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みんなフェミニスト

2017年09月16日 | 社会・経済

imidas時事オピニオン2017/9/15

 あなたも今日からフェミニスト

 三浦まり 上智大学法学部教授

   1967年生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。カリフォルニア大学バークレー校政治学博士課程修了。政治学博士。東京大学社会科学研究所研究機関研究員を経て、現職。専門は現代日本政治論、比較福祉国家論、ジェンダーと政治。主な著書に『日本の女性議員 どうすれば増えるのか』編著(2016年、朝日選書)、『私たちの声を議会へ――代表制民主主義の再生――』(15年、岩波現代全書)、『ジェンダー・クオータ――世界の女性議員はなぜ増えたのか』共著(14年、明石書店)ほか。(2017.09)

 

 「あなたはフェミニストですか?」と尋ねられたら、あなたはどう答えるだろう? 即座に「はい」と答えられる人はごく少数だと思う。しかし「あなたは性差別主義者ですか?」と尋ねられたら? 多くの人が「いいえ」と答えるはずだ。ジェンダー問題に取り組んでいる三浦まり上智大学教授は、「性差別主義者でなければ、みんなフェミニストです」と定義する。更に「女は家に入って夫を支える」「子育ては女の仕事」といった性規範の押しつけで女性が苦しむだけではなく、「男は強くなければいけない」「男がリードすべき」などの圧力で苦しむ男性も増える中、今こそフェミニズムについて考える時期とも言う。そこで、これからの「フェミニスト像」について、三浦教授に語っていただいた。

被害者が非難される違和感

  今年に入り、首都圏では、痴漢とされた男性がホームから線路に逃げるといった事例が続き、話題になりました。通勤・通学時、満員電車を利用する女性で痴漢に遭ったことのない人はごく少数でしょう。
 男性が被害者のケースもありますが、痴漢の被害者は圧倒的に女性が多いです。そして被害者であるにもかかわらず、服装や化粧が派手だったり、露出度が高めの服装だったりした場合、女性側にも非があると言う人たちがいます。痴漢はまぎれもない性暴力なのに、「自分にもスキがあったのかもしれない」と諦めている女性もいます。更に強姦などのケースでも、被害に遭った側の落ち度を責める発言を度々耳にします。
 これが空き巣やひったくりなど別の犯罪だったらどうでしょう? 鍵を掛け忘れた、車道側にバッグを持っていたなど、被害者側に多少の落ち度があったとしても、悪いのは犯罪者のほうであることは火を見るより明らかです。それなのに性犯罪の場合には「女性側にも非がある」と言われることに対して、違和感を覚えませんか?
 そう感じる人には、フェミニズムについて考えることが、なぜ違和感を覚えるのかを知る手がかりになるはずです。

フェミニズム運動の歴史

  アメリカでは、女性の参政権を求める声が上がり権利を勝ち取るまでの、1860年代から1920年までがフェミニズム運動の「第1波」と呼ばれています。
 その後、1960年代後半からの「第2波フェミニズム」では、制度的な権利獲得よりも女性解放に焦点が移り、性の抑圧体制への問題提起、個人的な問題もまた政治的権力関係に起因することを問題化していきます。いわゆるウーマンリブ運動の時代で、「個人的なことは政治的なこと」というスローガンが生まれました。
 男性の価値観による美の基準を押し付けられてきたことに反発し、女性というセクシュアリティーから脱しようということで、ブラジャーを脱ぎ捨てたり、メイクをしなかったりという直接行動が目をひきました。アートや文学の世界でもフェミニズムに対する関心が高まっていきました。
 続く「第3波」は1990年代以降となります。後述する日本での「ジェンダー・バックラッシュ(backlash:反動・反発・反撃)」と同様のことが起こり、フェミニズム運動の意味が歪められ、周辺化していく事態への対抗運動を指しています。
 日本では、フェミニズムやフェミニストという言葉を否定的に受け止める人が多いかもしれませんが、これは日本だけに限った現象ではありません。国連組織UNウィメン親善大使をつとめるイギリスの俳優エマ・ワトソンも、2014年9月20日に国連本部で開催された「He For She」キャンペーン発表会で行ったスピーチで、この点を指摘しています。
 このスピーチを国連広報センターが日本語字幕付きでYouTubeにアップしています。彼女の言葉から、英語圏でのフェミニズムやフェミニストを取り巻く状況が伝わってきます。
https://www.youtube.com/watch?v=jQbpLVI6DwE
(外部サイトに接続します)

 戦後、女性代議士が39誕生

  ここで、日本の歴史についても触れておきましょう。
 日本とアメリカではフェミニズムの波が同時期に起きたわけではありません。それでも、アメリカの第1波と似たような権利獲得運動としては、大正デモクラシー時代以降に女性の政治参加を制限した治安警察法第5条改正を求める運動や、参政権を求める婦選運動がありました。
 第二次世界大戦敗戦後、GHQ(連合国最高司令官総司令部)からの指令を反映し女性参政権が実現します。1946年4月10日に大日本帝国憲法の下、第22回衆議院議員総選挙が男女普通選挙制度で行われ、結果39人もの女性代議士が誕生しました。しかし、翌年の衆議院議員総選挙では選挙制度が変更されたこともあり、女性議員数は15人と激減します。39議席という数を超えるには、59年後の2005年を待たねばなりませんでした。
 フェミニズム運動において女性への暴力は常に大きなテーマで、戦前には公娼制度の廃止を求める廃娼運動があり、戦後の売春禁止法に繋がりました。2017年に改正され話題になった強姦罪は1907年つまり明治40年に施行されたもので、法定刑の下限が懲役3年と強盗罪の5年よりも軽かったのです。今回の改正で5年に引き上げられましたが、長い間改正されなかったのは、意思決定機関である国会に女性議員が少ないことと関係しているでしょう。

声を上げることの大切さ

  日本にはかつて姦通罪、いわゆる不倫の中でも有夫の女性のみが処罰の対象になるという男女で規定が異なる罪がありました。1947年には廃止されたものの、女性に対する性規範は依然厳しく、日本では、特に第2波の運動ではそうした性規範からの解放もフェミニズムのテーマになっていきます。
 72年、妊娠中絶に関わる優生保護法に対し日本政府は、より中絶しにくくする改定案を提出しました。女性の「産まない権利」を?奪するこの案の阻止のため優生保護法改悪阻止運動が盛り上がります。活動団体の中でも「中ピ連(中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合)」は目立つ存在でした。その名の通り、薬事法で経口避妊薬(ピル)が規制されていたことにも異を唱えていました。

 中ピ連は、ピンクのヘルメットをかぶり、当時流行の最先端だったミニスカートをはき、産児制限を考える討論会や日本産婦人科学会等に抗議に押しかけるなど、派手な行動がメディアでクローズアップされました。確かに目立つ面はありましたが、学生運動の時代でしたからヘルメットをかぶるというスタイルは普通にあったわけです。それをメディアが「過激な」行動や発言をからかう形で取り上げ、フェミニズムの否定的なイメージが作られてしまいました。
 女性たちに発言させないための攻撃には様々な方法がありますが、からかいの対象にしてまともに相手をしないというのは、効果的な攻撃方法です。フェミニストを嘲笑(ちょうしょう)するのも、攻撃の一形態です。なぜこのように攻撃されたのかといえば、世間の固定観念に鋭く切り込んだからでしょう。

制度化が進んだ日本の第3波時代

  1980年代になると国連の動きに呼応して国内法の整備が進んでいきます。
 79年に、女性差別撤廃条約が締結され、日本は85年に批准しました。条約を批准するにあたり、男女差別禁止法を制度化する必要性があり、日本は、男女雇用機会均等法を作る(施行は86年)ことで対応しました。99年には、男女共同参画社会基本法も施行され、制度が充実していきます。2001年には、DV防止法(配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律)も制定されます。
 この2000年代初頭までを、日本での第3波と言ってもいいのではないかと思います。草の根運動だけではなく、行政もまた積極的にジェンダー平等を進めていったのです。
 政界では、1989年にマドンナブームが起き、90年代は女性議員が増え、社会党の土井たか子党首、新党さきがけの堂本暁子(あきこ)議員団座長、野田聖子郵政大臣などが誕生しました。それまでも労働省や同省の婦人少年局で女性官僚が縁の下の力持ち的に頑張っていましたが、1990年代には政府の「見えるポジション」での女性の活躍が増えてくるようになりました。
 99年4月の統一地方選挙までに、女性議員養成のバックアップスクールが全国で22カ所でき、女性議員を輩出しようという気運が高まります。そのかいもあり、地方でも女性議員が増え、市民社会の女性たちが連携をしながら、国際人権基準に女性の権利を引き上げようと頑張っていたのです。

世代交代を困難にした「ジェンダー・バックラッシュ」

  1995年9月、北京で開催された第4回世界女性会議は、開催地が近かったこともあり、日本からも女性の人権に関わる多くの女性たちが参加しました。北京会議で採択された「北京宣言」と「北京行動綱領」は現在に至るまで女性の人権に関する最も包括的で水準の高い国際文書と言えるでしょう。
 北京会議に参加した教員を中心に、教育現場で「ジェンダー・フリー」という言葉と実践が広がりました。それまでの「女らしさ、男らしさ」の固定観念から解放され、男女という性にとらわれないで、その人らしく生きていくこと、性教育も含めた教育の場からも改革していくことを主眼としました。
 ところが、「男女という性にとらわれない」という言葉尻を捕まえて、「男も女もないなんておかしい」と言う人たちが出てきました。第二次ベービーブーム以降、子どもの数が増えたことから更衣室などの対応ができず、低学年は男女一緒に教室で体操着への着替えをしている学校もありました。そうしたことが「ジェンダー・フリー」と曲解され、非難されるようになりました。
 週刊誌などでも面白おかしく書かれ、それが国会でも取り上げられ、画一的に男女の違いをなくし、中性化を目指すのが「ジェンダー・フリー」だという誤解が広まっていきました。最終的に、内閣府男女共同参画局は都道府県・政令指定都市の男女共同参画担当に以下のような通達を出しました。

 


