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古賀茂明「安倍総理がダメにした日本の悲惨な未来をジム・ロジャーズが警告」

2019年04月01日 | 社会・経済

  AERAdot 2019/4/01

古賀茂明(こが・しげあき)/1955年、長崎県生まれ。東京大学法学部卒業後、旧通産省(経済産業省)入省。国家公務員制度改革推進本部審議官、中小企業庁経営支援…


 このコラム記事が配信されるのが4月1日午前7時。同日昼前には、新しい元号がわかる。 発表当日はエープリル・フールの日だ。1日は新元号にまつわる様々なフェイクニュースがネット上に氾濫するかもしれない。

 新元号「安晋(あんしん)」。という冗談は既に使い古されたのかもしれないが、どんな気の利いた話が出てくるか楽しみだ(こんなことを言うと、「不敬罪!」と言われそうだが)。

 そして、これから1カ月は、「平成」を振り返る特集がテレビを占拠するだろう。

 失われた30年とも言われる平成だが、「平成は良かった」という人が7割いるという(共同通信の世論調査)。過去の時代に比べて、戦争がなかったという意味では、確かに良い時代だった。天皇、皇后両陛下の思いが通じたのかもしれないとも思う。

 一方、昨年11月に発表された大和ネクスト銀行によるインターネット調査では、平成の時代が「良かった」が39.8%、「良くなかった」19.9%、「どちらともいえない」が40.3%だったという。やはり、人それぞれという感じだ。

 では、私自身、平成をどう総括するのかと問われたら、「昭和の遺産を食い潰した時代」と答えたい。遺産を使っても、次の時代に花開く新しい芽を育てたのであれば、「食い潰した」とは言わない。しかし、遺産を使った結果、残されたのは1100兆円の借金と崩壊寸前の社会保障制度だけ。次代を担う新たな産業や企業、そして世界に伍して競争できる若者は、ついに育たなかった。だから、「食い潰した」と言うのだ。

 折しも、4月1日には、出入国管理法や労働基準法の改正法が施行される。実はこの二つの法律が日本の「失われた30年」を象徴するものであることに気づいている人はどれくらいいるだろうか。

 いずれの法律も、少子高齢化による人手不足がその背景にある。

 80年代には「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われた日本企業は、平成に入って90年代以降、急速に国際競争で優位性を失った。主として、低賃金を武器にしたアジア諸国の追い上げによるものである。本来は、ここで、日本の大企業は、賃金を含め高い労働条件でも競争できるビジネスモデルへの転換を図らなければならなかったのだが、そうはしなかった。

 同様の課題に日本より少し早く直面した欧州では、イギリス病、ドイツ病、オランダ病などという言葉が象徴するとおり、非常に長期の停滞を経験したが、労働条件を向上させつつ何とかその困難を克服しようと努力した。これに対して、日本は労働コスト引き下げで競争力を維持するという、より安易な方向に逃げ続けたのである。

 その一環として実施されたのが、一連の企業の労働コスト削減を支援する政策だ。(詳細は、2018年11月19日の本コラム「安倍政権の外国人単純労働者の受け入れ拡大は経団連のための低賃金政策だ」を参照)

 労働者派遣拡大などによる正規雇用から非正規雇用への大々的転換政策、留学生30万人計画による就労目的の外国人留学生導入政策、技能実習制度という名の外国人単純労働者受け入れ政策、そして、究極の国際競争のための賃金カットになる円安政策。

 これらは、低賃金により企業の競争力を維持する政策として機能した。目指す方向が労働コスト切り下げだから、労働者を守るはずの労働基準法もザル法のまま温存した。残業時間規制は名ばかりで事実上の青天井野放し、サービス残業という賃金不払いは当たり前、有給休暇も思うように取れない。最低賃金も先進国の7割程度で途上国にも負け始めている。とても先進国とは言えない労働環境が、2019年もまだ続いているのだ。

 その結果、日本の労働生産性は、G7諸国の中で最下位、先進国の中でも下位グループのままだ。低い賃金・労働条件とは、低生産性と同義である。労働条件の向上を可能にするためには、もっと儲けるか、企業の利益を削って労働者への分配を増やすかだが、後者は永遠に続けることはできない。つまり、企業は労働条件を上げるためにもっと利益を出す経営が求められる。そして、もっと利益を出すということは生産性を上げるということと同じだ。だから、働き方改革と同時に、生産性革命と叫ばれるのは、当然のことで、それはまた経営革命という意味でもある。

