定時制のリアル(1)
困難を抱える子どもたちの学び直しの場として
埼玉県立川越工業高校定時制(前編)
imidas時事オピニオン 2019/03/15
https://imidas.jp/jijikaitai/f-40-176-19-03-g533
黒川祥子 (ノンフィクションライター)
17時、生徒たちが三々五々、「食堂」に集まってくる。授業開始の17時40分までが、給食タイムだ。埼玉県立川越工業高校定時制では、給食から一日がスタートする。厨房の前に並び、トレーに主菜、副菜、デザートが盛られた皿とごはんと汁物を載せ、思い思いにテーブルに着く。生徒たちはラフな私服で、髪を染めている子も多い。
「夕食には少し早い時間なのですが、実習の集中を切らさないために、授業の前に給食を食べるようにしています」
金子典之副校長が、こう説明する。川越工業定時制には「普通科」以外に、機械類型または電気類型を学ぶ「工業技術科」があり、実習は2~3時限通しで組まれている。その時間帯は、実習に集中させたいという思いが学校にはある。さらに給食にも格別の思いのあることが、金子副校長の話からうかがえる。
「わが校では、全日制の給食は業者に委託していますが、定時制の分は、学校の職員として雇用している栄養士や調理師によって調理されます。1食800キロカロリーを目安に、栄養満点の献立が組まれています。昼間、仕事やアルバイトをしてから来る生徒も多いので、少しでも栄養のある食事を提供したい」
この日のメインは、「五目たまご焼き」。鶏肉、ひじき、人参、枝豆、しいたけ、玉ネギ入りの分厚い卵焼きは、生徒への愛がたっぷり詰まった一品だ。副菜は「春雨のそぼろ炒め」、汁は「サンラータン」、オレンジのデザートと牛乳が付く。
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この日の給食は784キロカロリー。1日分の野菜の約3分の1が摂れる。
プロの目で吟味された献立は栄養のバランスを考え、埼玉県の食材を豊富に使い、細やかな工夫が凝らされたものばかり。「さわらの幽庵焼き」「タンドリーチキン」「さばのカレー揚げ」「回鍋肉」など、メインはどれもごちそう感満載だ。毎月19日は食育の日として、「世界の料理」が提供される。10月はブラジル、11月はスペインだった。このような給食を、生徒は月5000円(1食あたり250円)で食べられるのだ。
普通科2年の担任、社会科の新井晋太郎教諭(37歳)はクラスの生徒を見つけ、その横に座る。こうして生徒や教員が一緒に給食を食べるのも、川越工業定時制の日常風景だ。教員が生徒と一緒に給食を食べながらコミュニケーションするのも、食育の一環となっている。
汁物もおかずも作り立てで、ほっとできるやさしい味わい。おいしい給食だ。冷え切った仕出し弁当とは真逆の、手の込んだ温かな料理。新井教諭はこう語る。
「この一食が、生徒にはとても重要なんです。生徒によっては唯一の、食事らしい食事だったりします」
給食が唯一の食事らしい食事? 食べられればまだいい……、どういうことなのだろう。生徒たちは黙々と食べる。がやがやとした喧騒よりむしろ、ひっそりとした雰囲気が漂う。初めて足を踏み入れた定時制高校だった。定時制には、もっと荒っぽい要素があると思っていたのに……。
定時制の「現在」は?