 これにより「ジェンダー・フリー」という言葉が公的文書から削除されることになりました。それだけではなく、公共の図書館からジェンダーに関連する図書が撤去される事態にまで発展しました。せっかく「これからは女性の時代だ!」という気運が盛り上がっていたところに、こうした言葉狩りをはじめとする「ジェンダー・バックラッシュ」が起きたのです。
 1997年には歴史修正主義の人たちが「新しい歴史教科書をつくる会」を結成するなど、選択的夫婦別姓の実現、年金や配偶者控除といった専業主婦優遇の見直しなど、フェミニズム運動の掲げた課題への反対運動が広がります。中でも私は、1990年代にようやく政府が事実と認めた日本軍「慰安婦」問題に対する言動がフェミニズム運動に大きな打撃を与えたと感じています。そして、運動への攻撃や慰安婦問題や政府責任の否定の背景には、女性差別に加え、植民地差別や人種差別が絡んだ「憎しみ」が感じられます。
 2000年代に入ると、フェミニズムやジェンダー関連の学会や講演会などに右翼の街宣車が押し掛け、講演がキャンセルになることもありました。若い世代には、フェミニズムは怖いもの、関わらないほうがいいものという印象を残してしまったかもしれません。国連の追い風を受けながら、女性たちが各地で男女共同参画社会の実現に向けて活動を活発化させたにもかかわらず、次世代にうまくバトンタッチできなかった大きな原因が、こうした「ジェンダー・バックラッシュ」でした。

新しい風「バッド・フェミニズム」

  ところが2010年代に入って、ポップカルチャーを巻き込み、フェミニズムに新しい風が吹き始めています。歌手のビヨンセやレディー・ガガ、テイラー・スウィフトの楽曲の歌詞やパフォーマンス、ディズニー映画『アナと雪の女王』や『モアナと伝説の海』などのテーマといった例があり、海外では、こうした動きを第4波と呼ぶ人もいます。
 他にも、ファッションブランドのクリスチャン・ディオールが2016年に「WE? SHOULD? ALL? BE FEMINISTS」というメッセージ入りTシャツを発表したことが話題になりました。

これはナイジェリア出身でアメリカ在住の作家チママンダ・ンゴズィ・アディーチェのスピーチ(2014年に書籍化)の題名で、日本でも『男も女もみんなフェミニストでなきゃ(邦題)』が8月に出版されたばかりです。同じくアメリカで2014年に出版された『Bad Feminist』(日本では『バッド・フェミニスト(邦題)』として2017年出版)はハイチの移民を両親に持つロクサーヌ・ゲイのエッセイ集ですが、正しいフェミニストでなくてもいいというメッセージは大変話題になりました。エマ・ワトソンも、自分は「バッド・フェミニスト」と名乗っています。

「フェミニスト」というと、「正しく」女性の権利を主張しなくてはいけないというイメージがあります。フェミニストの間で論争があるのはいいことなのですが、それが敷居を高くしてしまい、きちんと勉強をしないと語れないものになっているとしたら、とても残念です。「バッド・フェミニスト」という開き直りは、それぞれが思うフェミニズムがあっていいということを再確認させてくれた言葉だと思います。

 アメリカの第2波では、女性への抑圧から解放されるために、男性が好む服装や髪型、仕草などを捨てる選択をした女性たちがいました。一方、第4波の特色は、セクシュアリティーやもてたいという気持ちを否定せず、むしろ女性性を謳歌しようとしている点です。資本主義も頭から否定せず、ビジネスをうまく使いながらメッセージを浸透させようとしている点でも違いが見られます。

 更に、性差別的な言動を繰り返すトランプ大統領の誕生をきっかけに、大規模なウィメンズ・マーチが実施されるなど、世界規模で新しい抵抗運動が始まっています。ややもすると中流階級の白人女性の権利主張と捉えられていたフェミニズム運動が、いまや人種、宗教、性的指向、階級、障がいに基づく差別との闘いとの連携をより積極的に意識するようになってきているのです。

 差別は自分から遠い存在?

  こうした流れが日本でも定着するかどうかは分かりませんが、フェミニズムを必要としている男女が大勢いることを実感しています。働く女性が増え、働き方や税制度、社会保障制度が時代遅れになってしまい、男女ともに既存の「男らしさ・女らしさ」の押しつけにやりきれないと感じる人が増えてきているからです。

 大学で学生たちに「性差別を感じることは?」と聞くと、ほとんど気づいていないのが実態です。男子学生から最初に返ってくる答えは「映画のレディーズデー」や「女性専用車両」で、逆差別だと受け止めています。女子学生も就職活動をするまでは、日本では既に男女平等が実現していると信じて疑わない人のほうが多いのです。

 社会に出てから、特に共稼ぎで子どもを産んでから不条理に目覚めた女性によく出会います。「保育園がない」「ワンオペ育児で大変」といった悲鳴があちこちから上がっています。それまで差別という言葉を何か遠いことのように感じていたとしても、自分もいろいろ我慢をしてきたなと考え始め、抑圧の構造が見えてくるのです。そして「これは自分だけの問題じゃない。社会や政治の問題だ」と気付き始めるのです。セクハラやマタハラにも敏感になり、男女賃金格差や女性の貧困、管理職女性の少なさ、性暴力、性の商品化、男女で異なる性規範など、いろいろな問題が繋がって見えてきます。

 それでなくても女性には「結婚しろ」「子どもを産め」などの押し付けがあります。いつからか言われ出した「女子力」も同様です。もちろん男性にも「稼がないといけない」「強くないといけない」といった性規範の抑圧があります。

 こうした世間からの押し付けに違和感や圧迫感があるならば、その仕組みを解明しようとしてきたフェミニズムが解決策を見出すための手がかりになるはずです。

 自然にフェミニズムが育まれる時代に

  昨年のアメリカ大統領選では、ヒラリー・クリントンに対し、ドナルド・トランプが「マンスラプティング」を繰り返していました。これは、「man」と「interrupt(ing)」(遮る)を合わせた造語で、男性が女性の発言を遮る行動です。「explain(ing)」(解説する)を合わせた「マンスプレイニング」という造語もあり、こちらは男性が上から目線で、女性に偉そうに説教することを言います。こうしたことは造語になるくらいよくある現象です。これらの言葉を紹介すると大抵の女性たちが「ある、ある」という表情をします。これは世代を超えて共有できる経験かもしれません。

 『アナ雪』や『モアナ』を観た女の子たちが、王子様に幸せにして「もらう」のではなく、自分で幸せを「勝ち取る」というメッセージを受け取ることで、フェミニズムは静かに浸透し、フェミニズムの持つポジティブな力も広がっていくことでしょう。

 海外では、カナダのジャスティン・トルドー首相やアメリカのバラク・オバマ前大統領のように、フェミニストを名乗る男性リーダーも現れてきています。

 日本では、女性を守ってあげる男性をフェミニストと呼ぶことがありますが、これは「好意的な性差別者」と言っていいでしょう。本人は意識していなくても「守ってあげる」という上から目線は、女性を自立した存在と扱っていません。攻撃的な「悪意のある性差別者」に比べてソフトな形で女性を抑圧する存在です。

 相手にも自分にも性規範や性差別を押しつけないで、女性を対等な存在としてリスペクトするのがフェミニスト。そう考えていけば、自分がかっこいい、ハッピーだと思える方法で、肩肘張らずにフェミニストを名乗っても良いのではないでしょうか。無意識に偏見を持っていたことに、後から気付くこともあるでしょう。100%正しいフェミニストである必要はないのです。気付いた時に学び直せる素直さがあれば大丈夫。

 セクシスト(性差別主義者)でなければ、みんなフェミニストなのです。


雨で3日ほど裏の山に入ってなかったら、落葉きのこが大きくなっていた。

バケツに一つ採れた。冷凍保存しておこう。


値札も、レジもない「無料スーパー」

2017年09月15日 | 社会・経済

「無料スーパー」が始まった。
  寄付された食品を無償で提供します

値札も、レジもない。
  食品ロス問題の解決に向けて。

  Asahi Digital 2017年09月13日

「無料スーパー」寄付された食品を提供 月1回で開始

  フードバンク活動や食品ロス問題をもっと知ってもらおうと、多摩市のNPO法人「シェア・マインド」が、家庭や企業から寄付された食品を陳列し、必要な人に無償で提供する試みを始めた。名づけて「無料スーパー」。当面は月1回の開催だが、いずれは常設店舗を開設したいという。

  初回は3日、多摩市鶴牧1丁目の親子カフェ「WithCo(うぃずこ)」の一角で開かれた。コメや即席めん、缶詰、ペットボトルの飲み物などが入った容器10箱ほどが並び、モモやジャガイモもあった。値札はなく、レジもない。午前10時の開店前から大勢の客が詰めかけ、「1人7点まで」に制限したが、30分ほどでなくなった。

  シェア・マインドは昨年3月、家庭や企業で余っている食品の寄付を受け、生活に困っている人に届けるフードバンク事業を開始。事務所で週1回、食品の持ち込みや宅配便での送付を受け付け、市内を中心に毎月50人前後に配達したり、「子ども食堂」に提供したりしている。

  日本では、まだ食べられるのに廃棄される食品ロスが621万トン(2014年度推計)に上る。国民みんなが毎日、茶わん1杯分ずつ捨てている計算だ。有効活用策としてフードバンクが各地で立ち上がっているが、代表理事の松本靖子さん(36)は「まだまだ広く浸透していない」と活動の中で痛感していたという。

  そうした中、豪シドニーで「すべて無料」のスーパーができたのを報じる新聞記事を7月に読んだ。「これなら食品ロスやフードバンク活動をより身近に感じてもらえる」。月1回、第1日曜日の限定だが、親子カフェの一角を借りて自分たちも始めることにした。

  初回は「貧困家庭限定でなく、誰でも来られるところがいい」など来店客の評判は上々。逆に寄付する食品を持参した人もいた。

 今後は常設店舗の開設をめざす。松本さんは「冷蔵庫や冷凍庫を備えた、誰でも食べ物を手に入れられ、子どもや高齢者の居場所にもなる場をつくりたい」。資金集めの手段などを模索している。


 今朝もけたたましくJアラート。音量を下げたいが無駄。やっと収まったと思いきや今度は「通過しました」と来たもんだ。では次に「着水しました」とくるのか?それはなかった。これで安倍さまの支持率が上がるのだから、すごい効果だ。

 どんどん秋が深まる気配。でも、1か月予報では気温は高めらしい。
台風の進路も心配だ。特に風はいやだ。10数年前にも我が家も大きな被害を被った。それも台風18号だった。家の屋根のトタンが飛ばされ、ハウスも潰してしまった。
風は一番怖い。
 周りの田んぼでは、今日から稲刈りが始まった。


『人づくり革命』

2017年09月14日 | 社会・経済

imidas 2017/9/13

『人づくり革命』を目論む人はどんな人?