 人手不足は平成の初めには誰でも予見できた。私が課長補佐をやっていた90年代初めに、20年後に深刻な人手不足になると予測して、労働時間を短縮することなどを提言したことがある。共産党の当時の不破哲三委員長に国会で褒められて冷や汗をかいたものだ。課長補佐でもわかるくらい自明のことだったのだが、それから30年間、日本は必要な改革を怠った。

 本来は、ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われたこの頃に、厳しい道、すなわち、労働条件を引き上げながら儲かるビジネスへの転換を目指す道を選択していたら、平成が終わる今頃までには、様々なイノベーションと改革のための投資によって、少子化を乗り越える経済構造に到達し、新たな産業、企業の発展の道筋が見えていたかもしれない。今とは全く異なる絵になっていたのではないか。

 しかし、日本は、それを怠り、昭和の遺産を食い潰しながら、楽な方へ楽な方へと舵を切っていったのだ。もちろん、その舵取り役は、政治においては自民党、経済においては経団連と経産省である。

 平成の終わりになって、追い詰められた日本は、過去の過ちにようやく気付き始めた。「始めた」と言ったのは、まだ完全ではないからだ。働き方改革の名の下に19年以降残業規制が厳しくなる。同一労働同一賃金は来年から実施だ。これらの政策によって、企業の労働コストは上がる。それでも儲かるビジネスに転換できなければ生き残ることはできない。

 遅きに失した感はあるが、今からでも厳しい道を選び直して、何とか茨の道を乗り越えようではないかというのが、日本のリーダーが国民に呼びかけるべき言葉なのだ。しかしながら、そんなことは不可能なことのような気がする。なぜなら、一国の企業全体が、新たなビジネスモデルへの転換を遂げるには、20年はかかるというのが欧州諸国の経験だ。さらに厳しく言えば、その間にかなりの企業は淘汰されてしまうかもしれない。しかし、今の日本には、20年などという猶予期間はないと誰しもわかっている。既に30年を無為に失っている間に、財政は借金漬け、社会保障制度の基盤は崩壊寸前になってしまった。つまり、欧州諸国がかけた時間よりももっとはるかに短い時間でこの大転換を成し遂げろということになる。

 経営革命と聞くと、経団連企業がやることだと思っている人も多いようだが、実際には、中小企業がその最前線に追い立てられる。働き方改革や最低賃金のさらなる引き上げは中小企業にこそ最も深刻な負担を課す。

 今回の非常に微温的な働き方改革でさえ、中小企業には猶予期間(例えば、残業規制は来年4月から適用)を与えざるを得なかったが、もし、来年以降、厳格に残業規制などを適用すれば、多くの中小企業にとって、「地獄の苦しみ」になってくるのは必至だ。人手不足は、合理化投資をできない企業ほど痛めつける。合理化投資をする知恵も余力もなければ、質の低い労働者を毎年上昇する賃金で雇うしかない。自分たちの手取りを減らし、自らの労働時間だけは大幅に増やして、文字通り身を粉にして働いても、残念ながら先は見えない。

 一方、中小企業は、自民党や公明党の大事な支持基盤である。あまり厳しい改革を強いれば、選挙に負けるという恐怖感が先に立つので、やるべきことをそのまま実行することは不可能だ。そこで、どうしても甘い政策に戻りたくなる。出入国管理法を改正し、これまで同様低賃金労働を温存する政策を強化したのは、その表れだし、労働基準法の厳格運用は行われないだろう。

 言葉を換えれば、低生産性温存の政策を引き続き採用し続けるしかないのだ。

 こう見てくると、日本にはもう先がないのではないかという暗澹たる気分になってくる。やるべきことはわかっているのだが、それを今の日本人に実行できますかと聞かれたら、どうしてもNOという答えしか浮かばない。

