里の家ファーム

無農薬・無化学肥料・不耕起の甘いミニトマトがメインです。
園地を開放しております。
自然の中に身を置いてみませんか?

<虐待なくすために>(5最終回)お父さんも育児休暇を

2019年04月15日 | 社会・経済

  東京新聞社説 2019年4月13日

 

 虐待予防の方策には考古学の精神が必要だと、NPO法人「カンガルーの会」(高知県)代表の沢田敬医師は考えている。国からの上意下達ではなく、親子とふだん接している人たちから現場での体験談を「発掘」し、積み上げていくことが大切だというのだ。

 確かに、保健師や保育士などの話を聞かせてもらい、ベテランの勘が、親子のSOSをすくい取るカギを握っていると感じた。状況に応じて力を発揮するには、経験を積み重ね、志を育む時間や余裕が必要だろう。仕事の量が過大になれば、その理想は遠ざかる。経験で培われる安全網を政策が支えられる社会になればと願う。

 一方で、高知で聞いた話から見えてこなかったのは、お父さんの存在だ。日本の子育てでお父さんはまだ「遠景」だと感じた。

 子育ての主役となったお父さんを題材にした写真展が世界六十五カ国以上を巡回している。「スウェーデンのパパたち」展=写真(省略)=だ(詳細はスウェーデン大使館=https://www.swedenabroad.se/swedishdads.jp)。スウェーデンは国から給付を受けられる育児休暇が四百八十日間あり、そのうち九十日は父親専用だ。写真展では六カ月以上育休を取った父親を紹介している。

 同国は親の子どもに対する体罰を一九七九年に法律で禁止。体罰を用いる人の割合は法施行前の九割以上から約一割まで減少した。大使館広報部のアダム・ベイエさんによると、育児休暇制度を充実させ、親のストレス水準が下がったことも、一つの要因と考えられるという。

 ベイエさんは「日本では企業文化が個人に与える影響が強いと感じる。企業の文化を変えるのがカギ」と話す。

子どもの犠牲をなくすには、社会のありようを幅広く見つめ直す必要がある。 =おわり (早川由紀美が担当しました)


 一日雨の日。氷点下にはならなかったが寒い。
こんな日には床屋さん。こまごまとしたお買い物。
午前中、苗の鉢上げ作業。


<虐待なくすために>(4)心にできたトゲを抜く

2019年04月14日 | 社会・経済

  東京新聞社説 2019412

 

   「息は吐かないと、吸えないよ」。高知県いの町地域子育て支援センター「ぐりぐらひろば」を三月に定年退職した保育士畠山あゆみさんは、子どものころ、父親から水泳を教えられたときに言われた言葉を仕事中に思い出していたという。「お母さんたちも、まずは気持ちを吐き出す場所が必要なんです」

 センターは妊婦や保育園に行く前の親子らが、遊んだりくつろいだりすることができる場所だ。保育士や保健師などに子育て相談に乗ってもらうこともできる。

 児童相談所での虐待対応件数は全国で年間十三万件を超え、十年で三倍以上に増えた。社会問題となる中で通報件数が増えているなどの事情もあるが、核家族化や地域のつながりの希薄化で、親子が孤立しがちになっていることも一つの構造的な背景と考えられる。国はセンターのような支援拠点を孤立を防ぐための事業と位置付けて後押ししており、全国で七千二百カ所以上に広がる。

 子どもたちが遊具で遊んだり、走り回ったりしているのはほほ笑ましい光景に見えるが、職員は心配なサインもさりげなく見守っている。親子で交わされる視線にトゲを感じるなど気になった時には、個別に話をする。お母さんたちの得意分野を生かしたイベントなどを開くこともある。自分自身が持っている力や良さに気が付いてもらいたいからだ。

 虐待をしていると打ち明けられるときもあれば、生きづらさを伝えられることもある。畠山さんはお母さんが人に弱みを見せられるようになることは、子どもにとっても意味があると考えている。「困ったら誰かに相談してもいいんだと、お母さんが背中で子どもに教えている」

 育児休暇が終わり、センターを「卒業」するお母さんから「これからは後輩に優しくする」「会社で『何でそんなことできないの』とイライラすることがあったけど、これからは違う」と言われたという畠山さんの言葉に考えさせられた。

社会の中で人はさまざまな重圧を受けながら生きている。それは時に心のトゲに変わって誰かを傷つけることにつながることもある。親子関係に限らず、人の痛みや弱さを受容できる雰囲気を育んでいくことも、巡り巡って弱い立場にある子どもに気持ちの刃が向かない社会をつくる一つの道筋なのかもしれない。


 10℃を超える陽気になった。白樺樹液の採取も今日でやめにした。
春のいちばん花。

にばん花

 家の前の畑は、まだ50㎝。


<虐待なくすために>(3)保育に志抱ける環境を

2019年04月13日 | 野菜・花・植物

 東京新聞社説 2019411

  高知市中心部の保育園で園長をしていた前野當子さんが、沢田敬医師と出会ったのは二十年ほど前の園長会での講演だった。

 当時、複雑な事情を抱えた家庭の子どもが増えていた。心のもやもやが、園での乱暴な言葉やふるまいという形で噴き出していた。

 その後、仲間の保育士と沢田医師との勉強会を重ねた。子どもには「甘え」を受け止めてくれる存在が必要。もし親の心が弱って受け止められない状態ならば、親も支えてあげた方がいい-。そんな話を聞くうち、「(園にとっての)困った保護者」は、困り事を抱えた一人の人間だと想像できるようになった。

 「親なのに何でこんなことができないの」といういら立ちが、「しんどい中で、よう育ててきたね」という共感に変わると、保護者の方から悩み事を打ち明けてくれるようにもなった。

 いつもミニスカート、ハイソックスで一歳の子どもを預けに来る若いお母さんがいた。下にはゼロ歳児もいた。園を出てから翌朝登園するまでおむつが交換されていない日が続き、見かねた前野さんが家を訪ねると、こたつに電気が入っておらず、食べ物はふかしたイモしかなかった。生活保護の申請に付き添った。

 子どもの父親は家を出ていたが、三人目を身ごもっていた。園に来なかった日に家に行くと、自宅で一人で出産していた。赤ちゃんは低体温症で「菜っ葉色」になっていたが、救急車を呼び一命を取り留めた。

 その後、生い立ちを打ち明けられた。母親はアルコール依存症で自分もお風呂場で産み落とされたこと。施設に預けられたが、家に戻った後、よくたたかれたこと。子どもが卒園するときには「先生がお母さんだったら良かったのに」と抱きつかれた。お母さんは現在、三人目は里子に出しているが二人は自分で育てている。

 前野さんは十年前に定年退職し、沢田医師とともにNPO法人「カンガルーの会」で虐待予防に取り組む。保育園でも研修会をしているが現場のあまりの忙しさが気掛かりだ。

 国会では幼児教育・保育を無償化するための子ども・子育て支援法改正案が九日、衆院を通過。これから参院での審議が始まる。「無償化よりまず、受け持ち人数を減らし、保育士が志を持って子どもや親に向かいあえる余裕が必要」と前野さんは話す。