 経済万華鏡    浜矩子

 「人生100年時代構想会議」なるものが造られました。またしても、安倍晋三首相肝煎りの有識者会議です。

「働き方改革」について、安倍政権は今年(2017年)3月末に「実行計画」を取りまとめました。その内容を、関連労働法制の改正案として秋の臨時国会に上程しようとしています。このテーマでここまで漕ぎ着けたというので、彼らが次に力を入れようとしているのが、「人づくり革命」です。上記の「人生100年会議」は、この「人づくり革命」構想を具体化するための施策検討会議。そのように位置付けられているようです。
「人づくり革命」というネーミングには何とも違和感を感じませんか? ネーミングというより、これはむしろ考え方の問題でしょうね。

 「人づくり」とは、何という言い方か。政治が人をつくるとはどういうことでしょう。
 そこには、実に傲岸不遜(ごうがんふそん)な姿勢が滲み出ています。自分は人をつくる人。そのように考える人は、自分を神だと思っているのでしょうか。どうも、そうかもしれないと考えてしまいます。ちょっとしたフランケンシュタイン博士気取りですね。
 しかも、このフランケンシュタイン的野望を「革命」的に執り行うのだと言っているのです。革命的な人づくりとは、一体、どんな人づくりなのでしょう。ひたすら、空恐ろしくなるばかりです。

 この点との関わりで思い出すのが、「生産性革命」という言葉です。これは15年3月、安倍首相が「アベノミクスの新三本の矢」というものを打ち出した時に、盛んに使っていた言葉です。「新三本の矢」、覚えておいでですか? 別段、その中身を思い出して頂く必要はありません。要は、あの時、安倍氏は「生産性革命」を引き起こすのだと大いに気張っていたのです。
 そのような構えをみせていた人が、今度は「人づくり革命」を打ち出している。となれば、「人づくり革命」の眼目は、人の生産性を革命的に引き上げることにある。このように考えてよさそうですよね。

 革命的に人づくりされた人々が、革命的に高まった生産性を持ってお国のために働き続ける。人生100年を通じてお国のために『一億総活躍』させられ続ける。そんな未来を、このフランケンシュタイン政権は展望しているのでしょうか。
「人づくり革命」構想は、要するに「働き方改革」のいわば続編です。我々は、まず働き方を「改革」され、その上で「革命的な人づくり」による改造作業の対象となる。何やら、とてもブラックなSFの世界に吸い込まれていく気分になります。フラフラついていってはとっても危険そうですよね。

 浜矩子

同志社大学大学院ビジネス研究科教授
1952年生まれ。一橋大学経済学部卒。三菱総合研究所ロンドン駐在員事務所長等を経て、現在に至る。『グローバル恐慌』『スラム化する日本経済』『ユニクロ型デフレと国家破産』『浜矩子の「新しい経済学」~グローバル市民主義の薦め~』など多数の著書がある。


お前に作られたくないわ!
権力に忖度するような人間作りだよ。

雨が降ってるせいもあって、暗くなるのが早い。
家に入ってきたらまだ5時だった。
雨が続いてミニトマトも割れが多くなった。
これからまた台風18号か。


人でなし

2017年09月13日 | 事件

歴史あざ笑う卑劣な行為、遺族ら憤慨

    朝日新聞デジタル - 2017年9月13日

  沖縄戦の際に83人が「集団自決」した沖縄県読谷(よみたん)村の洞窟「チビチリガマ」で、入り口の説明板が引き抜かれたり、内部の遺品が荒らされたりしているのが12日、見つかった。ガマを管理する遺族会は、警察に被害届を出すことを検討している。

  元村議で僧侶の知花昌一さん(69)が12日午前11時ごろ、海外のジャーナリストを案内した際に異変に気付いた。村や県警嘉手納(かでな)署によると、旧盆の5日に遺族が中に入った時には異状はなかったといい、署は5~12日午前の間に荒らされたとみている。

 うっそうとした森の中に、チビチリガマはある。内部への立ち入り禁止を示す看板は、入り口から10メートル以上離れた沢の斜面に転がり、彫刻家の金城実さん(78)が遺族たちと共に制作した「世代を結ぶ平和の像」の上には、悲劇を詠んだ詩が書かれた別の看板が放置されていた。

  村職員らとガマに入ると、平和学習で訪れた中高校生らが供えていった千羽鶴の半分ほどが引きちぎられ、地面に散乱していた。30メートルほど奥に進んだ真っ暗な場所に集められていた遺品のつぼやガラス瓶は粉々に割られ、遺骨が残る地面に散らばっていた。

  母の両親やきょうだい計5人が犠牲となった遺族会会長の与那覇徳雄さん(63)は「なぜこんなことが起こったのか。許してはならない。遺族はまた苦しむ。だが、また立ち上がって平和を発信したい。こんなものには負けない」と話した。

  チビチリガマは1987年、「平和の像」が右翼団体員によって破壊されたが、中の遺品や遺骨は無事だった。知花さんは「今回はより悪質。集団自決を生き延び、罪の意識に苦しんできた遺族にとって、ここは単なる墓ではない。沖縄戦の犠牲者を再び殺す行為であり、沖縄の苦しい歴史をあざ笑う卑劣な行為だ」と怒りをあらわにした。


長く歩けなくなる病気 腰部脊柱管狭窄症

2017年09月12日 | 健康・病気

2017年9月12日 萩野浩 / 鳥取大学教授

 年齢を重ねるにつれ、「腰が痛い」という同年代の人を周りでよく見かけるようになりませんか。腰に痛みを伴う疾患はいろいろあり、症状の出方も原因もさまざまです。その一つが「腰部脊柱管狭窄(せきちゅうかんきょうさく)症」で、前々回紹介した「椎間板(ついかんばん)ヘルニア」に比べて中高年世代により多くみられます。さほど強くはないものの、背筋を伸ばして歩くと痛みが出る、太ももから膝より下にしびれや痛みが出て歩きづらくなる、という症状が特徴です。今回はこの疾患の症状と原因、治療法について説明します。

神経の通る道を狭くするのが原因

 「腰部脊柱管狭窄症」は、その名の通り、脊椎(背骨)のうち腰の部分の「脊柱管」にトラブルを抱えて起こる病気です。脊柱管は、椎骨(ついこつ)、椎間板、関節、黄色靱帯(じんたい)などで囲まれ、脳と末梢(まっしょう)器官との間の信号を伝える脊髄や「馬尾(ばび)」と呼ばれる神経の通り道です。「腰部脊柱管狭窄症」は、この「トンネル」が狭くなることで、その中を通る神経や血管を圧迫するために引き起こされる病気です。60~70歳ごろに多く発症します。

 この病気を引き起こす主な原因は、三つあります。その一つが、脊柱管のそばにある黄色靱帯が、長年使い続けることで厚くなり、脊柱管側に飛び出て脊柱管を狭くする場合です。二つ目として、加齢や労働などによって椎間板に負担がかかることで傷んだ椎間板が膨らみ、脊柱管側に飛び出て脊柱管を狭くすることがあります。三つ目は、加齢で長年負担のかかった椎体が変形して骨棘(こつきょく)となり、脊柱管に飛び出してきて脊柱管を狭くする場合です。脊柱管狭窄症とはつまり、厚くなった靱帯や膨らんだ椎間板、飛び出してきた骨棘が脊柱管内に飛び出て、その中を上下に通っている神経や血管に接触して圧迫するという状態と言えます。

馬のしっぽのような神経の束に影響

 圧迫される脊柱管内の神経は、脊椎のどこの位置にあるものかによって、形状が異なります。神経が結合して一つの塊になっている脊髄の状態は、1番目の腰椎までで、2番目の腰椎から下の部分では、「馬尾神経」と呼ばれる神経線維の束のような状態に変わります。馬尾神経はその名の通り馬のしっぽのような形状で、糸状の神経線維が束のようになっています。この馬尾神経の束から「神経根」という細い神経が1本ずつ分岐し、それぞれ足先に向かっています。この脊髄や馬尾神経、さらに神経に血液を送っている血管が、靱帯や椎間板、骨棘に圧迫されると、脊柱管狭窄症を起こします。

 馬尾神経の「しっぽの毛」にあたる神経繊維の1本1本は足の動きに連動し、脊柱管の中を上下に動きます。しかし、脊柱管狭窄症になり靱帯や椎間板、骨棘が馬尾神経を締め付けると、神経線維は自由に動かなくなってしまいます。

100m歩いたらもう歩けない

 主な症状は足の異常で、腰痛はあまり強くありません。背骨を伸ばして歩くと足がしびれる、全体的に足がビリビリとするといった症状が生じます。患者さんは、その症状に耐えきれず、長い距離を一気に歩くことが困難になって「歩いたら、休む」という「間歇性跛行(かんけつせいはこう)」と呼ばれる歩き方をするようになります。歩行はできるものの「100m歩いたら、もう歩けない」という人が出てきてしまうのです。

 症状が出るタイミングは、歩く時ばかりではありません。日常生活で、さまざまな場面でも起こります。立ち仕事や洗濯物をしていて、足のしびれを感じることもあります。

足の動脈硬化と似た症状

 診断のためにレントゲンを撮ることもありますが、詳しく診断をするためには、MRI(磁気共鳴画像化装置)や造影剤を脊柱管に入れて脊柱管の狭窄具合を診る「脊髄造影」による検査を行います。「間歇性跛行」は、足の血管に動脈硬化が起きて血行障害を生じた時にも出るため、正しい治療を行うためにも詳しい診察が必要です。

 次に治療について説明しましょう。日常生活に大きな支障が出ている場合などは、狭くなった脊柱管を広げるために、脊柱管を囲んでいる骨のうち背中側の「椎弓」の一部を切除する手術をすることがあります。痛みやしびれはすぐに治まりますが、脊椎を形成する骨の一部がなくなるわけですから、背骨がぐらぐらして不安定になり、手術した部分には負担がかかりやすくなります。手術は、メリットもデメリットも知ったうえで受けるようにしてください。

