槿恵大統領の退陣を求める「ろうそく革命」のデモ参加者がのべ1000万人を突破した。翌年、韓国では政権が交代。数カ月にわたって続いたろうそく革命の現場ではフェミニズムも大きなテーマとなっていたという。

 たて続けに読んだ2冊の韓国の本に胸を熱くしていた2月、『82年生まれ、キム・ジヨン』のチョさんが来日。イベントをするというので駆け付けた。

 満席の紀伊國屋ホールを埋め尽くしていたのは、多くが若い女性だった。マスコミ席には、ファッション雑誌『VOGUE JAPAN』もいれば、政治や社会問題を扱う雑誌『週刊金曜日』もいて、今にも時空に歪みが発生しそうだった。

舞台の上で、チョさんはろうそく革命や女性たちが声を上げている韓国の現実に触れ、「自分たちは、声を上げれば世の中が変わると体感している世代」と口にした。そうしていくつかの事例を紹介した。性差別発言をした有名人に女性たちが抗議し、発言を撤回させた例。盗撮反対デモが開催されたこと。「#MeToo」加害者が実刑判決を受けたこと。みんなそれを見ているから、声を上げれば世の中が変わると体感していること。

 1978年生まれのチョさんは、私より3歳下だ。そんな彼女がろうそく革命やフェミニズムのムーブメントを語り、「被害者への連帯」が大切だと口にし、「私たちは社会を変えられると共有している世代」とまっすぐ言う。活動家ではなくて、ベストセラー作家がそう口にする。そんな姿が、ただただ眩しかったのだった。

これからも、韓国のフェミニズムからは目が離せない。そしてそこには、私たちが今日から使えるヒントが詰まっているのだ。

 ※そんな韓国の動きに刺激され、私も女子にまつわる呪いについて『「女子」という呪い』という本で書きました。本書では、韓国のフェミニストグループ”ロリータ・パンチ”にも取材しています。ぜひ!