 一気に春めいてきました。とは言え、家の前の畑はまだ土も見えず。裏山の白樺の間の雪もまだ十分あるのですが、気温が高くなったせいで芽が動き始めたのでしょう。樹液もあまり出ていません。出の悪いところは撤収しています。

江部乙の様子。


ご入学おめでとうございます。

2019年04月12日 | 教育・学校

上野千鶴子さん「社会には、あからさまな性差別が横行している。東大もその一つ」(東大入学式の祝辞全文)

「あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください」

ハフポスト4月12日

 4月12日、東京大学の2019年度入学式が日本武道館で行われた。

祝辞には、女性学のパイオニアである社会学者の上野千鶴子名誉教授が登壇。

2018年に発覚した東京医科大学の性別や年齢による差別的な不正得点調整について言及し、性差別について、がんばりが報われない社会、そして「知」とは何かについて新入生に語りかけた。

(省略)

【平成31年度東京大学学部入学式 祝辞全文】

ご入学おめでとうございます。あなたたちは激烈な競争を勝ち抜いてこの場に来ることができました。

その選抜試験が公正なものであることをあなたたちは疑っておられないと思います。もし不公正であれば、怒りが湧くでしょう。が、しかし、昨年、東京医科大不正入試問題が発覚し、女子学生と浪人生に差別があることが判明しました。文科省が全国81の医科大・医学部の全数調査を実施したところ、女子学生の入りにくさ、すなわち女子学生の合格率に対する男子学生の合格率は平均1.2倍と出ました。

問題の東医大は1.29、最高が順天堂大の1.67、上位には昭和大、日本大、慶応大などの私学が並んでいます。1.0よりも低い、すなわち女子学生の方が入りやすい大学には鳥取大、島根大、徳島大、弘前大などの地方国立大医学部が並んでいます。ちなみに東京大学理科3類は1.03、平均よりは低いですが1.0よりは高い、この数字をどう読み解けばよいでしょうか。統計は大事です、それをもとに考察が成り立つのですから。

女子学生が男子学生より合格しにくいのは、男子受験生の成績の方がよいからでしょうか?全国医学部調査結果を公表した文科省の担当者が、こんなコメントを述べています。

「男子優位の学部、学科は他に見当たらず、理工系も文系も女子が優位な場合が多い」

ということは、医学部を除く他学部では、女子の入りにくさは1以下であること、医学部が1を越えていることには、なんらかの説明が要ることを意味します。

事実、各種のデータが、女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高いことを証明しています。まず第1に女子学生は浪人を避けるために余裕を持って受験先を決める傾向があります。第2に東京大学入学者の女性比率は長期にわたって「2割の壁」を越えません。今年度に至っては18.1%と前年度を下回りました。

統計的には偏差値の正規分布に男女差はありませんから、男子学生以上に優秀な女子学生が東大を受験していることになります。第3に、4年制大学進学率そのものに性別によるギャップがあります。

2016年度の学校基本調査によれば4年制大学進学率は男子55.6%、女子48.2%と7ポイントもの差があります。この差は成績の差ではありません。「息子は大学まで、娘は短大まで」でよいと考える親の性差別の結果です。

最近ノーベル平和賞受賞者のマララ・ユスフザイさんが日本を訪れて「女子教育」の必要性を訴えました。

それはパキスタンにとっては重要だが、日本には無関係でしょうか。「どうせ女の子だし」「しょせん女の子だから」と水をかけ、足を引っ張ることを、aspirationのcooling downすなわち意欲の冷却効果と言います。マララさんのお父さんは、「どうやって娘を育てたか」と訊かれて、「娘の翼を折らないようにしてきた」と答えました。そのとおり、多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきたのです。

そうやって東大に頑張って進学した男女学生を待っているのは、どんな環境でしょうか。他大学との合コン(合同コンパ)で東大の男子学生はもてます。

東大の女子学生からはこんな話を聞きました。「キミ、どこの大学?」と訊かれたら、「東京、の、大学...」と答えるのだそうです。なぜかといえば「東大」といえば、退かれるから、だそうです。

なぜ男子学生は東大生であることに誇りが持てるのに、女子学生は答えに躊躇するのでしょうか。なぜなら、男性の価値と成績のよさは一致しているのに、女性の価値と成績のよさとのあいだには、ねじれがあるからです。

女子は子どものときから「かわいい」ことを期待されます。ところで「かわいい」とはどんな価値でしょうか?愛される、選ばれる、守ってもらえる価値には、相手を絶対におびやかさないという保証が含まれています。だから女子は、自分が成績がいいことや、東大生であることを隠そうとするのです。

東大工学部と大学院の男子学生5人が、私大の女子学生を集団で性的に凌辱した事件がありました。

加害者の男子学生は3人が退学、2人が停学処分を受けました。この事件をモデルにして姫野カオルコさんという作家が『彼女は頭が悪いから』という小説を書き、昨年それをテーマに学内でシンポジウムが開かれました。

「彼女は頭が悪いから」というのは、取り調べの過程で、実際に加害者の男子学生が口にしたコトバだそうです。この作品を読めば、東大の男子学生が社会からどんな目で見られているかがわかります。

東大には今でも東大女子が実質的に入れず、他大学の女子のみに参加を認める男子サークルがあると聞きました。

わたしが学生だった半世紀前にも同じようなサークルがありました。それが半世紀後の今日も続いているとは驚きです。この3月に東京大学男女共同参画担当理事・副学長名で、女子学生排除は「東大憲章」が唱える平等の理念に反すると警告を発しました。

これまであなたたちが過ごしてきた学校は、タテマエ平等の社会でした。偏差値競争に男女別はありません。ですが、大学に入る時点ですでに隠れた性差別が始まっています。社会に出れば、もっとあからさまな性差別が横行しています。東京大学もまた、残念ながらその例のひとつです。

学部においておよそ20%の女子学生比率は、大学院になると修士課程で25%、博士課程で30.7%になります。その先、研究職となると、助教の女性比率は18.2、准教授で11.6、教授職で7.8%と低下します。これは国会議員の女性比率より低い数字です。女性学部長・研究科長は15人のうち1人、歴代総長には女性はいません。

こういうことを研究する学問が40年前に生まれました。女性学という学問です。のちにジェンダー研究と呼ばれるようになりました。私が学生だったころ、女性学という学問はこの世にありませんでした。

なかったから、作りました。

女性学は大学の外で生まれて、大学の中に参入しました。4半世紀前、私が東京大学に赴任したとき、私は文学部で3人目の女性教員でした。そして女性学を教壇で教える立場に立ちました。女性学を始めてみたら、世の中は解かれていない謎だらけでした。

どうして男は仕事で女は家事、って決まっているの?主婦ってなあに、何する人?ナプキンやタンポンがなかった時代には、月経用品は何を使っていたの?日本の歴史に同性愛者はいたの?...誰も調べたことがなかったから、先行研究というものがありません。