 この疾患に、特別な予防策はありません。若い頃から意識して、普段から正しい姿勢を心がけたり、腹筋、背筋など体幹の筋肉を鍛えたりするとよいでしょう。

恥ずかしがらずシルバーカーを使おう

 腰部脊柱管狭窄症による痛みは、腰をまっすぐに伸ばして立つと強くなりますが、前かがみになると弱まるという特徴があります。例えば、スーパーなどでカートを押している限り、いつまでも歩けるのです。というのは、前かがみになると脊柱管内に空間的余裕が生まれ、神経への圧迫を避けることができるからです。「前かがみの姿勢が楽」という意味では、「歩くより自転車のほうが楽」ということでもありますので、自転車での運動はおすすめです。普段の生活では、つえをついたり、手で押して前に進む「シルバーカー」を使ったりして、腰を少しかがめて歩くようにしましょう。

 患者さんの中には、「高齢者だと見られたくない」という気持ちがあるからか、症状が和らぐのが分かっていてもシルバーカーやつえを使いたがらない人がいます。少しの工夫でQOL(生活の質)はぐっと上がります。最近はスタイリッシュなデザインや座れる機能の付いたシルバーカーが出回っていますし、外出や買い物が気軽にできるようになりますので、私も患者さんには使用を勧めています。恥ずかしがらず、便利なものはどんどん利用してください。【聞き手=編集部・吉永磨美】


 わたしもちょうど1年前、MRIで腰部脊柱管狭窄(せきちゅうかんきょうさく)症と椎間板(ついかんばん)ヘルニアと診断されました。薬もブロック注射も効きませんでした。10月半ばから整体院で電気治療を受け、3月いっぱいまで、およそ100日以上の通院で、今はほとんど痛みはなくなり、日常の生活にも支障なく過ごせるようになりました。
 気を付けていることは、長時間座りっぱなしがないようにしていることです。PCに向かうときは30分でアラームが鳴るように設定し、鳴ったら必ず立ち上がっています。そして適度なストレッチです。

 


「肥満率」を上げる原因とは?

2017年09月11日 | 健康・病気

国民の「肥満率」を上げる原因とは?72万人調査で判明

  DIAMOND online 

   歩かない、座りっぱなしの習慣は近年、「肥満」という健康リスクを誘発するとして、世界的に問題視されている。

 歩行に関する基礎データを集めるべく、米スタンフォード大学の研究チームが、スマートフォンのアプリケーションを介して世界111カ国、約72万人分という膨大なデータを収集。合計6800万日分、平均95日間の歩行を調査し、さらに、46の国と地域のデータを詳細に分析した。

 その結果、世界の人々──スマホを持てる生活水準の人の1日の平均歩数は4961歩、と判明。歩数が最も多かったのは香港で、6880歩、最も少なかったのはインドネシアの3513歩だった。

 一方、日本は6010歩と、中国6189歩、ウクライナ6107歩に次ぐ第4位だった。この四つの国・地域において「体格指数30以上」の肥満率は、香港5.6%、中国3.7%、ウクライナ8.6%、日本は5.5%だった。

 逆に肥満率から歩数をみると、肥満大国である米国の肥満率は27.7%(3人に1人!)、1日の平均歩数は4774歩だった。米国のお隣のメキシコは、4692歩と歩数の差はそれほどないが、肥満率は18.1%にとどまった。

 研究者は「平均歩数そのものより“よく活動する人”と“活動しない人”との間にある“活動格差”がその国や地域の肥満率に大きく影響する」と指摘している。活動格差が大きいほど、肥満が増える──、平たくいえば、「活動貧困者」が各国の肥満率を押し上げているわけだ。

 実際、米国とメキシコでは米国の活動格差の方が大きい。また、前述したインドネシアも活動格差は米国より小さく、平均歩数が最も少ないにもかかわらず、肥満率は11.2%だった。自家用車や簡単・便利の普及度の違いが背景にあるのだろう。活動格差が大きい国では、特に女性の活動量がどっと減る傾向がみてとれる。

 幸い、日本は活動格差、肥満率ともに低く、まずまず健康的な国らしい。男女とも勤勉に歩き回り働く姿は時に奇異に映るようだが、活動格差が健康格差=肥満として表出するよりマシかもしれない。


 どんどん寒くなってきています。今朝もハウスの温度計は5.4℃でした。昨晩は今季初めての夜間暖房ONでした。夏の暑いときは動き回るのはつらいですが、今涼しくなって身体もシャキッとしてきた感じです。

 明日、明後日と一日中の雨模様らしいです。周りの田んぼでは稲刈りの準備が進んでいます。


アルカリ石けんが「悪玉菌」の勢力をのばす!?

2017年09月09日 | 健康・病気

アルカリ石けんが「悪玉菌」の勢力をのばす!? なぜ日本人は「除菌・抗菌」にこだわる?

   ヘルスプレス - 2017年9月9日

 人間が一生を共にするパートナー。それが「細菌」だ。

   私たちは、オギャーと産声を上げる前に母親の産道などで細菌と出合う。この瞬間に、消化管や口の中、皮膚などに細菌を棲まわせる。

   細菌が最も多くいるのが腸で、その数は100兆~1000兆個。人体を構成する細胞が約60兆個ということは、腸の中だけで細胞の数よりはるかに多い細菌がいるわけだ。

   腸内細菌は、悪玉菌の感染を予防したり、免疫活性を上げたり、人間が消化できない栄養分を消化したり、さまざまな役目を果たしている。人間と細菌は、まさに「共栄共存」の関係だ。

行き過ぎた除菌・抗菌は健康に悪影響を

   これほど慣れ親しんでいる細菌だが、日本人には「たくさんの菌がいるのは汚い」という先入観が植え付けられているようだ。テレビからは「除菌」「抗菌」グッズのコマーシャルが繰り返し流れてくる。生まれたときから私たちは、多種多様な菌と共に暮らしてきたはずなのに......。

 「行き過ぎた除菌・抗菌は健康に悪影響を与える」と警鐘を鳴らす細菌学者や医師は多い。当サイトでも、「清潔すぎる環境に育った子どもは免疫の発達が弱く、アレルギー性疾患になりやすい」などの研究報告を紹介してきた。

身近な細菌について、どうやら私たちが誤解していることが多いようだ。

「洗いすぎると汚くなるのです」

 科学技術の進歩で、人間の体に棲む細菌の研究が急激に進んでいる。

    1950年代に腸内細菌の培養研究が進み、どのような構成をしているかが明らかになってきた。しかし、腸内細菌のほとんどが酸素を嫌うため、培養できる細菌はほんの数割に過ぎなかった。

   ところが1990年代に入って「遺伝子解析」の技術が進展し、2000年代には「メタゲノム解析」で一括して遺伝子情報を調べられるようになった。そのおかげで、培養困難な腸内細菌が発見されるようになったのだ。こうしてアメリカやヨーロッパなど各国で腸内細菌の研究が進められ、続々と論文が発表されている。

   こうした研究の結果、人間の腸や口の中、皮膚、鼻など、体の穴という穴すべてに棲む細菌たちは、互いに勢力争いをしたり、一致団結したりしながら、複雑なネットワークを作っていることがわかってきた。

   たとえば皮膚。「ばい菌をやっつけよう!」と殺菌消毒成分を含む石けんで体を洗っている人は少なくない。ところが、実はこれが皮膚の細菌に悪影響を与え、「バリア機能」を低下させているのだ。

   皮膚の表面には「皮膚常在菌」がいる。その数は、手の表面の皮膚で1平方センチ当たり約1000個といわれている。皮膚常在菌には、善玉菌である「表皮ブドウ球菌」と悪玉菌の「黄色ブドウ球菌」などがある。

   表皮ブドウ球菌は、皮脂や汗をエサにして、皮膚の表面を弱酸性に保つ。こうして、アルカリ性を好む黄色ブドウ球菌やカビなどの繁殖を防いでいるのだ。

   ところが、殺菌消毒成分を含む石けんで体を洗うと、皮膚常在菌が洗い流される。石けんはアルカリ性であるため、皮膚の表面もアルカリ性に傾く。そして悪玉菌たちが勢力を伸ばすというわけだ。

細菌も人間社会と同様に「バランス」が大事

   日常よく耳にする「善玉菌」「悪玉菌」「日和見菌」という言葉を最初に使ったのは、腸内細菌学のパイオニアである東京大学名誉教授の光岡知足氏だ。光岡氏は、腸内細菌の生態系である「腸内フローラ」は人間社会の縮図のようだと語る。

   人間社会はさまざまなタイプの人がいることでバランスが保たれている。悪がはびこれば社会は腐敗するが、すべての悪を排除しようとする「排他主義」では全体の調和が崩れる。

   腸内フローラも、「善玉菌が2割」あれば、大多数の日和見菌も安定し、悪玉菌からの影響を受けにくい。人間社会と同様、「悪玉さえ追っ払ってしまえばいい」という単純な勧善懲悪では、腸内フローラの調和が崩れる。善玉菌を一定の割合に保つことが重要なのだ。 (文=編集部)


 太陽フレア、今のところ大きな障害は出ていないようだ。しかし、大きな地震が発生している。また、太陽表面には大きな黒点群をとらえ、太陽活動が活発化しているようで、これからも注意が必要か?


