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世界的にも重要な日本の花卉(かき)遺伝資源と園芸文化を継続させるために

2024年09月08日 | 野菜・花・植物

YAHOOニュース 9/5(木)

 Meiji.net

  半田 高(明治大学 農学部 教授)

 来る2027年3月から半年間、横浜市旧上瀬谷通信施設跡地(約100ha)で国際園芸博覧会(GREEN × EXPO 2027)が開催されます。この博覧会は、国際園芸家協会(AIPH)承認A1クラス、かつ博覧会国際事務局(BIE)認定の最上位の国際園芸博覧会で、日本では1990年に大阪で開催された「国際花と緑の博覧会」以来37年ぶりとなります。この博覧会では、日本の花卉(かき)園芸についても、その歴史や重要性が発信される予定です。

◇日本が花卉遺伝資源に恵まれ園芸文化が発展したのは、多様な自然と日本人の感性による

 花卉(かき)とは、人間が観賞する植物全般を指します。観賞植物には花だけでなく、葉や枝を観賞する観葉植物や樹木、さらにはシダやコケなども含まれます。また、遺伝資源には野山に自生する野生植物だけでなく、人間の手で選抜して改良(育種)された園芸品種も含まれます。

 日本は奇跡的に観賞価値の高い花卉遺伝資源に恵まれた国です。ツツジ(躑躅〉、アジサイ(紫陽花)、ツバキ(椿)、フジ(藤)、サクラ(桜)、モミジ(紅葉)、ユリ(百合)、ハナショウブ(花菖蒲)、サクラソウ(桜草)(注:生物学では植物名に片仮名表記を用いますが、園芸文化として漢字表記も併用しました)などは、もともと日本の野山に自生する野生植物をもとに園芸品種群が作出された花卉です。一方、キク(菊)、ウメ(梅)、ボタン(牡丹)、シャクヤク(芍薬)、アサガオ(朝顔)などは古く仏教伝来とともに中国や朝鮮から主に薬用植物として持ち込まれ、その後日本で花の美しさを鑑賞するため、独自に改良されて多くの品種が生まれました。また、パンジー、カーネーション、コスモス(秋桜)、ペチュニアなどは地中海や中南米原産の植物ですが、日本で画期的な品種が作出されました。近年では、北米原産のトルコキキョウが、もともと一重咲き小輪紫色しかなかったものから日本で大幅に改良され、今ではバラやシャクヤクと見間違えるような豪華な花形と様々な花色を持つ品種となって世界中の花屋の店先を彩っています。

 日本が花卉遺伝資源に恵まれ花卉園芸が発展したのは、自然と人間、その両方の力が作用しています。

 日本で多様な野生植物が生まれた要因としてまず指摘するのは、日本列島の地理的位置です。北半球の中緯度のユーラシア大陸東側に位置し、四方を海で隔離された日本列島は、年間の気温、降水量、日照時間の変動が大きい明確な四季があり、このダイナミックな変化は、季節変化に合わせた性質を持つ植物が育つ要因となっています。また、日本列島は南北に長く亜寒帯から亜熱帯まで含まれ、海岸から急峻な山地までの標高差や、山地に隔てられた日本海側と太平洋側での気候の違いもあります。何万年も前に大陸や海洋島から日本列島に到達した植物は、こうした様々な自然環境に適応して次々に形態や性質を変化させていくことで、多くの固有種が生まれてきました。生物多様性が顕著な地域は「生物多様性ホットスポット」として世界中に36か所が認定されていますが、日本列島もそのうちの一つで、維管束植物だけで2500種以上の固有種(亜種・変種含む)が確認されています。