ですから何をやってもその分野のパイオニア、第1人者になれたのです。今日東京大学では、主婦の研究でも、少女マンガの研究でもセクシュアリティの研究でも学位がとれますが、それは私たちが新しい分野に取り組んで、闘ってきたからです。そして私を突き動かしてきたのは、あくことなき好奇心と、社会の不公正に対する怒りでした。

学問にもベンチャーがあります。衰退していく学問に対して、あたらしく勃興していく学問があります。女性学はベンチャーでした。女性学にかぎらず、環境学、情報学、障害学などさまざまな新しい分野が生まれました。時代の変化がそれを求めたからです。

言っておきますが、東京大学は変化と多様性に拓かれた大学です。

わたしのような者を採用し、この場に立たせたことがその証です。東大には、国立大学初の在日韓国人教授、姜尚中さんもいましたし、国立大学初の高卒の教授、安藤忠雄さんもいました。また盲ろうあ三重の障害者である教授、福島智さんもいらっしゃいます。

あなたたちは選抜されてここに来ました。東大生ひとりあたりにかかる国費負担は年間500万円と言われています。これから4年間すばらしい教育学習環境があなたたちを待っています。そのすばらしさは、ここで教えた経験のある私が請け合います。

あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。

そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。

世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。

あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。

そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。

女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。

あなた方を待ち受けているのは、これまでのセオリーが当てはまらない、予測不可能な未知の世界です。

これまであなた方は正解のある知を求めてきました。これからあなた方を待っているのは、正解のない問いに満ちた世界です。

学内に多様性がなぜ必要かと言えば、新しい価値とはシステムとシステムのあいだ、異文化が摩擦するところに生まれるからです。学内にとどまる必要はありません。東大には海外留学や国際交流、国内の地域課題の解決に関わる活動をサポートする仕組みもあります。

未知を求めて、よその世界にも飛び出してください。

異文化を怖れる必要はありません。人間が生きているところでなら、どこでも生きていけます。あなた方には、東大ブランドがまったく通用しない世界でも、どんな環境でも、どんな世界でも、たとえ難民になってでも、生きていける知を身につけてもらいたい。

大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたしは確信しています。知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。

ようこそ、東京大学へ。

 

平成31年4月12日

認定NPO法人 ウィメンズ アクション ネットワーク理事長

上野 千鶴子

 ***

その一方で、こんな事件がありました。

 

文系の博士課程「破滅の道。人材がドブに捨てられる」 ある女性研究者の自死

大きな研究成果を上げ、将来を期待されていたにもかかわらず、43歳で自ら命を絶った。

 朝日新聞デジタル 2019年04月10日

 

文系の博士課程「進むと破滅」 ある女性研究者の自死

 大きな研究成果を上げ、将来を期待されていたにもかかわらず、多くの大学に就職を断られて追い詰められた女性が、43歳で自ら命を絶った。

 日本仏教を研究してきた西村玲(りょう)さんは、2016年2月に亡くなった。

 04年に博士(文学)に。05年、月額45万円の奨励金が支給される日本学術振興会の特別研究員に選ばれた。

 実家で両親と暮らしながら研究に打ち込み、成果をまとめた初の著書が評価されて、09年度に若手研究者が対象の賞を相次いで受賞。恩師は「ほとんど独壇場と言ってよい成果を続々と挙げていた」と振り返る。

 だが、特別研究員の任期は3年間。その後は経済的に苦しい日が続いた。

 衣食住は両親が頼り。研究費は非常勤講師やアルバイトでまかなった。研究職に就こうと20以上の大学に応募したが、返事はいつも「貴意に添えず」だった。読まれた形跡のない応募書類が返ってきたこともあった。

 安定した職がないまま、両親は老いていく。14年、苦境から抜け出そうと、ネットで知り合った男性との結婚を決めた。だが同居生活はすぐに破綻。自らを責めて心を病んだ。離婚届を提出したその日に自死した。

 父(81)は、「今日の大学が求めているのは知性ではなく、使いやすい労働力。玲はそのことを認識していた」と語る。

 90年代に国が進めた「大学院重点化」で、大学院生は急増した。ただ、大学教員のポストは増えず、文科系学問の研究者はとりわけ厳しい立場に置かれている。首都圏大学非常勤講師組合の幹部は「博士課程まで進んでしまうと、破滅の道。人材がドブに捨てられている」と語る。


まさに、「がんばりが報われない社会」である。「知性」「教養」のない国民を大量生産しているのだ。それが「権力」。

 


<虐待なくすために>(2)辛い記憶の連鎖を断つ

2019年04月11日 | 社会・経済

 

東京新聞社説  2019年4月10日

 妊娠が分かった時には、住んでいる市区町村に妊娠届を出し母子手帳を受け取る。高知県須崎市では、この時に記入してもらうアンケートに「よろしければあなたの子どもの頃についてお聞かせください」という項目を入れている。

 子どもの頃、甘えん坊だったかどうか。父母はどう接してくれていたか-。虐待予防の活動をしているNPO法人「カンガルーの会」代表の沢田敬医師が作ったひな型にもとづき、県内では同様の質問をアンケートに入れている自治体も多い。

 沢田医師のもとにはかつて「このままでは子どもを殺してしまう。助けて」と駆け込んできたお母さんがいた。逆上すると子どもを風呂に突っ込んだりしていた。お母さんも子どもの頃自分の親から海に突き落とされていた。

 須崎市の保健師、西本美公子さんは「子どもの頃について『楽しくなかった』『忘れた』などに丸を付ける人は心に留めるようにしている」と言う。表情など、何となく気になるお母さんの様子も裏面に書き留める。

 もちろん、虐待された過去があってもそれを子どもに繰り返さない親も大勢いるし、虐待に至る要因は複合的だ。ただ自分が虐待されていたことで子どもへの適切な接し方が分からず、虐待につながってしまう可能性なども指摘されている。

 心配なお母さんはより手厚く支えることで、辛(つら)い記憶があったとしても、その連鎖を断ち切りたいと西本さんたちは考えている。

 出産前後の家庭訪問では、信頼関係を築くことに心を砕く。ふすまが破れている場合などはDV(配偶者などへの暴力)を疑う。貧困など育児以外の心配事も、担当部局などと連携して支える。沢田医師は「自分が虐待を受けていた人は、なかなか人を信頼できない。生まれて初めて信頼する人が保健師さんの時もある」と話す。

 自治体で働く常勤保健師の数は全国で約三万五千人。介護予防などを行う地域包括支援事業など、仕事の領域は広がっている。「新たな領域に中堅が回り、母子保健は新人が担わないといけない状況が市町村の現場で出てきている」と西本さんは言う。

 政府は、虐待のある家庭の支援や介入に当たる児童相談所の体制を強化する方針を決めている。そこまで深刻化する前の、予防のネットワークをどう築き上げていくかも議論を深める必要がある。