庭(雑草だらけ)にホーズキが色づいてきました。


最強クラスの太陽フレアが発生

2017年09月08日 | 自然・農業・環境問題

11年ぶり、最強クラスの太陽フレアが発生

Astroarts 2017.9.8

   日本時間9月6日、大規模な太陽フレアが2度にわたり発生した。とくに21時ごろのフレアは11年ぶりとなる最強クラスのフレアで、この現象に伴う太陽風の乱れが8日の夜ごろ地球に到来すると予測されている。

201797 NASA宇宙天気ニュース情報通信研究機構

   9月6日18時ごろ(日本時間、以下同)、太陽表面の南西の活動領域(黒点群)2673で大規模フレアが発生した。太陽フレアの強度はピーク時のX線強度によって弱い方からA、B、C、M、Xに分類されるが、このフレアの強度はX2.2で、2015年5月5日以来2年4か月ぶりのXクラスのフレアだった。

   さらに同夜21時ごろ、同領域でいっそう激しいX9.3の大規模フレアが発生した。最強であるXクラスのフレア強度が9以上に達したのは、2006年12月5日以来11年ぶりである。


太陽観測衛星「SDO」がとらえたX9.3の大規模フレア(右下の明るい部分)(提供:NASA/GSFC/SDO)

   太陽活動は約11年の周期で変動しており、2008年12月に始まった現在の活動サイクルのなかで太陽は極小期に向かっている。こうした時期に太陽の表面で今回発生したような大規模な爆発現象が起こることは珍しいが、長い歴史という観点から見ればじゅうぶんあり得る現象だ。

   21時ごろのX9.3フレアに伴い「コロナ質量放出(CME)」も起こった。CMEは太陽磁場のエネルギーが突然解放され大量のプラズマ塊が放出される爆発的な現象で、莫大な量の荷電粒子やエネルギーが地球へ到達すると磁気嵐が起こり、人工衛星やその観測機器が影響を受けたり、地球上でも通信障害が発生したりすることがある。


太陽観測衛星「SOHO」がとらえた、X9.3フレアに伴うコロナ質量放出(右下)。太陽は白丸のところにあり、コロナが見やすいようにコロナグラフで隠されている(提供:SOHO (ESA & NASA))

今回発生したCMEは地球の方向にも向かっているとみられている。CMEによる太陽風の乱れは8日の夜ごろに地球に到来すると予測されており、地球の磁場が乱され磁気嵐が発達したりオーロラの活動が活発になったりする可能性がある。


 核兵器による電磁パルス攻撃の脅威と恐怖 8/18 でも取り上げた

電磁パルスは核爆発だけでなく、太陽表面の巨大爆発で起きる磁気嵐(太陽嵐)が地球を直撃した時にも発生するため・・・

これがそれなのだ。飛行機には乗らないこと、原発は止めるべき、停電に備えるべし、地震にも備えるべし・・・・・

 「人体には直接的には影響はない」とされていますが、それは健康な一般の人の場合であってペースメーカー等への影響は少なからずあると思います。ただ、地球上のすべての地域に一律に現れるものではないはずです。どこにどのように現れるのか、情報が欲しいところです。


20代の生活満足度の高さを手放しで喜べない理由

2017年09月07日 | 事件

先月28日
「現在の生活に「満足」と答えた人は、約74%」という記事に驚き、信じる気持ちになれなかったのだが、どうやら本当のことのようだ。

DIAMOND online 2017.9.5

20代の生活満足度の高さを手放しで喜べない理由

山口 博:モチベーションファクター株式会社代表取締役

   国民生活に関する世論調査の結果が発表された。現在の生活に対する満足度は、調査開始以来最高の水準だ。20代の満足度は全年齢区分中、最も高く、レジャーや余暇に満足し、仕事に打ち込まず、自己啓発に時間を使わないという結果が浮き彫りになった。この結果は望ましいものだろうか。私にはそうは思えない。(モチベーションファクター株式会社代表取締役 山口 博)

 

仕事より余暇、自己啓発に関心なし

世論調査から浮かび上がる20代像

  内閣府から「国民生活に関する世論調査」結果が発表された。「現在の生活にどの程度満足していますか」という問いに対して「満足している」という回答(「満足している」と「まあ満足している」の合計)は73.9%と、調査開始以来最高となった。特に、18歳から29歳の「満足している」という回答は79.5%と、全年齢区分の中で最も高い。

 この20代以下の回答は、私の目から見ると特徴的なものが多い。たとえば、「所得・収入の面」で「満足している」という回答も54.4%で全年齢区分の中で最も高い。さらに、「レジャー・余暇生活の面」の満足度に至っては76.9%と、全年齢の62.8%に対して抜きん出て高い。

「充実感を感じている」(「十分充実感を感じている」と「まあ充実感を感じている」の合計)も全年齢の73.5%に対して、20代は93.0%、全年齢区分中で最高である。

「充実感を感じている」人に対して「どのような時に感じるか」については、「仕事に打ち込んでいる時」という回答は、全年齢で調査開始以来最低の29.0%だった。特に、20代は24.7%に過ぎず、60代までの年齢区分の中で最低である。

「悩みや不安」を感じている20代は50.6%なのだが、「自由時間の過ごし方」で「教養・自己啓発」と回答した20代は11.1%。「自由時間が増えた場合にしたいこと」について「教養・自己啓発」と回答した20代は17.6%で、いずれも60代までの年齢区分で最低だ。

 現状に満足して充実感を覚え、仕事には打ち込んでいないがレジャーや余暇を満喫し、悩みや不安はなくはないが、教養や自己啓発には時間を使わないという20代像が浮かび上がってくる。次代を担う若者が満足感を覚えていて何が悪い、と思われる人もいるに違いない。しかし、私はこの満足度の高さを、ある一面からは危惧している。現状に対する不満や懸念が、進歩や革新の原動力となることが多いからだ。

 イマドキの学生の調和志向の高さに

違和感を覚える理由

  そのように思うには、理由がある。私は、関東地方の6つの大学で、ビジネススキル演習をしてきた。その中で、モチベーションファクター(意欲を高める要素)を見極める演習をしている。目標達成、自律裁量、地位権限にモチベーションファクターがある人は牽引志向があり、他者協調、安定保障、公私調和にモチベーションファクターがある人は調和志向があると言える。

 私の演習に参加した大学生のモチベーションファクターは、牽引志向が49.7%であり、調和志向が50.3%である。各業界、各職位のビジネスパーソンが参加する私の演習参加者全体では、牽引志向51.4%、調和志向48.6%なので、ビジネスパーソンの平均よりも調和志向が若干高いということになる。

 私は、このことに違和感を覚えている。もちろん、6つのモチベーションファクターのうち、どれが高いか、牽引志向と調和志向のどちらが高いかということは、良し悪しを示すものではない。人それぞれが持っている要素であり、志向に過ぎないので、それをありのままに受け入れて、その人がさらにモチベーション高く活動できるように、自分や周囲が働きかけていけばよい。

 しかし、これから社会に出る大学生、そして仕事を覚える段階の20代にビジネスパーソン期待されていることは、仕事には打ち込まずレジャーや余暇に勤しんで充実感を覚え、自己啓発に時間を使わずして、現状に満足して充実感を覚えることなのだろうか。多くのビジネスマンは、そうではないと思うに違いない。20代のあいだはむしろ、アグレッシブに仕事に打ち込む姿勢があっていいのではないだろうか。

 しかし、大学生のモチベーションファクターは、他者協調や安定保障や公私調和からなる調和志向が高いので、自律裁量の意欲により自己啓発をして、目標達成の意欲により仕事を牽引し、地位権限の意欲によりさらに大きい責任の仕事をしていこうという期待には応えられない現状であると言わざるを得ない。

 繰り返すが、レジャーや余暇に時間を使うことを否定しているわけではない。しかし、20代のうちから、調和志向を持つ人材が増えるというのは、決して好ましくはないのだ。


「子どもの貧困」の暗闇に地方議員は・・・

2017年09月05日 | 社会・経済

  DIAMOND online  2017.9.4

「子どもの貧困」の暗闇に地方議員は灯りをともすことができるか?

みわよしこ [フリーランス・ライター]

   1963年、福岡市長浜生まれ。1990年、東京理科大学大学院修士課程(物理学専攻)修了後、電機メーカで半導体デバイスの研究・開発に10年間従事。在職中より執筆活動を開始、2000年より著述業に専念。主な守備範囲はコンピュータ全般。2004年、運動障害が発生(2007年に障害認定)したことから、社会保障・社会福祉に問題意識を向けはじめた。現在は電動車椅子を使用。東京23区西端近く、農園や竹やぶに囲まれた地域で、1匹の高齢猫と暮らす。日常雑記ブログはこちら

   生活保護当事者の増加、不正受給の社会問題化などをきっかけに生活保護制度自体の見直しが本格化している。本連載では、生活保護という制度・その周辺の人々の素顔を紹介しながら、制度そのものの解説。生活保護と貧困と常に隣り合わせにある人々の「ありのまま」の姿を紹介してゆく。

 8月下旬、長野市で開催された「生活保護問題議員研修会」約300人の地方議員が集まりました。彼らは、貧困と生活保護の現状について、どんな気づきを得たのか。

貧困問題に高い関心を持つ
  地方議員が集まった生活保護研修会

 2017年8月25日~26日、長野市に全国から約240名の地方議員たちが集まった。生活保護問題対策会議が開催した「生活保護問題議員研修会」(以下、生活保護議員研修会)に参加するためだ。

 日本の自治体の数は、大小合わせて約2000(都道府県・特別区・市・政令指定都市の「区」・町・村の合計)。おおむね8~9自治体のうち1自治体から1人の議員が、生活保護議員研修会に参加するため長野市を訪れたことになる。

 しかも、議員たちの所属政党は、自民党・公明党・民進党・社民党・共産党・無所属など様々だった(日本維新の会・都民ファーストの会からは参加なし)。議員たちに共通していたのは、貧困と格差を「わが地域の解決すべき問題」と考え、解決手段の1つとしての生活保護の重要性を軽視していないことだけだ。
 しかし、「8~9自治体のうち1自治体」では、まだまだ心もとない。この心もとなさを実感していただくために、都市部と地方について例を挙げよう。

 私が在住している東京都杉並区から区議が1人参加したとする。近隣の新宿区、中野区、世田谷区、練馬区、武蔵野市、三鷹市、さらに東京都から、区議、市議、都議が1人も参加しなかったとすると「8自治体から1人」となる。都市部の交通利便性を考えても、「杉並区から1人参加しているから充分」とは言えないだろう。

 地方では、たとえば本年7月の九州北部豪雨で大きな被害を受けた福岡県東峰村および朝倉市、大分県日田市を例にとれば、この2市1村に福岡県側で隣接する8市町村、大分県側で隣接する中津市、玖珠町、さらに熊本県側で隣接する2市3町を合計すると、大きな影響を受けた可能性が高いのは18市町村となる。福岡県、大分県、熊本県を加えれば21自治体だ。この21自治体から2~3人の議員が参加したとして、広大な面積にわたる18市町村の貧困と生活保護をカバーできるだろうか。

