「東京新聞」社説2024年9月27日
静岡県の強盗殺人事件で死刑が確定した袴田巌さんに静岡地裁の再審公判で「無罪」が言い渡された。無実の訴えから半世紀余。早く真に自由の身とするためにも、検察は控訴してはならない。「開かずの扉」と評される再審制度も根本的に問い直すべきだ。
「わが国の刑事裁判はかなり絶望的である」-。1985年に刑事法の大家だった平野龍一・元東京大学長は論文にそう記した。
80年代に死刑囚が相次いで再審無罪となった。免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件。まさに死刑台からの生還だった。
袴田さんは戦後5例目になる。事件は66年。それから58年もたって、やっと「無罪」の声を聞いた。気の遠くなる歳月を考えても、刑事司法関係者は深刻な人権問題だと受け止めるべきである。
異常な取り調べだった。袴田さんは強く否認したが、連日、平均12時間を超える過酷な調べを受け体調も崩した。取調室で小便もさせられた。拷問に等しい。20日目に「自白」したが、同地裁は再審判決で「自白調書は非人道的な取り調べで獲得されたもので、捏造(ねつぞう)と認められる」と指弾した。
死刑確定の証拠も怪しかった。みそタンクの中から発見された「血痕の付いた5点の衣類」は、確定判決の根拠とされたものの、そもそも事件から約1年2カ月後に見つかったこと自体に不自然さが伴う。血痕に「赤み」が残っていた点も鑑定で「1年以上では赤みは残らない」とされた。
この点についても同地裁は「捜査機関によって血痕を付ける加工がされ、タンク内に隠匿されたものだ」と断罪した。捜査機関が故意に袴田さんを犯人に仕立て上げたのだ。何と恐ろしいことか。
◆3重の不正義を許すな
袴田さんの裁判を見るだけでも、いまだ「絶望的な刑事裁判」が続いているのは明らかだ。
とりわけ無罪までの時間が長すぎる。最高裁は75年、「疑わしきは被告人の利益に」との刑事裁判の原則が再審制度にも適用されるという決定を出した。
この原則に立てば、もっと早く袴田さんに無罪が届けられたはずだ。死刑確定の翌年に第1次の再審請求がされたが、再審が確定するまで実に42年もかかった。
無実の人を罰する不正義。真犯人を取り逃がす不正義。無罪まで長い歳月を要する不正義。冤罪(えんざい)には3重もの不正義がある。これはあまりに絶望的である。
袴田さんの無罪はゴールではなく、刑事訴訟法の再審規定(再審法)を改正するためのスタートの号砲とすべきである。
再審法は約100年前の条文を使って、戦後もずっと放置されてきた。わずか19条しかない。再審法の改正は喫緊の課題である。
例えば無罪にたどり着くまで長い時間を要するのは、再審開始決定に検察官が不服申し立てをできる仕組みがあるからだ。
袴田さんの場合も、2014年に地裁で再審開始決定が出ながら、検察官が即時抗告をしたため、再審開始が確定するまで約9年も経過してしまった。
いったん再審が決まれば、検察官の不服申し立ては禁止する法規定が必要だ。冤罪の被害者は一刻も早く救済すべきなのは当然ではないか。今回の無罪判決についても、検察は控訴せずに無罪を確定させるべきである。
証拠開示の在り方も大きな問題だ。再審については明文の規定が存在せず、裁判所の裁量に委ねられているにすぎない。
「存在しない」と検察側が主張していた「5点の衣類」のネガフィルムが保管されているのが判明したのは14年のことだ。証拠隠しともいえる行為が再審の扉を閉ざしていたに等しい。
このような不正義を防ぐためにも、無罪に結びつく、すべての証拠を検察側に開示させる法規定を設けねばならない。
現在、超党派の国会議員による「再審法改正を早期に実現する議員連盟」ができている。衆参計347人の議員が名前を連ねる。
◆究極の「国家犯罪」犯す
法務省が再審法改正に後ろ向きならば、議員立法で進めてほしい。再審法改正を求める市民集会は19日も都内で開かれた。世論の後押しこそ大事だ。
16世紀のフランスの思想家・モンテーニュにこんな言葉がある。
<無実者を罰することは、犯罪事実よりも犯罪的である>
捜査にも裁判にも誤りは起こる。無実の人を罰するのは究極の国家犯罪といえる。理不尽な刑事司法とはもう決別すべき時だ。
異常ともいえる検察の態度である。
これほどの「執念」を「裏金」問題の解明に追力してほしいものだ。
園のようす。
寒さのせいか?ゴーヤが黄色くなってきた。
ピンクのバラも咲きだした。