 ミニトマト苗

新しい根と芽が出てきました。根が十分育ってから鉢上げします。


障がいとは何か・・・

2019年04月10日 | 社会・経済

「アスペルガーは才能」ノーベル平和賞ノミネートされた発達障害の少女が投げかける。障がいとは何かを

地球温暖化対策を訴えて起こした「スクールストライキ」が、世界なムーブメントを起こしているグレタ・トゥンベリさん。アスペルガー症候群であることを公表している彼女は、「アスペルガーであることは才能です」と話す。

ハフポス2019年04月10日

 

アスペルガーでなかったら、こうして立ち上がることは決してなかったでしょうーー。

発達障害の1つであるアスペルガー症候群の少女が、地球温暖化を食い止めるためにひとり立ち上がり、全世界を巻き込むムーブメントを起こしている。彼女が動かしているのは、温暖化問題への人々の関心や行動だけではない。その強い意思と行動力は、「障がいとは何なのか」という問いを全世界に投げかけている。

彼女は、スウェーデン出身のグレタ・トゥンベリさん(16歳)。地球温暖化対策を訴える行動が評価され、2018年3月にはノーベル平和賞にノミネートもされた。

彼女の呼びかけはシンプルだ。

「地球温暖化が私たちの生存を脅かす重大な問題ならば、どうして私たちは行動しないのでしょう」

BBCによると、始まりはスウェーデンで総選挙が迫っていた2018年8月。グレタさんは、「気候のためのスクールストライキ」というプラカードを掲げて、ストックホルムの国会議事堂の前で座り込んだ。ストライキは総選挙までの2週間、毎日続いた。その後も、毎週金曜日には学校を休んで、座り込みを続けている。彼女の行動はまたたく間に世界中に広がり、地球温暖化対策を求める大規模な抗議運動へと発展した。「#FridayForFuture 」というハッシュタグと共に、欧米を中心に多くの若者が運動に参加し、その様子をSNSで発信している。グレタさんは12月には、ポーランドで開かれた会議COP24(通称:国連気候会議)、2019年1月にはダボス会議(世界経済フォーラムの年次総会)で演説した。

グレタさんは、アスペルガー症候群と強迫性障害、選択的無言症であることを公表してる。Twitterのプロフィールは「16歳のアスペルガーの環境活動家」だ。アスペルガー症候群とは、知的障害を伴わない自閉症のこと。東京都自閉症協会によると、対人コミュニケーションが苦手、興味の対象が限定的、などが主な症状だという。

 しかし、グレタさんは言う。「アスペルガーは病気ではなく、1つの才能。アスペルガーでなかったら、こうして立ち上がることはなかったでしょう」と。(本人Facebook 2/2の投稿より)

アスペルガーだからこそ、人とは違った視点で世界が見れるのです。もし私がアスペルガーでなかったら、そんな風に世界を『外側から』見れなかったでしょう        スウェーデンのTVトークショー「Skavlan」より

 私のようなアスペルガーの人間にとっては、ほとんど全てのことが白 黒どちらかなのです。私たちは嘘をつくのがあまり上手ではありません

(中略)

私にとってこれ(地球温暖化)は白か黒かの問題です。生き残りの問題となればグレーな部分はありません      

Greta Thunberg TEDより

「正直すぎること」もアスペルガー症候群の特徴の1つだ。これは、コミュニケーションにおいては「空気が読めない」という欠点になるが、「社会のルールや常識にとらわれず、思ったことをはっきり言える」という利点にもなり得る。グレダさんの「温暖化はこれほど深刻な問題なのに、なぜ私たちは行動を起こさないの」というまっすぐな問いかけは、「正直で」「白黒つけないと気が済まない」というアスペルガー症候群の彼女の個性からきているのかもしれない。

一方で、グレタさんは障がい者としての生きづらさも語っている。

(アスペルガーなどの)自閉症であることは、学校や職場、そしていじめとの終わりなき闘いです
本人Facebook 4/2の投稿より)

それでも、

正しい環境下で、正しく適応すれば、(自閉症であることは)スーパーパワーとなり得るのです

                       (本人Facebook 4/2の投稿より)

とも。

実は著名人にも、発達障害を公表している人は多い。世界的な映画監督スティーブン・スピルバーグは失読症を、経済評論家の勝間和代さんや女優の黒柳徹子さんも、ADHD(注意欠陥・多動症)であることを公表している。

障がいは、「ネガティブ」ではない。むしろ、「世界を動かすほどのパワーをも秘めている」、そんな事実をグレタさん自身が証明している。

「アスペルガーは才能」

「アスペルガーであることは私の誇りです」(本人Twitter 4/2の投稿より)

彼女の存在によって、世界の「障がい」の受け止め方がひとつ変わるかもしれない。

Carsten Koall via Getty Images「気候のためのスクールストライキ」と書かれたプラカードを掲げるグレタ・トゥンベリさん
 

 

統一地方選前半が終わり、41道府県議選は過去最低の44・02%というありさま。

選挙に参加する意味を多くの人が感じられていないことの表れではないでしょうか。

「何をしてもどうせ…」「日々が忙しくて政治のことまで」という気持ちがますます強くなっていることの現れでしょう。

でも、私たちの暮らしを変えるのは私たち。その実感を得られる政治にしていくためにも、1票を投じなければと思うのです。

 


<虐待なくすために>(1)親も甘える誰かが必要

2019年04月09日 | 社会・経済

  東京新聞社説 201949

    春の花で色づき始めた高知県の町で、生後三カ月になる赤ちゃんを連れたお母さんが、小児科医の沢田敬さん(79)=写真=と向かいあっていた。寝返りがうまくいかず泣きだす赤ちゃん。お母さんに手助けしてもらってうつぶせになると、笑った。

 二カ月前、お母さんの心は極限状態にあった。「虐待する人は特殊な人と思われているけれど違う」と、自分の経験が役立てばという思いから、沢田医師との面談に同席し取材するのを認めてくれた。

 第一子の男児は死産だった。次に生まれたこの子をかわいいと思うと、お兄ちゃんに悪い。葛藤の中、赤ちゃんの激しい泣き声は、お兄ちゃんが「助けて」と叫んでいるようにも聞こえた。妖怪のようだと思った。「育てられない」と追い詰められた。

 異変に気付いた家族から沢田医師にSOSが届いた。地元の保健師とともに定期的にお母さんの話を聞き続けた。「お母さんの悲しい気持ちが響いて、赤ちゃんも泣いている。お母さん思いだね」。沢田医師はそう語りかけた。

 二カ月たってもお母さんは背中のあたりにお兄ちゃんの気配を感じることがあるという。それでも気持ちはずいぶん落ち着いた。「吐き出せる先があったから」

 沢田医師は高知県の公立病院や児童相談所に勤務し多くの親子に接する中で「甘えの力」に気づいた。親に甘えることで、子の原因不明の症状が消えていくこともある。でも、子どもの頃の虐待など、心に傷を抱えている親は、まずそれを誰かが受け止めてあげなければ余裕も生まれてこない-。

 二〇〇九年、保健師や保育士、医師らとNPO法人「カンガルーの会」をつくり、虐待予防の研修会などの活動を始めた。

 千葉県野田市の虐待事件を契機に、親の体罰禁止など法改正の議論が今国会で進む。「北風」の施策も必要だろうが、「太陽」もなければ、救える親子も救えない。社会が太陽であるとはどういうことか、沢田医師と高知県内を巡り考えた。


 江部乙の様子。

 今朝目覚めてどれほどの雪が積もっているか窓越しにのぞいてみると車の上にもなく、リヤウインドーの下にちょこっとあるだけ。これで今季の雪は終わりにしてほしいものだ。

 福寿草が出てきた。これから雪が消えていくとどんどん出てくる。楽しみである。

 こちらは、住まいの前の圃場。まだ80㎝ほどある。


最後の雪になるか?