 ちなみに、全国の都道府県・市町村議員の総数は約3万3000人だ。「240人」は、地方議員の約140人に1人にあたる。多忙な公務の合間を縫って長野県に集まった約240人の地方議員は、全国的にはまだまだ貧困と生活保護に関する理解と関心が不十分な中で、暗闇に灯りをともすような存在ではないかと感じられる。

 あなたの地域の議員、あなたが前回の選挙で投票して当選させた都道府県議員・市区町村議員は、今回で9回目となった生活保護議員研修会に参加したことがあるだろうか。ぜひ次回の選挙の前に質問し、投票の参考にしていただきたい。

制度と公的資金が動かないと
  進まない「子どもの貧困」解決

 本記事では、2日目の8月26日午前中に開催された分科会の1つ「子どもの貧困と自治体のとりくみ」について、議員たちの反応を含めて紹介する。

 分科会「子どもの貧困と自治体のとりくみ」では、社会福祉士で元生活保護ケースワーカーの田川英信さんが制度面を、さらにNPO法人・CPAO代表の徳丸ゆき子さんが子どもたちと支援の実情を解説した。

 現在の生活保護制度では高校までの進学は認められているが、一般世帯の高校進学率が98.5%であるのに対し、生活保護世帯の高校進学率は90.8%。まだまだ大きな差がある。しかも生活保護での高校教育は、教育を受ける権利として認められているわけではなく、「収入を増加させ、又はその自立を助長することのできる」技能が習得できるから認められている。

 端的に言えば、「高校に行けば生活保護から脱却できる可能性が高まるだろう」ということである。生活保護制度の中で、義務教育の教育費は「教育扶助」として給付されるのだが、高校の教育費(高等学校等就学費)は「生業扶助」、作業服や安全靴と同じカテゴリーなのだ。

 高校以後の教育については、そもそも生活保護のもとで進学することが認められていない。大学進学は、家族と同じ世帯に住んでいるけれども別世帯として扱う「世帯分離」や、昼間の就労を条件に大学夜間部などへの進学を認めるといった「お目こぼし」的な取り扱いにより、辛うじて「アルバイトに明け暮れる学生生活を送り、奨学金という名の多額の借金を背負えば、まったく不可能というわけではない」という状態になっているのが現状だ。給付型奨学金を「当たり前」にする制度改革が待たれる。

 このような制度の詳細や現状を知るには、研修などの機会を確保し、まとまった時間を割いて学ぶ必要がある。しかも制度の運用の実際は、通知・通達によって、しばしば変更される。しかし少なくとも、会場にいた約70人の議員たちは、最新の情報にキャッチアップすることができたはずだ。

 徳丸さんは最初に、CPAO始動のきっかけとなった2つの事件を紹介した。2010年に大阪市西区で起こった2児置き去り死事件と、2013 2010年の2児置き去り死事件では、ネグレクトの末に子どもたちを死なせたシングルマザーの母親に非難が集中したが、母親自身もまたネグレクトの中で育っていた。2013年の母子変死事件の母親は、生活保護の相談のため役所を訪れていたのだが、救われることなく、我が子とともに遺体で発見された。いずれの事例にも、孤立した母親による「孤育て」という問題があった。

 また、「子どもの貧困」という用語が一般的になっているけれども、子どもだけが貧困状態にあるわけではない。親が貧しく孤立しているから、子どもが貧困になるのである。親の貧困と孤立の背景には、雇用や制度の問題がある。その国の「あたりまえの生活」=「権利」(rights)がままならない親と子に対して、「見守る」「地域で支える」といった支援は抽象的すぎることを、徳丸さんは指摘した。

明かされる貧困の実態に
  会場から溜息が漏れる

   徳丸ゆき子さん(NPO法人 CPAO)の講演は、数表やグラフも多用され、知・情・意のすべてに訴えかける内容だった

 CPAOは、欠食状態の子どもに食事を提供するという、極めて具体的な活動を行っている。そのためには、施設、設備、食材に加え、スタッフが責任を持った活動を継続させるための人件費がどうしても必要だ。しかし、公的助成金の用途は、ほぼ「ハコ」「モノ」に限られており、人件費に使えるものは少ない。徳丸さんが、貧困状況にある子どもたちや親たちの深刻な状況、多くの場合に貧困が暴力を伴っている実情、支援者たちにも余裕があるわけではない現状を紹介するたびに、会場から声にならない溜息が漏れた。

 もちろん徳丸さんは、「残酷物語」を列挙しただけではない。「何が必要なのか、どういう支援があったら元気になれるのか、当事者が知っている」というCPAOの活動の基本を述べ、どのように当事者に教えてもらい、何をどう実行し、結果がどうなるのかも具体的に述べた。しかし、会場からはまた、声にならない溜息が漏れた。簡単にできそうなことが、何一つ見当たらなかったからであろう。

 徳丸さんは、「なぜ、日本は子育ての責任を、親だけに負わせるんでしょうか? 昔の日本には、地域での『子育ち』がありました。でも(現在の)国が望むように、『地域の絆で、民間だけで、家族だけでやれ』というのは無理です」と悲鳴のように語り、公的資金投入という必要条件の上に「人が人を支える」という十分条件が満たされる必要性を述べて、話を結んだ。

貧困を見つける方法は?

  議員たちの切実な関心

 質疑タイムに入ると、会場のあちこちから、議員たちが待ちかねていたかのように挙手した。主な質問と田川さん、徳丸さんの回答を紹介する。

「地元では『子ども食堂』活動が盛んになっていますが、ボランティアの確保が課題になっています。CPAOさんではどうしているのでしょうか?」(群馬県・市議)

「前職がNGOだったので、最初はそちらに声をかけました。仕事のかたわら、来てボランティアとして活動してくれました」(徳丸さん)

「自治体によっては、食材の提供・ボランティア希望者などのリソース情報の提供を行っています」(田川さん)

「アウトリーチで、どのように困っている親子を見つけているのか教えてください」(東京都・区議)

「最初の1年間は、週2回、カード1000枚を商店街で配るというアウトリーチを行っていました。1000枚配ると、2~3人のお母さんが『しんどい』『助けて』と声をあげてくれました。どういう言葉が響いたか、どこで知ったかなどを、お母さんにも子どもたちにも聞き、伝え方を変えていきました。また、カードを配っていると、メディアの方にも関心を持たれました。ふだんの活動を、自分たちがネットで発信することも続けています。すると、助けを求めているお母さんたちの目に止まりやすくなり、SOSが届きやすくなりました」(徳丸さん)

「子どもの教育支援・家庭教育支援に関する条例をつくったのですが、家庭の中に踏み込んでいいのかどうか、悩んでいます」(長野県・市議)

「権力が子育てに介入するのは、反対です。『親はこうあるべき』と誰かが決めてよいのでしょうか。家庭教育支援法にも親子断絶防止法にも、私は反対です。DVから逃げているお母さんたちの安全を守り、情報を漏らさないために、いつも必死で注意を払っています。皆さん、議会の中で、お力を貸してください」(徳丸さん)

「子ども食堂がない地域もあります。支援が必要な子どもを適切な支援につなげるために、どうすればよいのでしょうか」(福岡県・市議)

「福岡県は、子ども食堂を含めて、子どもの貧困に対して取り組みが熱心な地域だと思います。貧困率が高いから、頑張らざるを得ないのかもしれませんが。滋賀県は30万円程度のスタートアップ資金とともに、すべての地域で『子どもが歩いていけるところに、子ども食堂を』という状態を目指しています」

「子どもへの『適切な支援』ということで最も厳しいのは、学校の連携です。スクールソーシャルワーカーはいるけれど常勤ではなく、非常勤で仕事を掛け持ちしながらといった方々が多いです。教員は学力をつけることの専門家で、ソーシャルワーカーではありません。しかも忙しすぎます」(徳丸さん)

「学校で困難を把握されているけれども踏み込めない事例に対して、プレイパーク活動が有効なのではないでしょうか」(所属不明)

「たくさんの子どもを対象にすると、厳しい状況にある親子ほど『まぶしくて行けない』ということになります。誰でも来ていいことにすると、最も来てほしい人が来れなくなります。CPAOでも、『誰でも来ていい』ということにしていた時期、学校のイジメが『お前、なんでおるん? 来るな』と持ち込まれました。ですので、基本はメンバー制にしておき、月に1回程度、誰でも来ていい日を設けています」(徳丸さん)

 地域の中を歩き回り、具体的で泥臭いニーズを丁寧に拾い上げる仕事をしている地方議員だからこその問題意識の数々に、私自身が圧倒された。

生活保護ケースワーカーに

  公務としての研修の機会を

 皆さんの地域の議会・議員に、今すぐお願いしていただきたいことが1つある。それは、御地の生活保護ケースワーカーを、本年11月に開催される研修会に職場から派遣することだ。9月に入ったばかりの今なら、働きかければ間に合うかもしれない。

 その研修会とは、本年11月10~12日に岩手県で開催される、全国公的扶助研究会の全国セミナーだ。全国公的扶助研究会は、日本全国の福祉事務所、福祉関連の行政機関、医療機関、支援団体などで、交流と向上に取り組む福祉関係者たちの団体である。年に1回、秋季に各地で開催される「公的扶助研究全国セミナー」には、熱意ある生活保護ケースワーカーや研究者などが全国から多数集まり、交流と学びの3日間を送る。

 参加者たちは、職場から公務(行政派遣)として、あるいは労組から労組活動の一環として派遣される場合もある。しかし、職場や労組のバックアップがなく、自費で有給休暇を取得して参加する場合も多い。この場合、自費の持ち出しだけではなく、多忙なケースワーカー業務の現場を留守にすること、さらに週末の休息を取れない状態で参加することが負担となる。

  田川さんは議員たちに対し、多くの自治体で、生活保護ケースワーカーが福祉専門職として定着できる体制となっていないことを指摘した。福祉専門職としての訓練を受けていない職員を、福祉事務所に配属して生活保護ケースワーカー業務に就かせ、おおむね3年程度で他の職場に異動させることを繰り返している自治体は少なくない。このような職場では、正確な知識に基づく経験が職場に蓄積されにくい。誤解したままの先輩が指導し、おかしなローカルルールがはびこる場合もある。

「でも、公的扶助研究会の全国セミナーのような機会に『まともな生活保護』を勉強すると、『うちは間違っていた』と気づくことができるんです。皆さんの自治体で、ぜひ『行政派遣』をすすめてください」(田川さん)

見えない貧困に目を凝らし

  小さな努力を続ける地方議員を

 愛着を持っている「わが地域」が誇れる地域であってほしいという思いは、誰もが持っているだろう。今、「わが地域」に深刻な貧困があってイメージが良好でないとしたら、近い将来にどうなってほしいだろうか。強引な政治的手法によって貧困層が存在できない地域にすることは、「わが地域」のイメージを刷新するための数多くの選択肢の1つにすぎない。

  見れども見えない貧困に目を凝らし、最も発言力のない幼い子どもたちを最優先に、倦まず弛まず小さな努力を続ける前向きな地域もまた、胸を張って誇れる地域ではないだろうか。

 御地の地方議会を、そういう地域づくりのために力を注ぐ議会にするための第一歩は、あなたが日常的に議会や議員に向ける関心と、あなたの投票から始められる。今日これから、関心を向け始めよう。きっと、遅すぎることはない。


善玉コレステロールを増やすトマト

2017年09月04日 | 健康・病気

悪玉コレステロール=体に悪い、は実は間違い!?