私を含め、ある一定年代の人が描く、定時制のイメージがある。それが「ワルの巣窟」「ヤンキー・不良の集まり」といったステレオタイプのものだ。だが、実はそうした定時制高校の従来のイメージが今、一変している。
1980年代に定時制高校から教員生活をスタートした、英語科の長澤和美教諭(60歳)は、教員生活の最後を定時制で締めくくろうと、4年前に川越工業に赴任した。30年ぶりに見た定時制は、驚くほど様変わりしていた。
「昔と同じで、荒っぽい生徒が多いだろうと来てみたら、暴力的な雰囲気は全然なかった。いや、むしろ、元気がない。昔はほぼ全員がパンチパーマにしていたくらいですから、あまりのギャップに衝撃を受けました」
今、定時制の入学生の中で比較的多いのは、中学まで不登校だった生徒だ。なかには、小学校から学校に通えなかった生徒もいる。いじめや厳しい管理教育などに傷ついて家にひきこもっていた子どもたちにとって、社会や学校は恐怖に満ちている。それでも意を決して、学校に戻ることにしたのだ。そのような生徒たちが戻れる重要な学び直しの場のひとつとして、定時制が機能している。
ほかにも、生活保護世帯やひとり親家庭など、経済的に苦しい家庭の生徒もいれば、外国籍や外国にルーツを持つ生徒も多い。給食が唯一の食事らしい食事だという生徒がいるのは、家庭の中にさまざまな困難を抱えている所以だろう。
あるいは地域にある全日制に合格したものの、勉強に付いていけずに中退し、定時制に入り直す生徒も一定数いる。あるクラスには取材時、19人が在籍していたが、このうち、全日制を辞めて入ってきた生徒は7人いた。
一昔前のように、中卒で働かざるを得なかった子どもたちが大人になって、高卒資格を取得するために入学するというのは今やレアケースだ。また、地域の中学を卒業した、いわゆる“不良”たちは、学力面で問題があったとしても、ほぼ、全日制の中でも偏差値の低い「課題集中校」に進学するという。不良も、おじさん・おばさんも消えた定時制で学んでいるのは、さまざまな事情によって全日制から弾かれてしまった生徒たちなのだ。
少人数で丁寧に、定時制のメリット
そもそも定時制高校は1948年の学校教育法施行で全日制高校と同時に発足した、中卒で働く勤労青少年のための「学びの場」だった。生徒たちの労働時間や生活サイクルに合わせて夜間制、昼間制、昼夜間制があるが、夜間制が大多数を占める。修学年限は全日制より1年多い4年以上とされていた(1988年に単位制高校が制度化され、必要な単位を取得すれば3年でも卒業できることになった)。給食を実施している高校も多く、生徒会や部活動などの活動もある。
学校基本調査(文部科学省)によれば、1950年代には50万人の生徒が在籍していたが、高校進学者の急増で60年代後半から生徒数は減り始め、96年には10万6000人、近年は10万人を切っている。生徒も勤労青少年から、不登校や中退経験者へとスライドしている。
定時制高校の特徴は、1クラス20人前後という少人数のクラス編成にある。だから、教員が一人一人の生徒に丁寧に関わることができるというメリットがある。
川越工業定時制では1学年に普通科1クラス、工業技術科2クラス(機械類型、電気類型各1クラス)があり、1年から4年まで合計で12クラス。全校生徒は約140名だ。
授業は45分単位で、週に20時間。17時40分から20時55分まで4時限授業を行い、ホームルームの後、21時5分からは部活動の時間となる。部活が終わり、校門が閉じられるのは22時30分。こうして4年間で、74単位以上を取得すれば卒業できる。
困難を抱える生徒たち
教諭たちの話をうかがったところ、生徒たちの多くは、いわゆる「普通」と括られる家庭で育っていないということが衝撃だった。
ここで言う「普通」とは、世の多くが思い描く高校生像のことだ。
たとえば朝は親が学校に間に合うように起こし、朝食があり、弁当も用意され、洗濯されたシャツや靴下に身を通し、学校から帰ればお風呂が沸いていて、夕食があり、学習する机があるという生活だ。家庭の事情で生活実態は縷々、異なるにせよ、親に世話されながら高校に通うのが、「普通」の高校生であると多くの大人たちは思っている。私もそうあってほしいと思ってきた。
では、定時制に通う生徒たちはどのような環境を生きているのだろう。教諭たちによれば、ほとんどの生徒が、さまざまな事情を抱えていた。
例えば、何かしらの虐待を受けた経験があるのではないか、と思われる生徒がいる。
家族で囲むような食卓が存在しない家庭もあるという。
経済的に困窮する世帯では1日3食どころか、1食すらままならない場合もある。
親の働く姿を見ずに育ってきた生活保護世帯の場合、働くと言うことの意味を子どもが理解できていないこともあるそうだ。
もはや学力云々の問題ではない。それ以前だ。
なぜ、このような生徒が定時制に集まってくるのだろうか。
日本が「格差社会」と言われて久しい。親の経済力と子どもの学力、進学率が相関関係にあることも「教育格差」として指摘されている。高校とは「入試」という公平な選抜制度を通して、「格差」が最初に顕在化する場所だ。格差の上層=学力エリートが通う「進学校」と、その対極に位置する全日制「課題集中校」という学力ヒエラルキーが明確になる。このヒエラルキーからはずれた子どもたちの受け皿となりうる定時制には、この社会の困難の縮図がある。