2019年04月08日 | 自然・農業・環境問題

今日の天気は良かったのだけど、寒さが残っている。
今日の日付が変わるころより朝まで雪マーク。
これ以降週間天気予報に雪マークはなくなった。
あてにはならないのだけれど。

畑の雪も消えました。やはり、融雪剤の効果です。

沼も輪郭がはっきりしてきました。

大きなふきのとう。比較するものがなかったので、あまりはっきりしませんが小さなキャベツ級でした。


自閉症の子と

2019年04月07日 | 教育・学校

自閉症の息子をもつ母がたどり着いた「普通」という呪縛からの解放

  週刊女性PRIME 4/6(土) 

「ジャー!」

  「横浜ランドマークタワー3階のトイレ。TOTO C425」

  スマホを耳に当てた勇太君(18=仮名)はトイレを撮影した動画の流水音を聞くだけで便器の型番をスラスラと答える。200種類以上入れてある動画のごく微妙な音の違いまで聞き分け、どの動画で試しても正解が返ってくる!

精神年齢は5歳8か月

 自宅での勇太君はほとんどの時間をパソコンの前で過ごす。トイレの動画を一心不乱に見て、ときどき家の中をぴょんぴょん走って、また戻ってきて動画を繰り返し見る。

 勇太君は知的障がいを伴う自閉症だ。先天的な脳の機能障がいで、特定のものへの強いこだわりや興味の偏り、他人との関係の形成が難しいなどの特徴がある。知能指数(IQ)は37。今年3月に特別支援学校高等部を卒業したが、精神年齢は5歳8か月だという。

  そんな勇太君を、立石美津子さん(57)はシングルマザーとして、ひとりで育ててきた。一時は親子で死んでしまいたいと思い詰めたほど大変な時期を乗り越え、穏やかな生活を手に入れた。

 「障がい児を育てる親の中には“今度産むなら健常児がいい”という方もいますが、私は自閉症児がいい。ウソもつかないし、素直だし、すっごく楽しいですよ」

 いとおしげにわが子を見つめる表情からも、勇太君のことが可愛くてたまらない様子が伝わってくる。

 「抱っこしてあげようか?」

 大きくなった息子にそう声をかけると、照れた感じで拒絶されてしまう。

  「僕は赤ちゃんじゃない!」

 それでも、立石さんはうれしそうだ。

「だって、これって会話じゃないですか。昔は私の言ったことをオウム返しするばかりでしたから、“ああ、すごく成長したな”と。健常児なら気づかず通り過ぎてしまうようなことでも、成長を感じて感動できるんですよ」

  勇太君が6歳から12年間通った放課後デイサービスのスタッフ、松本さんと石井さんも「その成長ぶりには驚きました」と口をそろえる。

  通い始めた当初、ひんぱんにパニックを起こし自閉症児のなかでも症状は重かった。それが徐々におさまり、今ではスタッフたちにお礼を言ったり手伝ったりできるまでになったという。

  「自閉症は治るものではないけど、ここまで成長できたのは、お母さんが勇太君のこだわりを認めてあげたことも大きいと思います。普通、トイレにあそこまでこだわっていたら、途中でやめてくれと言ってしまいますよ。でも、立石さんは勇太君が興味を持ったことには何でも、納得するまで付き合って伸ばしてあげたんです。そこまでできる親は、なかなかいないですよ」(松本さん)

 わが子を育てた経験を役立てたいと、立石さんは講演で話をしたり本を書いたりしている。依頼が引きも切らないのは、障がい児を持つ親はもちろん、子育てに悩むすべての親にとって、心に響くアドバイスが多いからだろう。

 「お子さんは自閉症ですね」

 立石さんは幼児教育のプロだ。幼児向け教材を作り、課外教室で読み書きなどを長年教えてきた。

 38歳で産んだのが、ひとり息子の勇太君だ。何度か出会いがある中で、大らかな人柄に惹かれた当時のパートナーと2年間、不妊治療を重ね10回目の人工授精で授かった待望の子どもだった。だが、気持ちのすれ違いもあり、結局、ひとりで育てることになった。

 出産後は文字どおり持てる力のすべてを注いで英才教育をした。生後3か月からは毎日、90分かけて絵本を30冊読み聞かせ、漢字カードや算数の教材まで見せた。

  最初に「何かおかしい」と感じたのは、勇太君が生後8か月のころだ。

 「目の前に人の顔が近づいてきても、息子は無視するんですよ。人見知りが始まるころだから、普通は嫌がるか喜ぶかどちらかなのに。私が歯科医院で治療している間、受付の人に抱っこされても親を追って泣くこともない。だから楽は楽でしたけど……」

  一方で、国旗や時刻表、数字に強い興味を持ち、複雑なパズルを瞬時に完成させたりしていたので、あまり深刻に受け止めなかった。

  2歳3か月で保育園に入園。健常児の中にまざると、「明らかに変だ」と感じた。

 「言葉はまったく出ないし、誰とも遊ばないし。仕事中も気になって保育園のライブカメラを覗くと、ずっと玄関にうずくまっている息子の姿が見えて。絶望的な気持ちになりました。どうしても周りの子たちと比べちゃって、何で自分の子だけできないんだろうって……。毎日、迎えに行くのがつらくて嫌でしたね」

  自閉症の診断を受けたのは、入園の1か月後だ。

  勇太君は卵、牛乳への重い食物アレルギーがあり、アナフィラキシーショックを起こしたこともある。アトピー性皮膚炎で湿疹もひどく、乳児のころから国立成育医療研究センターのアレルギー科に通っていた。

 診察後の雑談で、保育園での様子を話すと、主治医はその場でこころの診療部に予約を入れた。

 「お子さんは自閉症ですね」

 こころの診療部の医師は勇太君を診て1分もしないうちに断言した。

 立石さんは診察室を出て、泣きながら看護師に苛立ちをぶつけた。

 「この子をちっとも可愛いと思えない。食物アレルギーで大変なのに、なんで自閉症! こんな子じゃなかったらよかった!」

 診断に納得がいかず、あちこちの病院を巡った。耳が聞こえないから話せないのではないかと2か所の耳鼻科で検査したが、異常はなかった。児童精神科医は少なく、初診はどこも数か月待ちだが、3つの病院で診てもらった。