   日刊SPA!  2017.07.31

   人間ドックを受けた3人に1人が指摘されるというコレステロール値。さらに指摘される割合は40代から急激に増加するということで、まさに他人ごとでは済まされないアラフォーの関心事。厳しい現実を突き付けられ、肝を冷やした人も多いだろう。あるいは、日頃から「コレステロールは減らさなければいけない」と意識している人も多いと思う。しかし、そこには大きな落とし穴があるという。実はコレステロールを減らしすぎるのも健康を脅かすリスクがあるというのだ。代表的なコレステロールには善玉と悪玉があることを耳にしたことがある人は少なくないと思うが、一方でその具体的な働きについて、しっかりと説明できる人は少ないのではないか?

   そもそも「善玉」「悪玉」という名前がひとり歩きして、「悪玉=体に悪い」という認識が広がっているが、コレステロールそのものは細胞を構成する成分であり、人が生きていくうえで必要不可欠なもの。悪玉と呼ばれるLDLコレステロールは、コレステロールを全身に運ぶという役割があり、善玉と呼ばれるHDLコレステロールは血中の余ったコレステロールを回収し、健康に役立つ働きがある。簡単にいえば、悪玉が全身に運んだコレステロールのうち、余分なものを善玉が回収してくれるという仕組み。そのため、両者のバランスを維持することこそが何より大切なのだ。

   しかし、多くの人は「悪玉さえ減らせばいい」との思い込みから、カロリーを制限したり、脂っこい揚げ物を控えたりして、ケアしたつもりになっている。しかし、むしろ盲点となっている「善玉を増やすこと」をより意識することこそが、我々にとって正しいお作法なのだ。

   では、善玉コレステロールはどのように増やせばいいのか? 一般的に広く知られているように「適度な運動」や「バランスの良い食生活」がいいとされていて、それはもちろん間違いではないが、多忙なサラリーマンにとってこれらはシンプルながらも実践するハードルはけっこう高い。そんななか、善玉コレステロールを増やすために有効な食品としてにわかに注目を集めているのが、トマトだ。

   トマトに含まれているリコピンという成分に善玉コレステロールを増やす働きがあることが最新の研究で明らかになった。1日にトマトを300g食べ続けるという生活を8週間続けた人の善玉コレステロールが増えたというのだ。そのまま食べるのはしんどいかもしれないが、サラダはもちろん、今の時期なら晩酌のツマミを冷やしトマトにしたりするような工夫をすれば、摂取する負担が軽減するだろう。さらに「油と一緒に摂る」「加熱する」などするとリコピンの吸収率が上がるので、オリーブオイルで調理するといいかもしれない。


 寒くなりました。今朝の最低気温5.8℃。今季初めてストーブ点火です。
ハウスもあけっぱなしでしたが、今日は全部閉めてきました。
田んぼも色ずきもう1週間もすれば稲刈りが始まります。


とうきび・トウモロコシ・スィートコーン

2017年09月03日 | 野菜・花・植物

 北朝鮮が核実験を強行したことに強く抗議する
本日午後3時(日本時間午後3時半)、北朝鮮が水爆実験に完全成功したと発表した。北朝鮮による核実験は6回目。

 心配した台風15号、こちらはやや風があるもののいい天気です。でも、今朝の気温6℃でした。

 売り物にならないとうきびが結構残っています。先端まで実が入らなかったもの、全体が小ぶりなもの、列の一部が不稔になったもの、等。このまま置いておくと確実にキツネにやられてしまいます。最近は昼飯代わりに3.4本食べています。あとは実をそいで冷凍保存です。

 こちらは、昨年の記事の抜粋です。

  2016年09月16日 | 野菜・花・植物

 今が旬!トウモロコシと「骨太」の意外な関係 最新研究で面白い機能が分かってきた!

       東洋経済オンライン 2016.9.14 丸田 みわ子

  6~9月が旬と言われるトウモロコシ。夏祭りの屋台やご家庭で、日常的にトウモロコシを堪能している方も多いことでしょう。缶詰のコーンスコーンスープやコーンサラダなどは人気アイテムとして年中親しまれています。

 そんなトウモロコシ、最新の研究で興味深いことが分かってきました。トウモロコシに含まれる水溶性食物繊維が成人の「骨」の形成に役立つというのです!

 

 トウモロコシの最新研究

  トウモロコシは世界三大穀物の一つで、イネ科の植物。世界全体の収穫量のうち、約64%が家畜の飼料、約32%がコーンスターチ製造、そして野菜として直接食べられているのは、実はほんの4%にすぎません。

 野菜類となるトウモロコシは、甘味種(スイートコーン)に属し、未成熟状態で収穫されたものです。夏は生鮮野菜として、また缶詰やレトルトコーンとして加工保存食にもなります。

 トウモロコシには、ほかの野菜類と同じく、不溶性食物繊維と水溶性食物繊維が両方含まれています。水溶性食物繊維は、文字通り水に溶ける食物繊維。腸内で水分を抱えてゲル状の成分になり、有害物質を吸着して体外に排出する役目があります。

 中でもトウモロコシの水溶性食物繊維は、腸内細菌によって短鎖脂肪酸と呼ばれる物質にまで分解され、それがカルシウムの吸収力を高めていることが、米国パデュー大学の研究で明らかになりました。

  カルシウムは骨形成にとっていちばん大切なミネラル。体内のカルシウムは、99%が貯蔵カルシウムとして骨に蓄積されていますが、加齢と共に骨量は減っていくので、食品からの摂取は必須です。トウモロコシ自体にカルシウムはほとんど含まれていませんが、体内のカルシウムや骨量を守る面で、トウモロコシは強力な味方となりそうですね。

  ちなみに、厚生労働省「日本人の食事摂取基準2015」によると、カルシウムの1日の摂取基準は650mg(男性30~49歳、女性15~69歳)。しかし、男女ともに1日平均約130~160mg不足しているのが現実です。カルシウムが接種できる食品とともに、体内に効率よく蓄積できるようにサポートしておくのも必要でしょう。

  トウモロコシの黄色い粒々の色は、カロテノイドの一種「ゼアキサンチン」によるものです。この成分には目に入ってしまった紫外線を吸収して活性酸素を除去する働きがあり、視力低下の防止や、皮膚と目の粘膜を保護する働きも期待できます。

   また、トウモロコシの油分はリノール酸で、コレステロール値を低下させ、動脈硬化を予防する働きがあります。さらにさらに、不溶性食物繊維にはセルロースが含まれ、腸内環境を整える働きも!

  トウモロコシの生鮮野菜としての旬は、ほぼ今月いっぱい。来月には市場から消えていくでしょう。


キャバクラ-未婚10代母,娘残し無念暴行死

2017年09月02日 | 事件

   毎日新聞2017年9月2日

   東京都港区新橋のキャバクラ店で7月、勤務中だった与島稜菜(りょうな)さん(当時19歳)が、店の経営に関与していたとされる伊藤英治郎被告(31)=傷害致死罪で起訴=に顔を踏みつけられるなどの暴行を受け、亡くなった。与島さんは2歳の長女を育てるシングルマザー。自立を模索するさなかだった。

「ママに会いたい」。骨つぼの前で、まだ死の意味も分からない長女が訴える。両親によると、与島さんは高校1年の時、同級生の子を妊娠して中退。出産後、「自立のために勉強したい」と高卒認定を取り、がんで闘病中の父親(53)と、働く母親(52)に支えられ、長女を保育所に預けて弁当店のパートをしていた。早朝勤務だったため「昼間は子供をみられるのでは」と区役所から指摘された。

  無資格でできる産婦人科の看護助手になったが、「できた命を大切にしたい」と出産を選んだ与島さんには人工妊娠中絶に関連する業務が耐えられず、昨夏退職した。

 中学時代から与島さんの勉強や子育てを支援していたNPOの男性(27)は「根を詰めて働き、親に頼らず自分で何とかしたいという気持ちが強い子だった。子育てを支援していた助産師は、いつも子供最優先で愛情を注ぐ姿を見て看護職を勧めていた」と振り返る。

 昨年10月から「やり直したい」と高校時代の同級生と長女との親子3人で暮らし始めた与島さん。「動物の看護学校に行きたい」と夢を語った。しかし、日々の生活費を巡るけんかが絶えず、生き抜くために見つけた職がキャバクラだった。後から知った両親は長女を引き取り、与島さんにも実家へ帰るよう促したが、次第に連絡が取れなくなった。支援のNPOとも、子育てサロンが閉鎖されてからは疎遠になっていた。

  「これがうちの娘?」。事件後、両親が病院で目にしたのは別人のように何倍にも顔を腫らし、意識不明の重体となった姿だった。顔では判別できず、手の爪を見て「娘の好みのネイルだ」と確認できた。医師の説明では「持って2日」。脳の腫れがひどかった。