 また、花卉園芸の発達には日本人の文化的背景も影響しています。例えば、米を主食とする稲作において、桜の開花を苗代の準備や田植えの基準とするなど、植物の季節変化と生活が密接に関係してきました。地域ごとのダイナミックな自然環境の違いや、同じ場所でもそれぞれの季節で見られる植物が変わる日本では、万葉集や古今和歌集などで詠まれたように、古くから野山や庭先の植物の季節による移ろいに気づき愛でる文化がありました。生け花、盆栽、庭園など、日本では自然や季節そのものを身近に楽しむ独自の園芸文化を洗練させてきました。また、先に述べたように仏教とともに薬用植物として渡来した植物も、その花の美しさを楽しみたいという人々の嗜好から日本人の感性で多くの品種が生まれました。

 海外に日本の園芸植物が広く知られるようになったきっかけは、江戸時代に来日逗留したドイツ人シーボルトによるものでした。当時の日本は鎖国中でしたが、オランダ商館医の彼は長崎の鳴滝に医学・自然科学を教える塾を開くことを許されます。一方、日本の博物学的・民俗学的研究調査と日蘭貿易の再検討という使命を帯びていた彼は、全国各地から学びに来ている塾生に動植物の採集を依頼します。こうして集めた膨大な日本の植物標本をもとに後年、「日本植物誌(フロラ・ヤポニカ)」を執筆し、また日本から輸送した植物を馴化する植物園をオランダのライデンに設置し、さらには王立園芸奨励協会を設立して日本産園芸植物を通信販売するなど、欧州に日本産園芸植物の一大ブームを起こしました。オランダのライデン大学植物園には、当時シーボルトが持ち帰った植物が今でも生き残っています。シーボルト以降、各国のプラントハンターが日本の花卉を求めて来日し、多くの日本産の花卉園芸品種が欧州に渡りました。明治維新の開国後は、ユリ球根を筆頭に日本産花卉が一大輸出産業となった時期もありました。

◇日本の花卉園芸品種と園芸文化は江戸時代に発達し、各地へ広がっていった

 日本国内で園芸品種や園芸文化が急速に発達したのも江戸時代です。江戸時代は300年近く安定した政権が続き、一般庶民も平和に過ごせたことで様々な文化が成熟しました。江戸幕府の為政者たちは花卉園芸に理解があり、振興政策を進めました。また、参勤交代の制度下、全国の主だった大名や藩士が交代で常駐するための大名屋敷や武家屋敷が江戸にあり、その庭に出身地から持ってきた観賞価値の高い花卉が植えられたことで江戸に日本中の花卉が集まってくる素地ができました。駒込の六義園や新宿御苑では、当時大流行した「江戸霧島」と称される九州の霧島山地由来のツツジの園芸品種を今でも見ることができます。こうした大名屋敷の庭を手入れする植木屋は、一部を譲り受けて流通させたと考えられます。江戸の上駒込村染井(現在の豊島区駒込)には、一般庶民も立ち入れる世界一の規模のガーデンセンター(植木屋通り)がありました。そして、江戸で手に入れた観賞価値のある植物は各地に持ち帰られ、日本中に様々な園芸品種が広がりました。先のシーボルトが学名に愛妻タキの名を付けたことで有名なアジサイも、当時すでに長崎にまで広まっていたガクアジサイの手毬(てまり)咲き園芸品種をそれと知らずに命名したと考えられます。また、熊本藩の六代藩主・細川重賢は、家臣たちの精神修養に花卉園芸を奨励したことで多くの花卉が育てられ、その後6種の花が「肥後六花」として選定されましたが、そのうちの花菖蒲は、江戸で作出された品種群がもととなったとされています。

 花見の文化が成熟したのも江戸時代です。江戸に桜の名所をつくるという施策は徳川家八代将軍吉宗によってはじまり、奈良吉野山のヤマザクラを御殿山や隅田川沿いなどに植樹しました。桜の園芸品種‘染井吉野’は江戸の染井で偶然生まれた品種で、吉野の桜に匹敵する美しさでこの名を付けられましたが、科学的にエドヒガンとオオシマザクラの雑種であることが証明されています。この‘染井吉野’は種子をほとんどつけないのですが、その観賞価値の高さと挿し木や接ぎ木の容易さでクローン苗が急速に全国に広がり、日本各地に桜の名所が生まれました。また、当時は花菖蒲や桜草も花見の対象となっていたことが浮世絵などからわかります。