  だが、自閉症という診断が覆ることはなかった。

    物心がつくようになると、勇太君はこだわりが強くなり、1日に何回もパニックを起こした。

  例えば、夜7時ジャストに夕飯を食べ始めることにこだわり、1秒でも遅れるとパニックを起こす。甲高い悲鳴を上げて走り回り、そのへんの物を手当たり次第に投げたり、歯形が残るくらい自分の腕を噛んだり、壁にドンドン頭突きしたり……。

「ちゃんとしつけろ!」の声に涙

 好きなパズルもピースを置く順番が決まっている。1つでもピースが足りないとテーブルをひっくり返して暴れるので、同じパズルを3セット買って備えた。

  「3、4歳のころがいちばんしんどかったですね。普通の子の100倍くらい大変なわけですよ。こだわりを否定すると不安になって余計パニックになるから、こだわりにはとことん付き合うしかない。

  でも、こっちも疲弊してしまうから、頭にきて私が爆発することも何回もありました。泣きながらバンバン叩きまくったこともありますよ。叩いたってどうしようもないと、わかってはいるんですけどね」

 困ったのは電車移動だ。井の頭線に最初に乗ったとき、旧車両の3000系の各駅停車だった。それ以来、3000系の各停にこだわり、ほかの車両には頑として乗らない。

  いつもは勇太君のこだわりに付き合うが、ある日、急いでいて新車両の1000系に無理やり乗せたら、パニックになった。

   大声でわめき、車内を走り回ってドアに体当たりした。

 「静かにさせろ! ちゃんとしつけろ!」

 勇太君は見た目では障がいがわからない。乗客から怒号が飛んでくるが、どうにもできない。立石さんはあふれる涙を止められなかった─。

「子どもの寝顔を見ていて、一緒に死んでしまいたいと思ったことは、何回もあります。首を絞めたりはしませんでしたが……」

 うつうつとした日々を送る立石さんをさらに追い詰めたのは、騒音問題だ。

  自閉症児には聴覚過敏の子が多い。勇太君も幼いころは掃除機、ドライヤーなどの音が苦手だった。パニックを起こさないように、勇太君が寝ている朝6時に掃除機をかけていると、マンションの階下の住人から苦情が来た。多動で日常的に走り回っていた足音にも苛立っていたのだろう。事情を説明してみたが理解はしてもらえず、結局、転居するしかなかった。

完璧主義の母に育てられたトラウマ

 立石さんの父は祖父の会社を継いだ2代目社長だ。長女として生まれた立石さんは兵庫県芦屋市で3歳まで育ち、妹が生まれて間もなく東京に一家で転居した。

 お嬢様育ちの母は教育熱心で、ピアノ、習字、水泳など習い事もたくさんやらせてくれた。

 「親からは“いつもいい子にしていなさい”“100点を取らないとダメ”と育てられたんですが、私はあまり出来がよくなくて(笑)。優秀な子と比べられて、“何であなたはできないの”とよく怒られていました。だから自己肯定感が低くて、自分にダメ出しばかりしていましたね」

 父の仕事の都合で、小学2年のときに芦屋に戻り、中学1年で再び東京に転居した。立石さんは自ら希望して、中学2年になるときに編入試験を受けて、聖心女子大学の姉妹校に。富士山の麓にある規律正しい寄宿舎で、高校を卒業するまでの5年間を過ごした。

 「口うるさい母親から離れたいという気持ちがあったし、毎日が修学旅行みたいだと思ったんです。ところがどっこい、入ってみたら、もうすっごく厳しくって。勉強しろという親はいないかわりに、洗濯も掃除も自分でやらなきゃいけないし、当番で全員分の皿洗いをすると腰が痛くなっちゃう。親のありがたみが身にしみました」

 中学から大学までの同級生で、今も近所に住む中村千春さん(57)は、立石さんのことを度が過ぎるくらいまじめだと説明する。

「まじめだから突っ走っちゃうんですね。自分がこうだと思ったら、周りが見えなくなっちゃう。で、壁にぶつかってボーンとはねかえされても、ちゃんと起き上がって、また走っていくんです(笑)。

  思いつめて自分の主張を通すこともあるけど、他人に嫌な思いをさせることはないので、“美津子だからしかたないね”とみんな許容していたし、愛されるキャラでしたね。今は社会経験も積んで多少もまれた感じですけど、根本的には変わっていないと思います」

  大学は教育学部に進み、幼稚園の教員免許を取得した。卒業後、大手メーカーに就職したが、わずか2か月で強迫神経症が悪化。忘れ物を何度も確認したりして家から出られなくなってしまう。退職して精神科に入院─。

狭くなる視野、そして限界

 週2回、保育園を休ませて療育に通い始めると障がい児を持つママ友ができた。療育とは障がいのある子どもが自立できるように、医療と教育を並行して進めることだ。

 それまで立石さんは両親や友人など誰にも苦しい胸の内を明かせなかったが、同じ立場のママ友には何でも話すことができた。

  もっと年上の自閉症児を持つ親にも会ってみたい。そう思い『日本自閉症協会』に入会した。当事者と親の集まりに参加すると、30代の子を持つ50代の親など、あらゆる年代の親子がいた。

  勇太君が4歳を過ぎてもスプーンや箸を使えず、手づかみで食べていることを相談すると、先輩ママからこんな答えが返ってきた。

「世界の半数以上の国が手で食べる文化なのよ。手さえきれいに洗っておけば、問題ないんじゃない?」

  立石さんはハッとした。そして普通の子に近づけたいと焦るあまり、視野が狭くなっていたことに気がついた。

  勇太君が年長になったある日。2人で渋谷に買い物に行き、家電量販店で勇太君を見失ってしまった。どのフロアを探してもいない。自分も半分パニックになって必死に走り回りながら、同時にこんな思いが浮かんできた。

 「このまま見つからなければいい……」

  ふと店の外を見ると、横断歩道の手前で泣き叫ぶ勇太君が見え、駆け寄った─。

  なぜ見つからなければいいなどと思ったのか。理由を聞くと、立石さんはしばらく考えてこう答えた。

 「楽になりたかったんでしょうね。自閉症の子を育てるだけでも大変なのに、食物アレルギーがあったから、もう、気が抜けない。迷子センターでお菓子を出されて食べて死んでしまったらどうしようとか。ずーっと見張ってないといけないから、いつも神経がピリピリしていたんです」

 立石さん親子が歩んできた道のりを、小児外科医で作家の松永正訓さん(57)は著書『発達障害に生まれて 自閉症児と母の17年』にまとめた。実は、立石さんからこの迷子のエピソードを聞いて、本を書こうと決めたのだと松永さんは話す。

 「勇太君が自閉症と診断されて数年後の出来事ですよね。自分の子どもの障がいを受容するのは簡単にはできないんだと実感したんです。受容したと思っても時間がたつとまた否定する気持ちになって、行きつ戻りつするんですね」