定時制の授業を参観
定時制の授業はどのように行われるのか、興味があった。全日制との違いはあるのだろうか。大きな違いは、生徒が少なく教室ががらんとしていることだ。この日、普通科1年「数学Ⅰ」の授業の出席者は女子4人、男子2人。6人がそれぞれ教室の前方に座って、不等式についての説明を聞く。非常にわかりやすい説明で、基礎から熱心に指導していく姿勢が伝わってくる。プリントの問題に取り組む生徒たちの間を回って教員が机を覗き、一人一人の習熟度を確認する。全日制より生徒数が少ない分、細やかな配慮と指導が行われているようだ。
電気類型1年「現代社会」は、男子生徒のみ9名の出席。工業科は女子生徒の比率が低い。新井教諭の授業だった。テーマは日本国憲法。プロジェクターで黒板にパワーポイントの画像を映し出し、ひとつひとつ丁寧に説明する。教科書も使い、ワークシートの穴埋めを指示する。熱意を帯びた、わかりやすい授業だ。
「自分でも、それから、みんなでも考えて。誰かに教えてもらってもいいから」
その呼びかけで、4~5人が何やら相談を始める。和気藹々とした穏やかな雰囲気だ。
普通科1年「国語総合」は漢字検定に備え、11名全員が漢字の問題に熱心に取り組んでいた。美しい文字を書く子がいて、思わず見とれてしまう。
電気類型2年「家庭基礎」では、男子生徒でも器用に運針しているさまが驚きだった。実技科目でも静寂が保たれ、生徒は集中している。
現代文に英語、保健体育など、見せていただいたどの授業からも、教員の並々ならぬ熱意が伝わってきた。聞き取りやすい、あたたかみを帯びた声で、熱心に生徒に語りかける教員たち。生徒はだらっとしていたり、かったるそうだったり、逆に真剣だったりと姿勢はさまざまだが、授業に集中している。中学まで授業がわからなくて放っておかれた子どもたちが、学び直しの時を生きていた。
ほとんどの授業においてプリントを使うのは、黒板の文字を時間内に写しきれない生徒がいることと、ノートを買えない家庭もあることに配慮してだという。
生き生きと体を動かす生徒たち
工業技術科の実習も見せていただいた。機械類型1年の「製図」。ドラフターという製図台を使っての作業だが、1年生なのでまだ基礎中の基礎だという。平面で立体を表現するため、空間認識能力も必要だし、覚えなければならない決まりがたくさんある。
「手仕上げ」は、ヤスリで金属を削る作業だ。丸棒から文鎮を作るのだが、硬い金属を削るのでなかなかつらい作業だという。作業着を着た生徒が、教員のつきっきりの指導のもと真面目に取り組んでいる。
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黙々と金属にやすりをかける「手仕上げ」。
「旋盤」は危険な工作機械を扱うために、徹底した安全教育を行い、複数の教員がそばに付く。
電気類型の1年生9名は、交流の電圧測定に取り組んでいた。理論は後からでいいので、まず動かしてみようという指導だ。座学の教室にいるより、生徒たちはずっと生き生きとしている。
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電圧の測定器を使った実習。
校庭では、1~3年の男子合同の体育の授業が行われていた。1年生は基礎練習で、2年と3年は試合形式で野球をしている。教員が打ちやすいようにボールを投げ、それを打って走って守るのだが、動きがぎこちなく、野球やキャッチボールをしたことがないような生徒が目立つ。
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夜のグラウンドで、野球を楽しむ。
女子は、やはり合同で、体育館でのバドミントン。こちらはラリーが続くなど、慣れている様子で笑い声も聞かれ、和やかな雰囲気だ。
部活も見せていただいた。体育館では男子バスケ、バドミントンに卓球、校庭では陸上、サッカー、野球部が活動しており、それぞれが自分のペースで楽しんでいる。
文芸創作部や写真部などの文化部は、翌週の文化祭を目前に控え、作品作りに余念がない。描いている漫画を見せてもらったら、「すごいね」と思わず声が出た。才能を感じずにいられない。描くのが好きでたまらないといった笑顔がまぶしかった。
窓の外が暗闇でさえなければ、ここが全日制の高校だと言われてもうなずくだろう。目の前にいる生徒たちは、髪の毛を染めていたり、自由な服装ではあるけれど、街を歩いている高校生たちとなんら変わりはない。
文化祭に参加しよう!
川越工業定時制を訪ねたのは、もうすぐ文化祭という時期だった。新井教諭がこう話す。
「これまで定時制は文化祭に参加してこなかったのですが、去年から自分たちで作った物を売ろうと模擬店を出すことにしました。教員は結構大変ですが、すべては生徒のためですから」
これまで家庭でも学校でも疎外されてきた子どもたちだからこそ、晴れの舞台に立たせたい。達成感を知ってほしい。そんな 定時制教員たちの願いのもと、川越工業高校文化祭「工業祭」の幕は開いた。
(定時制のリアル2 生徒を社会に送り出すために~埼玉県立川越工業高校定時制〈後編〉へ続く。後編は3月18日公開予定です)