 鎖国は日本独自の花卉園芸品種が生まれやすい環境をつくるのにもひと役買いました。長い期間、限られた植物の中からより洗練されて変わったものを求めた結果、菊や朝顔では花が極端に異形となって種子もできず、自然ではとても生き残れないような品種群が作出されました。また、葉が突然変異などで部分的に葉緑素ができずに白や黄色の縞や斑点の模様になる「斑入り(ふいり)」という現象を示す品種が様々な植物で見いだされました。こうして、これらを「奇品」とよんで珍重する日本独自の園芸文化も生まれました。

 鎖国中は西洋で発見された自然科学の情報が制限されていたため、花粉に遺伝的要素があるといった遺伝学の知識も一般には知られていませんでした。江戸時代に生まれた花卉園芸植物の膨大な品種群の多くは、人の手による交配ではなく、自然発生した突然変異や、風・振動・昆虫などによる自然交雑でできた種子由来の苗から偶然見つかる良いものを選抜したと考えられます。

 私の研究室では日本の花卉遺伝資源の現状を明らかにし、保全による将来への継続性や育種利用への一助とするため、現存する野生集団の自生地での形態・生態調査、遺伝子マーカーを用いた解析や成分分析などによって、野生集団の多様性と進化や、園芸品種群の成立過程などについて研究を進めてきました。これまでに、ツツジ、ユリ、ハナショウブ、アジサイなどを研究対象にしてきています。ツツジでは、江戸時代に品種群が発達したオオヤマツツジは、西日本でできたヒラドツツジなどの園芸品種群と、関東の里山に自生する野生種ヤマツツジとの自然交雑で生まれた可能性を示唆し、またイタリアやベルギーの研究者との共同研究では、鉢植えのツツジとして現在世界中で流通しているベルジャンアザレアとよばれる品種群が、江戸時代に作出された日本の園芸品種群をもとに成立したことを明らかにしてきました。ユリでは、野生種のユリとしては世界最大の花を咲かせる伊豆諸島固有種のサクユリについて、島ごとの多様性や、伊豆半島に自生する近縁種ヤマユリとの関係について明らかにし、また、伊豆半島に自生するイズユリとよばれる美しいユリは、ササユリとヤマユリの自然交雑でできた雑種で、多様な形態を持つことを明らかにしました。ハナショウブでは、玉川大学との共同研究で江戸時代に育成された園芸品種群の由来となった野生種ノハナショウブの地域集団を推定しました。現在は、アジサイ園芸品種群のもととなった野生種のガクアジサイ、ヤマアジサイ、エゾアジサイについて、自生地野生集団の遺伝的多様性、江戸時代以降に欧州に渡った園芸品種と野生集団との関係性、ガクアジサイが持つ強い環境ストレス耐性(特に耐塩性)などについて研究を進めています。また、「奇品」として成立したアサガオの形態変異品種群である「変化朝顔」は種子ができないため、現状では親系統の維持と変異個体の選抜に多大な労力が必要とされることから、組織培養系を利用したクローン増殖ができないか試みています。

◇花卉遺伝資源は一度失ってしまうと、再生させるのは難しい

 このように世界的にも貴重な日本の花卉遺伝資源ですが、日本に自生する野生集団や、過去に作出された園芸品種群の現状は保全や維持が困難な状況が続いています。これまでの研究からも、極めて限られた地域でしか生存が確認できない野生集団の存在や、すでに野生集団にはなくなってしまった遺伝子を江戸時代に育成された園芸品種だけが持つことを確認しています。