 昨年9月の出版以来、障がい児を持つ親以外の人たちにも反響が広がっている。

 「日本は横並びの文化で同調圧力が強いから、立石さんも最初は“普通”“世間並み”からはずれることに非常な恐怖感を持っていたんじゃないですか。でも、普通からはずれても、惨めで悲しいわけじゃない。生き生きとした豊かな世界があると気がついたから、今の彼女は幸せなんだと思います」

 今は普通という呪縛から解放された立石さんだが、勇太君を産むまでは、むしろ逆の価値観にしばられていた。普通以上に頑張ることを求められて育ち、期待に応えようと努力してきたからだ。

 「まさに人生のどん底でした。もともとまじめで完璧主義な人が、こうあらねばと育てられると、発症しやすいそうです。入院させられたことがつらくて苦しくって、死にたいと思ったけど死ぬ自由もないんです。鉄格子の入った窓には鍵がかかり、紐状のものは全部取り上げられて。暴れて2日間、身体を拘束されたことは、今でもトラウマですよ」

 入院は9か月に及んだ。病棟のロビーにあるテレビを見ていると、自分と同い年の松田聖子が神田正輝と結婚式を挙げる映像が流れていた。あまりの境遇の違いに、立石さんは涙が止まらなかった。

 退院後に幼児教育の道に入る。幼稚園の教室を借りて読み書きなどを教える課外教育を行う会社に就職し、天職に出会った気がした。

「教えることは楽しくてしょうがなかったです。もともと子どもは大好きなので課題ができたときの子どもたちのうれしそうな顔を見ていると、これ以上の仕事はないなと。昔の教え子から今でも手紙をもらったりするんですよ」

父の冷たい言葉と、鉄格子の少年

 多様な子どもに対応できるよう働きながら小学校、特別支援学校の教員免許も取得した。

  教材作成や指導のマニュアル作りも担当したが、立石さんはまだ24歳と若く、年上の指導員たちからは陰口をたたかれた。

 「子どもも産んでないのに、偉そうにマニュアル作って、私たちに指導する気?」

 腹が立ったが、「本当だな」とも思った。立石さん以外は子どもを持つ母親ばかりで引け目を感じていたのだ。

 ギクシャクした関係を引きずるより、自分で会社を作ろうと決意した立石さん。1千万円の貯金を投じ、1995年12月に起業し、課外教室『エンピツらんど』を始めた。

 最初の2年は持ち出しが続いたが、持ち前の熱心さで徐々に軌道に乗り、生徒数7500人、年商5億円にまで成長した。

 勇太君を産んだのは起業から5年たち、経済的な心配もなくなった2000年。38歳のときだ。

 初孫が自閉症だと両親に告げると、昭和ひとケタ生まれの父は冷たく言い放った。

 「墓守なのに難儀な子を産んだな」

  幼い勇太君がパニックを起こすと、父は「うるさい!」と怒鳴りつけた。

 母は勇太君を可愛がり面倒も見てくれたが、立石さんは悩みや苦しみを打ち明けることはできなかった。弱い自分を見せると子どものころのように「ちゃんとしなさい」と怒られる気がして、今も鎧を脱げないままでいる。

 立石さんが考え方を変えるキッカケになったのは、ショッキングな光景を目にしたことだった。

 病院の一角にある療育施設に向かう途中、ふと病棟を見ると、鉄格子の窓の向こうに小学4、5年生くらいの男の子がひとりパジャマを着て立っていた。

 近づくとベッドとイスにベルトがぶら下がっている。身体を縛って拘束するためのベルトで、見た瞬間に自らのつらい過去が蘇った。そして、その少年の姿と6歳の勇太君が重なって見えた─。

「息子の障がいがわかって、少しでも健常児に近づけたい、親の努力で何とかしてあげたいと必死でした。苦手な音を克服させようと、嫌がるのにジェットタオルを使う訓練をしたこともあります。

 でも、そうやって無理強いしていると、いつかツケが回って2次障がいを起こして入院するかもしれない。先輩ママたちから何度も忠告されていたのを思い出して、怖くなったのです。自分が鉄格子の中にいた経験があるので、よけい恐怖を感じたんですね」

 2次障がいとは、もとの障がいに適切に対応できず、心身に異常をきたすことだ。うつや不登校、家庭内暴力、自殺願望などさまざまな事態を引き起こす。

  その日から、立石さんは考え方を変えた。勇太君の世界を理解し、あるがまま受け入れよう。そう決めると立石さん自身も楽になった。

 普通という呪縛から解放

    小学校は特別支援学校に進んだ。5歳のとき「まだ食べる」と初めて言葉を発して以来、ゆっくりとではあるが、言葉は増えていた。あいさつや生活作法など学校で手厚い指導を受け、できることも増えていった。

 勇太君がトイレを熱心に観察し始めたのは、小学校高学年のころからだ。その前は消火器、非常口のマークなど興味が次々と移っていったが、トイレは飽きることがない。

 デパートなどに行くと全部の階のトイレの個室を3時間かけて見て回る。その間、立石さんはじっと待っている。勇太君はすべての便器の型を暗記し、家に帰ると数十種類の便器の絵を描き、型番を書き込む。2年前からはスマホで動画を撮影している。女子トイレは禁止、年に2回までなどルールを決め、旅行先でもトイレを何か所も撮影。帰宅後にパソコンに移す。

 小学3年生から中学までは特別支援学級で学び、特別支援学校高等部に入学した。高等部では主に就労に向けた訓練を行う。

 中学、高校と息子を勇太君と同じ学校に通わせたママ友の神崎さん(50=仮名)は、立石さんのおかげで、将来に向けて自ら情報収集する姿勢を学んだという。

 「高等部の保護者会に区の担当者が説明に来てくださった際、立石さんはいちばん前の席に座って、みなさんが疑問に感じていることを積極的に聞いてくださいました。例えば、障害年金をもらえるかもらえないかで子どもたちの将来が大きく変わるのですが、年金申請のシステムには問題点も多いのです。

 みなさんが不安を抱えていらっしゃる中、彼女は社労士や専門家の方々と積極的につながり、そこで得た情報を共有してくれます。そのフットワークのよさと行動力にはいつも驚かされますし、学ぶところが多いです」

  2015年6月、立石さんは20年間続けた自分の会社を「騙され乗っ取られるような形で手放した」という。

「私が血の汗を流して作り上げた会社だからすごく悔しいですよ。私がバカだったんです。教育に関しては長けているけど、会社の株を半分以上渡したらどうなるかとか、わかってなかったんです」

  今は講演や本の執筆を精力的に行っている。発達障がいと診断されたり、グレーゾーンの子どもが増えていることも背景にあるのだろう。特に営業しなくても月に4回は講演の依頼が入る。自治体などに呼ばれて話すと、障がい児を持つ親や、障がい者福祉に携わる人などが詰めかける。

 講演終了後は個別相談に応じる。多いのは家族の無理解を訴える声。子どもと過ごす時間の長い母親が障がいに気づいても父親や姑が認めず、板挟みになった母親がうつ状態になるケースが目立つという。立石さんのアドバイスはこうだ。