  与島さんがいつも身につけていた母親とおそろいの指輪は、ひしゃげていた。目や鼻からの出血が止まらず、母親は「痛かったね。寝たきりでもいいから頑張ってね」と声をかけながら毎日タオルで拭き続けた。願いは届かず、5日後に息を引き取った。

 

 「これは殺人ではないですか。稜菜は事件前日、『昼間働きたいから辞めたい』と(伊藤被告に)伝えていたそうです。出勤しなければよかったのに。どうしてもっと親を頼らなかったのだろう」。母親の胸にはさまざまな思いが入り乱れる。

    ◆

  事件後、キャバクラやスナック従業員の労働組合「キャバクラユニオン」が緊急声明を発表。キャバクラの労働環境について「暴力は私たちが常に向き合わされている現実」と訴えた。

  布施えり子共同代表によると、相談してくる女性の大半は、昼間の仕事は非正規で十分稼げないことを理由にキャバクラ勤務を始めるという。すぐに働けて、日払いで給料をもらえる仕事は頼みの綱だ。

  業界に入ってくる女性が増える分、「使い捨て」のリスクは高まっている。給与の未払い、長時間拘束、即日解雇は日常茶飯事だ。店長やオーナーが暴力で支配し、従業員は不当な扱いに抗議できない心理状況に追い込まれやすい。客や経営側の暴力に泣き寝入りするしかないという相談は多い。与島さんも、従業員の男性が暴行される様子を見て出勤できないことがあったという。

  ネット上には、被害女性やユニオンに対する中傷があふれた。「高給の代償だ」「女性を売り物にすればリスクはつきもの」--。布施さんは「水商売への差別的視線を感じる。被害者へのバッシングが、ますます被害の声を上げづらくさせる。まず実態を広く知ってほしい」と訴える。

    ◆

 「10代の妊娠は『予防すべきリスク』とされ、母親に対する偏見は根強い。出産後の苦境は自己責任とされ、公的支援はないに等しい」と指摘するのは、若年母親の生活実態を研究してきた大川聡子・大阪府立大准教授(地域看護学)だ。

  厚生労働省の人口動態調査などによると、10代で妊娠した人の4割が出産し、出生数は1万~2万人の間で推移している。中卒や高校中退で、アルバイトやパートの不安定雇用となるケースが多いとみられる。未婚での出産や離婚で、実家の援助がなければ孤立しがちだ。

  出産を選ぶ若年母親は、もともとの家庭環境や学校生活に課題を抱え、母親となることで社会や新たな家族とのつながりを求める志向が強いという。米国や英国では、子供への貧困の連鎖を防ぐため、高校併設の保育所や、教育や職業訓練を受ける未成年の親には保育料を免除する制度も整備されている。大川准教授は「日本でも母親の就労や教育に関するニーズの把握と、将来設計を含めた支援のための制度構築が必要だ」と話す。【稲田佳代】

 

 キャバクラユニオンへの相談=火木土日曜の午後3~9時、03・3373・0180。

 SOS赤ちゃんとお母さんの妊娠相談=24時間、0120・783・449。


まるで戦前の「たこつぼ労働」を思い出す。
以前の記事にもあったが、高校生が妊娠すると「退学」という「処分」で高校はその責任を放棄する。ここで食い止めなければ・・・・・


関東大震災から一夜明けた9月2日の午後8時頃・・・・

2017年09月02日 | 事件

「歴史修正が恐ろしい」日本フォークソングの始祖、中川五郎はだから歌い続ける

かつて朝鮮人虐殺が起こった現場で、彼は語った。

  ハフィントンポスト2017年09月01日

 1923年、関東大震災から一夜明けた9月2日の午後8時頃。東京府北多摩郡千歳村字烏山において新宿方面に移動中のトラックが自警団によって止められ、竹やり、棍棒、トビ口などで武装した人々に取り囲まれた。

   車中に乗っていたのは17人の朝鮮人労働者たちで京王電鉄の依頼を受けて土木作業現場に就く途中であった。すでに「震災の混乱に乗じて転覆を図る朝鮮人暴徒が世田谷方面から集団で襲って来る」等のデマが千歳村に流布されており、尋常ならざる興奮状態であった武装集団は数回の押し問答の末、朝鮮人という言葉に反応し手にした凶器で襲い掛かった。

   法に基づいた調査もなされずにただ朝鮮人ということだけで凄惨を極める私刑が行われた。当時35歳だった洪其白さんたち13名が犠牲になった。

   かつてその朝鮮人虐殺が起こった現場、千歳烏山の大橋場の現場を今、じっと見ながら中川五郎は言う。

「僕は1980年代に10年ほど烏山に住んでいて、このあたりもよく通っていながら、事件のことを知らなかったんですよ。それから烏山神社のことも。だから加藤さんの本を読んだときはショックでね。すぐに歌を作って現場を訪れました」

   加藤直樹著「九月、東京の路上で」(ころから刊)は当時の文献や証言に踏み入り関東一円で同時多発的に巻き起こった虐殺の事実を徹底的に検証した良書である。難民を助ける会の長有紀枝理事長はボスニアのスレブレニッツァで起こった「民族浄化」を長年に渡って研究してきたアカデミシャン(立教大学教授)でもあるが、「九月」を読んで自分の足元でも同様にこのようなジェノサイドが起こっていたことに衝撃を受けたと語っている。

   中川もまたこの本に突き動かされて「トーキング烏山神社の椎ノ木ブルース」を作った。虐殺事件に触れる世田谷区50年誌によれば、かつて烏山神社にあった13本の椎の木は「自警団に殺された13人の朝鮮人の霊をとむらうために植えられた」とあるが、加藤は新たに「烏山神社の椎の木は朝鮮人供養のためではなく、殺人罪などで起訴された加害者のご苦労をねぎらうため」という地元に暮らす古老からの証言を掘り越している。

  「怖いことです。僕も住んでいたからこそ分かるんですが、千歳の村でかばい合う意味での絆があったんでしょうね。身内の団結というか、例え誤ったことでもそれは地元のためにやったことだからと正当化してしまう。内向きでそれを正義にしてしまう。日本の恐ろしい所、この国が犯して来た過ちです。これを歌わなければと強く思ったわけです」

   本が出たのが2014年3月で5月にはもう曲を作っていた。烏山で起きた事件をひとつの物語としてろうろうと歌い上げるバラッドは実に17分49秒におよぶ大作となった。

   「でもね」と続ける。「僕が歌っているのは、94年前のことではなく、今の日本のこと。事件は過去のことでも現在と未来のことを歌っているんです」

   一時ほどではないにせよ、白昼堂々と「朝鮮人を殺せ」と叫ぶヘイトスピーチが横行し、それらを企んだ人物が政党を作った。一年前には相模原の障害者施設で19人が殺害される事件が起こった。

「自分たちと異なる人たち、出自を外国に持つ人であったり、障害を持つ人たちとこの国で共に生きようとするのではなくて排除しようとしている。そんなひどい社会になっているじゃないですか」

   そして関東大震災の虐殺については、歴代都知事が行って来た朝鮮人犠牲者の追悼式に対する追悼文を小池百合子都知事が、約6000人という犠牲者の数に疑義を呈して今回は見送ると表明した。

「ああいう歴史修正が恐ろしい。小池知事は東京大空襲や広島、長崎の被害の数字にはこだわりは見せていないじゃないですか。それでいて関東大震災の虐殺については数字から事実ではないのではないかという言いがかり。仮にその数字に信憑性がなかったとしても、例え犠牲者の数が少なかったとしても、デマがあって自分たちと違う人々がそれを理由に殺されたという悲惨な出来事自体はあったわけです」

「都知事の立場ならば、かつて東京でそういう事件が起こったということ、数字の正確さよりもそれを二度と繰り返さないという誓いを言わないといけないと思うんですよ。ところが、数字の問題にすり替えて、あった事実をゼロにしてしまう。知事が追悼の言葉を送らないなんて考えられないですよ。恐ろしい時代になって来ました。そのおかげで僕はこの年になって歌いたいことがどんどん出て来ました」

 

   岡林信康や高石ともやら日本のフォークソングの始祖の一人、中川が歌い始めたのは1967年、大阪寝屋川の高校二年のときである。アメリカのシンガー、ウディ・ガスリーやピート・シーガーそしてボブ・ディランに大きな影響を受け、被差別の問題やベトナム反戦をテーマに曲を作った。1969年には伝説の第一回中津川フォークジャンボリーにも出演している。

「フォークジャンボリーも第一回は本当に手作りでウッドストックなんかの海外の野外フェスと関係のないところでやったんですよ。画期的でしたね。ところが翌年から野外フェス=ウッドストックになって、71年にも出演しましたが、規模が大きくなりすぎて違和感がありました」

「当時の関西フォークは反戦歌が当たり前でした。でも70年代に入ってその後は政治を歌に持ち込まないということが主流になっていった。僕が影響を受けたアメリカのフォークからすればあんなのはただの流行り歌です。フォークは暮らしを歌う、暮らしは政治を歌う。でも自分たちの暮らしだけで完結してしまう歌が増えた。自分たちだけが幸福だったら良くて他の人は知らない、そんな歌ばかり」

  一時は歌の世界から離れていたが、2000年代になって戻って来た。それはやはりフォークシンガーとして看過できない社会になってしまったからである。

「どんどん不自由になってきてジュネーブでの軍縮会議でも日本の高校生のスピーチが無くなってしまいましたよね。僕の表現に対する考え方は飾ったり、難しいことや誰もやったことのない新しいことをやることじゃなくて、正直になって裸になることです。それが一番伝わる。逆に言うと裸になって真っ直ぐな思いを表現するというのは50年やってきたけど一番難しいんです」

   自ら訳詩集も出しているボブ・ディランのノーベル文学賞についてはこう言った。「受賞理由をよく読むと歌詞が文学的ということではないんです。トラッドなアメリカの民衆音楽をベースにして訴えたいことをやり続けて来たことを文学だという。僕もその評価が正しいと思う」

   ディラン同様に自らも活動を続ける。「まずは人前で歌いたいという気持ちが強い。そして歌詞を見ずに歌いたい」今は月に20回のライブを行っている。9月5日は作って3年歌い続けて来た「トーキング烏山神社の椎ノ木ブルース」がついにCDになり発売となる。

中川五郎「トーキング烏山神社の椎の木ブルース」