 野生集団の自生地では自然環境の変化や、人為的開発・盗掘による個体数の減少や集団の消滅が確認されています。野生集団の緊急避難先としても重要な日本各地の植物園ですが、予算や人員の削減により、規模縮小、民間への管理移管、廃園が相次いでいます。また、江戸時代に作出された日本独自の花卉園芸品種群を継承している民間団体や個人では、高齢化により継続が危ぶまれ、一人の方が亡くなると何百品種も一気に失われしまうこともあります。花卉遺伝資源は、一度失ってしまうと再生させるのには大変な労力と時間を要し、なかには二度と見ることができない場合も少なくありません。

 一部の花卉遺伝資源については、保存に向けた公的取り組みも行われています。農林水産省の「ジーンバンク事業」では、農業上重要なキクやカーネーションなどの系統や品種を保存しています。文部科学省の「ナショナルバイオリソースプロジェクト」では生物学の研究材料の一つとして「変化朝顔」が選ばれ、九州大学を代表機関とし保存や配布をおこなっています。また、サクラソウでは、国立歴史民俗博物館や国立科学博物館が、大学や民間団体との協力で江戸時代からの品種保存の啓蒙活動を担っています。しかし、これらは膨大な日本の花卉遺伝資源のごく一部にしか過ぎません。

 こうした中、日本の植物園を取りまとめている日本植物園協会では、日本産の絶滅危惧植物の生息域外保全を目的とした「植物保全拠点園ネットワーク事業」を2006年から開始しました。これに加え、2017年よりガーデニング先進国である英国の制度を参考に「野生種、栽培種に関わらず、日本で栽培されている文化財、遺伝資源として貴重な植物を守り後世に伝えていく」ことを目的とした「ナショナルコレクション認定制度」を開始し、2024年5月の段階で17が認定されています。

 近年、日本の花卉遺伝資源と園芸文化の重要性は再認識されています。日本の多様性に富んだ野生植物やユニークな園芸品種は貴重な育種素材です。また、芸術性の高い盆栽はBONSAIとして欧米でも一般化していて、アジア圏の富裕層は日本の盆栽や植木を高額で買い求めています。国としても花卉の重要性について認識し、10年前に「花きの振興に関する法律」を制定することで日本の花卉産業を育成するための法整備がなされ、花卉に関するイベント事業に対して補助金を出すなどの花卉園芸への振興策も始められました。今後は更に、日本の花卉遺伝資源や園芸文化を貴重な自然および文化遺産として継承し、積極的に発信して進展することが期待されます。

 2027年に横浜で開催される国際園芸博覧会は、日本の花卉の素晴らしさを世界にアピールするチャンスです。コロナ後にインバウンドが急速に回復しているいま、海外から日本に訪れる人々は、和食、風景、建築物、伝統工芸、庭園など、日本らしさを感じさせるものを強く求めています。こうした日本の自然に根差した美意識や世界観と、日本の花卉遺伝資源や園芸文化とは密接な関係にあります。日本の自然環境の中で生まれた野生植物や、日本人の感性で作り上げてきた園芸品種や園芸文化をあらためて見つめ直し、花卉遺伝資源の保存・利用や園芸文化の発展へつなげていくことは、過去へのノスタルジーではなく、これからの日本にとって非常に重要なことだと考えています。

半田 高(明治大学 農学部 教授)


 わたしは品種名にはあまりこだわらない、というか覚えられない。
それにほとんどがそこに生えてたものやもらったものであり、自分で挿し木で増やしたものばかりである。だから正式な品種名がわからない。バラはバラである。このバラもカミさんの誕生日に企業から送られてきたものを花が終わってから挿し木したものである。

 もうそろそろ今までのようには動けなくなるであろう。
畑をどうするか?
草でボウボウになるのなら一面アジサイでも植えてみようか・・・・
そんなことを思い、今アジサイの苗木数百本を創っている。
単に沼の水辺に挿してあるだけだけど。