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雨宮処凛「生きづらい女子たちへ」79 日本と韓国の女地獄

2019年03月06日 | 社会・経済

雨宮処凛「生きづらい女子たちへ」79

日本と韓国の女地獄

  Imidas連載コラム2019/03/06

    20179月、韓国に行ったら、会った人全員が名前の後に「私はフェミニストです」と自己紹介した。女性はもちろん、男性も。2030代の数十人全員がだ。仕事ではなく、韓国で様々な活動をしている人やアーティストと交流するために行ったのだが、それでもフェミ率100%には驚いた。

 あまりにもみんなが「フェミニスト」を自称するので、思わず「流行ってんですか?」と韓国在住の日本人に聞くと、「今、無風なのは日本だけですよ」とちょっと呆れた顔をされた。アメリカの映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタイン氏のセクハラをめぐり、世界中を「#MeToo」ムーブメントが席巻する1カ月前のことである。

 そんな韓国で16年に出版され、100万部を超えるベストセラーとなったのが『82年生まれ、キム・ジヨン』だ。著者はチョ・ナムジュさん、1978年生まれ。201812月、日本でも筑摩書房から翻訳出版(斎藤真理子 訳)され、すでに8万部を突破。この本を「読んでいる」とK-POPアイドルが言っただけで「炎上」したという「フェミニズム小説」は、30代で子育て中の主人公、キム・ジヨンの半生を淡々と綴ったものだ。しかし、淡々とした記述の中に、女性であれば誰しもが身に覚えのあるだろう「あるある!!」が、23ページに一度くらいの頻度で仕込まれている。

 大小さまざまな理不尽、そして不条理。女だけにかけられた呪いだ。

呪い」はすでに、生まれる前から始まっている。

 例えばキム・ジヨンの母は、最初の子として娘を生んだ時、姑に「お義母さん、申し訳ありません」と謝罪している。そんな嫁に姑は優しく言うのだ。

「大丈夫。二人めは息子を産めばいい」

 しかし、そうして生まれた二人目も娘。それが主人公のキム・ジヨンなのだが、その後に母のお腹に宿った命は「女だから」という理由で堕胎されている。次に生まれた弟は「男だから」という理由で、あらゆる面で姉たちより優遇される。

 炊きたてのご飯が先に配膳され、傘が2本あれば姉妹が相合傘をして弟が1本を使い、布団もお菓子も2つしかない場合、常に弟が1つを独占する。学校に入れば、優遇されるのは弟だけではないこと、自分の意志とは関係なく性別で決められることの多さを突き付けられる。

 学級委員選挙では必ず男子が選ばれる。美化委員は女子で、体育委員は男子。中学に入れば、男子はスニーカーを履いていいのに女子には革靴しか許されない。登校途中に女子生徒たちが露出狂を取り押さえれば、「女の子が恥ずかしげもなく。学校の恥だぞ、恥」と謹慎処分を食らう。予備校の帰りに男子生徒につきまとわれ、恐怖のあまり父に迎えを頼むと、あとで父に叱られる。スカートが短い、服装をきちんとしろ、危ない人につきまとわれるのは「本人が悪い」のだと。

 

 就職を前に、呪いはさらに強烈になっていく。いい会社に行った先輩は全員男という現実。「同じ条件なら男性の志願者を選ぶ」と答えた大企業の人事担当者が44%いたというアンケート結果。「女があんまり賢いと会社でも持て余すんだよ」と言う学科長。1999年には「男女差別禁止及び救済に関する法律」が制定されているのに、「決定的な瞬間になると『女』というレッテルがさっと飛び出して」くる。

「どうしろって言うの? 能力が劣っていてもだめ、優れていてもだめと言われる。その中間だったら中途半端でだめって言うんでしょ?」(前掲書)。

 なんだか、既視感でクラクラしてこないだろうか? 小説はその後も「結婚、親戚付き合い、出産、退職、育児」と「女地獄」をバージョンアップさせていくのだが、それは読んでのお楽しみ。

 最近、女友達と会うたびに、「キム・ジヨン、読んだ?」が挨拶代わりになっている。読んだ同士は「すっごいわかるよね!」とその瞬間から「女の呪い」について語り合う。冒頭でも触れた通り、現在、韓国ではフェミニズムが盛り上がっており、その下地があったからこそこの小説も社会現象となったわけだが、そもそもなぜ、盛り上がっているのか。

2017年の韓国行きで知ったのは、二つの事件だ。

 一つ目は、15年に広まったネットのデマ。当時、韓国で流行していたMERS(中東呼吸器症候群)をめぐるものだった。デマの内容は、MERSを韓国に持ち込んだのは「無節操な女たち」である、感染しているのに隔離を拒否した、などなど。これに女性たちが対抗し、ネット上で女性ヘイトに対する戦いを始めたのだ。その手法は「ミラーリング」。鏡に映すように、女性へのヘイト発言をそのまま男性に置き換えて返したのだ。

 その翌年5月には、決定的な事件が起きる。「ミソジニー殺人事件」と呼ばれる事件だ。ソウル市江南駅近くのカラオケ店が入った建物のトイレで、20代の女性が30代の男性に殺されたのだ。被害者と加害者はまったく面識がなく、犯人は「女性たちから無視されるから犯行に及んだ」と供述した。

「女だから」という理由だけで女性が殺害されたこの事件は、韓国のフェミニズムに一気に火をつけた。私が韓国に行った際、出会う人が全員「フェミニストです」と自己紹介した背景には、このような悲劇があったのだ。「殺されたのは私だったかもしれない」という感覚。特に若い世代にはその思いが強いようだった。