 私は今、イソップの「アリとキリギリス」という寓話を思い出している。夏の暑いさなか、冬に備えて汗を流しながら食べ物を巣に運ぶアリを見て、周りに食べる草はたくさんあるのにと嘲笑しながら歌に興じるキリギリス。冬になって食べる草が無くなった時、アリの巣を訪ねて食べ物をくれと頼むと、アリに断られる。この話の終わり方には様々なバリエーションがあるが、キリギリスが、冬の寒さと飢えで死んでしまうところに追い詰められるのは共通だ。

 この寓話を用いれば、「昭和はアリの時代」「平成はキリギリスの時代」だと言える。そして、平成の終わりは、晩秋だ。キリギリスの日本を待つのは寒い冬。新元号の時代は、これまでにない厳しい時代になるだろう。

「新しい時代が始まる前から、なんて暗い話ばかりしてるんだ」と言われるかもしれないが、こうした心配は私だけがしている訳ではない。

 最近来日して大きな注目を浴びた投資の神様、ジム・ロジャーズ氏の言葉を紹介したい。彼は、米名門のイエール大と英オックスフォード大で歴史学を学んだあと、これまた今は投資の神様と呼ばれているジョージ・ソロス氏と設立したファンドで、10年で投資収益4200%という実績を挙げた。リーマン・ショックやトランプ大統領当選などの予言が的中したことでも有名だ。

 同氏の訪日で、最も多くの報道に引用されたのは、「私がもし10歳の日本人なら、ただちに日本を去るだろう」という言葉だ。彼は今日の日本を高く評価しながらも、将来については極めて断定的に悲観論を述べる。「その日本が50年後か100年後には消えてしまうのは心から残念でならない」というほどだ。そして、「当然だ。これだけ借金があり、しかも子どもを作らないのだから。私はこれだけ日本を愛しているが、日本に住もうとは思わない。借金と少子化、この二つがシンプルな理由だ」と解説する(PHP新書『お金の流れで読む日本と世界の未来』)。

 実は、彼のこの言葉には、もう少し長いバージョンがある。それは、「もし私が10歳の日本人ならば、自分自身にAK-47(自動小銃)を購入するか、もしくは、この国を去ることを選ぶだろう」(2017年11月の米投資情報ラジオ番組「スタンスベリー・インベスター・アワー」での発言。前掲書より)というものだ。「2050年には日本は犯罪大国になる」からだという。

 もちろん、アベノミクス信奉者は、安倍総理が日本を救ってくれると思っているかもしれないが、そのアベノミクスについても、彼は、こう断罪する。「アベノミクスが成功することはない。安倍政権の政策は日本も日本の子どもたちの将来も滅茶苦茶にするものだ。いつかきっと『安倍が日本をダメにした』と振り返る日が来るだろう。」

 1カ月後の5月1日に迎える新元号の時代がいつ終わるのかわからないが、平成と同様30年程度だとすると、2050年頃になる。投資の神様ジム・ロジャーズ氏が言う「日本が犯罪大国になる時」だ。その前に破たんという最悪のシナリオも否定はできない。

 井の中の蛙という言葉がぴったりの日本だからこそ、世界を俯瞰する投資の神様の言葉は謙虚に受け止めるべきではないだろうか。

 世界に目を向ければ、平成は、「日本が世界一流から二流へと転落し、アジア一流の地位も揺らぎ始めた時代」だった。新たな時代では、すぐに「アジア二流」への道が待っている。

 新元号を発表するのは菅義偉官房長官だが、それとは別に安倍総理の会見も開かれる。将来、安倍総理と新元号が対になって人々の記憶に残るようにしたいという安倍総理の希望があるのだろう。しかし、ジム・ロジャーズ氏が言う通り、「安倍が日本をダメにした」と振り返る日が来るのではないかと思えてならない。

 そうならないようにする道筋が見えないからだ。

 日本に「神風」が吹くことはあるのか。望みはそれだけのような気がする。


 天気予報によると昼過ぎから雪マークになっていたのだが降らなかった。日差しもあり、融雪が進んだようだ。

 住まいのほうと江部乙のほうと雪の量がどれほど違うのか見てみた。

こちら江部乙。積雪25㎝てところでしょう。

(写真、回転させても戻ってしまいます。悪しからず)こちらは今までハウスを建ててやっていた家の前の圃場、120㎝以上ありますね。この年になると少し楽したくなります。