そんな江南のミソジニー殺人事件を受けて韓国で出版されたのが、『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』である。同書も1812月、タバブックスより翻訳出版(すんみ・小山内園子 訳)された。

 本書の「はじめに」で、著者のイ・ミンギョンさんはこの事件以降、「もうそれまでと同じようには生きることができなくなりました」と書く。そして男性たちに、事件のことやミソジニーやフェミニズムについて説明することに、ひどく疲れたことを吐露する。なぜなら、「なんでそれが女性嫌悪なわけ?」とか「いまや女が弱者でもあるまいし……」「おまえ、ひょっとしてフェミニスト?」なんて言葉で話を遮られ、傷付けられるからだ。

「男性に理解させるために、どうして私たちがこんなに大変な思いをしなきゃいけないんだろう」

 本書は、そんな彼女が編み出した想定問答集のような一冊だ。もちろん、前提として、話したくない時は話さなくていいし、苦しい思いをして答える必要はないことが強調されている。

 読みながら、「共感の極み!」と何度も叫びそうになった。

なぜなら私は日々、無理解な男性に理解してもらいたい一心で、「必殺! フェミ返し」と名付けた技を編み出し、使っているからだ。例えばそれは、東京医科大学の入試において女子が一律減点されたという問題について語っている時などに使用する。その場にいた男性が「でも、医者はやっぱり激務だし、仕方ないんじゃない?」なんて口にした瞬間、「よっしゃ! フェミ返し行きます!」と頭の中でゴングが鳴るのだ。試合開始の合図である。

「では、入試や就職試験という人生を左右する機会において、『男性だから』という理由で一律減点されたらどう思いますか? 自分がもし同じことをされたら、『しょうがないか、男だもんな』と容認できますか?」

「フェミ返し」とは、このように男女を入れ替えることである。そのことによって、非対称性を理解してもらおうという技だ。ちなみにこれは本当に偶然だが、韓国の「ミラーリング」と一緒である。

 さて、「フェミ返し」された相手は一瞬口ごもるが、大抵の場合、「でも、女の人は子ども生んだり子育てしたりもあるから……」というようなことを言ってくる。そこで今度は、OECD諸国平均では医者の女性の割合は45%で、日本は最下位の20%であること、諸外国では妊娠、出産しても女性が医者を続ける制度が整っていることなどを主張する。

 そのくらいまで言うと相手は黙るのだが、まぁ、空気は最悪だ。みんなの顔に「メンド臭ぇ女……」とはっきり書いてあるのがよく見える。

 そのたびに、思う。なんでプライベートで人と話してるだけなのに、「朝生」論客ばりに神経を尖らせなくちゃいけないのか。なんでわざわざ嫌われ、場を白けさせてまで「理解されよう」としているのか。しかもなんで少なくない男性は、この手の話題になると「お前が俺様にわかるように話すのが義務」みたいな感じで「はいはい聞いてやるよ、お手並み拝見」みたいで偉そうなのか。

そういう一つひとつにどっと疲れるのだが、この本の著者のイさんは、私とまったく同じ理由で疲れ果てている。いたよ、韓国に。私とまったく同じ徒労感を抱える女が。それを知れただけで、本書は読む価値がある。いつかマッコリ飲みながら、日韓女子会でも開催したいものである。

 しかし、徒労感を抱えながらも韓国の女性たちは元気だ。本書の冒頭「日本の読者のみなさんへ」で、イさんは以下のように書く。

「韓国では江南駅殺人事件以降『どんなことにも屈しないでいこう』と叫ぶ女性たちが集まって、自分を、そしておたがいを、蔓延する暴力から守りはじめています。数万人で街に繰り出して『MeToo』と叫ぶ、中絶の権利を要求する、違法な盗撮を糾弾するデモを行う。そうやって世の中を変えている真っ最中です」

江南駅殺人事件が起きた16年の暮れには、朴槿恵大統領の退陣を求める「ろうそく革命」のデモ参加者がのべ1000万人を突破した。翌年、韓国では政権が交代。数カ月にわたって続いたろうそく革命の現場ではフェミニズムも大きなテーマとなっていたという。

 たて続けに読んだ2冊の韓国の本に胸を熱くしていた2月、『82年生まれ、キム・ジヨン』のチョさんが来日。イベントをするというので駆け付けた。

 満席の紀伊國屋ホールを埋め尽くしていたのは、多くが若い女性だった。マスコミ席には、ファッション雑誌『VOGUE JAPAN』もいれば、政治や社会問題を扱う雑誌『週刊金曜日』もいて、今にも時空に歪みが発生しそうだった。

舞台の上で、チョさんはろうそく革命や女性たちが声を上げている韓国の現実に触れ、「自分たちは、声を上げれば世の中が変わると体感している世代」と口にした。そうしていくつかの事例を紹介した。性差別発言をした有名人に女性たちが抗議し、発言を撤回させた例。盗撮反対デモが開催されたこと。「#MeToo」加害者が実刑判決を受けたこと。みんなそれを見ているから、声を上げれば世の中が変わると体感していること。

 1978年生まれのチョさんは、私より3歳下だ。そんな彼女がろうそく革命やフェミニズムのムーブメントを語り、「被害者への連帯」が大切だと口にし、「私たちは社会を変えられると共有している世代」とまっすぐ言う。活動家ではなくて、ベストセラー作家がそう口にする。そんな姿が、ただただ眩しかったのだった。

これからも、韓国のフェミニズムからは目が離せない。そしてそこには、私たちが今日から使えるヒントが詰まっているのだ。

 ※そんな韓国の動きに刺激され、私も女子にまつわる呪いについて『「女子」という呪い』という本で書きました。本書では、韓国のフェミニストグループ”ロリータ・パンチ”にも取材しています。ぜひ!


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