 「夫や姑には黙って、子どもを病院に連れて行けばいいんです。子どものことを優先に考えてください」

 これまで出版した著書は『立石流 子どもも親も幸せになる 発達障害の子の育て方』など9冊にのぼる。失敗談も隠さずつづり、具体的なアドバイスが満載だ。

「息子を産むまでは、完璧主義でこうであらねばという思いが強かったのですが、普通という呪縛から解放されたら自由になり、世界がものすごく広がりました。人と比べることもしなくなったし。自分がすごく楽になったのは、息子のおかげですね」

だが、そこまで劇的に変わることができたのは、教育者でもある立石さんだからではないか。そんな疑問を否定してくれたのは、前出の医師、松永さんだ。

 「勇太君を育てていくなかで、親としての気持ちがムクムクと育っていったんです。だから、今は苦しくても、どんな人でも、いつかは受け入れられるよ。そんなメッセージを彼女は発しているのだと思います」

 ◇  ◇  ◇

.勇太君の将来

 今年4月から勇太君は就労移行支援事業所に通っている。2年かけて職業訓練を受け、障がい者枠での就労を目指すが、自立するのはかなり難しい。

 では親亡き後、どうやって暮らしていくのか。立石さんだけでなく、障がい児を持つ親たちはみな、残される子どもを案じて頭を悩ませている。

 将来の見通しについて聞くと、立石さんは開口一番、真顔でこう口にした。

 「必ず落ちるとわかっている飛行機があったら、息子と2人で乗りたい。本気でそう思っていますよ」

 すでに立石さんは勇太君が終生暮らせるグループホーム作りに向けて動き始めている。入居希望者は多数いるのに空きは少ない。ならば、自分で作るしかないと考えて、勉強を重ねている。

「守らなきゃいけない存在がいるということは生きる張り合いになりますよね。今は異常なくらい食事や健康に気をつけて、健診も必ず受けています。やっぱり息子より1日でも長生きしなきゃと思うから。息子が80歳まで生きるとしたら、私は元気な118歳で! アハハハ」

 立石さんなら、本当にやり遂げてしまいそうだ。


ブログのリニューアルで、皆さんと同様いささか困惑している。今、一番の問題はブログ内「いいね!」。ある方のブログにお邪魔するとこの機能が見られたので「これがその新機能なのか」と納得したのだが、他の方のところへ行くとこの機能が全然見当たらない。この機能が見られるのは、そのひとりの方だけなのです。ところが、つい2日ばかり前、ついにこの方のブログからも消えてしまったのです。そしてわたしのブログに「いいね」してくれた方の確認はわたしの編集画面でのみ見ることができるのです。おそらくPC版では、この機能は使えないのでしょう。このような「差別」はなんのため?なのでしょう!おまけに、言わせていただくと、だれが「いいね」したか特定することができるのも嫌なのです。ちなみにFBの「いいね」は特定できませんので、これまでと同様よろしく「いいね!」お願いいたします。

 そんなわけで、これまで「いいね」くださった方、「お返し」できませんが、皆さんの一つ一つの記事にいつも「いいね」と思いながら読ませていただいております。


明日、投票日。貴重な一票を行使せず棄権することは「白紙委任」と同じ。

2019年04月06日 | 社会・経済

統一選あす投票 その一票で変えられる

 統一地方選の前半戦は明日、投開票日を迎える。暮らしを支える地方自治の担い手を選ぶ大切な機会である。自分のその一票で住みよい地域に変えられるという希望を持ち、投票所に足を運ぼう。

 統一選前半戦は三月二十一日、神奈川、三重、福井、大阪など十一道府県の知事選で火ぶたが切られた。同二十四日には相模原、静岡、浜松、大阪など六政令指定都市の市長選が選挙戦に突入した。

 四十一道府県議選と名古屋市など十七政令市の市議選も同二十九日に告示された。いずれも七日に投開票が行われる。

 一九四七年から四年に一度、地方選が春に集中的に実施されてきた。経費節減の目的もあるが、選挙への関心を高め投票率を上げるのが最大の狙いだ。その効果が薄れてきているのが気がかりだ。

 第一回統一地方選で、都道府県議選の投票率は八割を超えたが、四年前の前回は45・05%に落ち込んだ。前回の知事選の平均は47・14%で、初めて五割を切った。

 今回の大阪府知事と大阪市長の「ダブル選」や、自民分裂の福井県知事選のように対決型の選挙ばかりではないため、地方選への関心が高まらないのかもしれない。無投票当選も年々増えている。

 だが、人口減により地域社会が衰退する流れの下で、高齢化、人手不足、子ども医療の充実など、どの地域も課題が山積している。

 少しでも住みよい地域へと住民の力で変革する最大のチャンスが地方選挙である。貴重な一票を行使せず棄権することは「白紙委任」と同じであり、結果的に有権者と首長や議員の緊張関係をそぐことにもなろう。

 二〇一六年の参院選で初めて「十八歳選挙権」が導入されたが、十代の投票率は下がっている。例えば、この二月に行われたばかりの愛知県知事選をみると、十代の投票率は30・60%。一六年参院選53・77%、一七年衆院選46・79%と比べ、大幅な減少が続く。

 今回の地方選でも、会員制交流サイト(SNS)などで投票を呼びかける試みがあった。高校や大学でも若者の政治参加意識を高める教育がさらに必要であろう。

 愛知県日進市のように、後半戦の市長選に向け、十八歳の高校生らが立候補予定者と若者の意見交換会を開いたところもある。意欲的な取り組みである。そうした活動に参加する勇気や時間がないという若者も、まずは一票を投じることから始めてみよう。


 ようやく夕方より晴れてきたが、朝から雪混じりの雨?雨混じりの雪?
 昨日は札幌に行っていたので江部乙には行けなかったが、今日の様子はほとんど変わっていなかった。明日の予報は晴れ間が多く、気温も6℃位まで上がるようなので、ハウスビニール
をかけたいな!


「中高年引きこもり」調査結果の衝撃、放置された人々の痛ましい声

2019年04月05日 | うつ・ひきこもり

  DIAMOND online 2019.4.5

「ひきこもり中高年者」の

調査結果が投げかけた波紋

 国を挙げての新元号フィーバーにいくぶん覆われてしまった観があるものの、内閣府が3月29日に公表した、40~64歳の「ひきこもり中高年者」の数が推計約61万3000人に上ったという調査結果は話題を呼んだ。厚労相が「新しい社会的問題だ」との見解を示すなど、その波紋が広がっている。

 共同通信によると、根本匠厚生労働相は同日の会見で、内閣府の調査結果について「大人の引きこもりは新しい社会的問題だ。様々な検討、分析を加えて適切に対応していくべき課題だ」と話したという。

 さらに4月2日の会見でも、こうした「中高年ひきこもり」者が直面している課題に対し、根本厚労相は「1人1人が尊重される社会の実現が重要。『8050』世帯も含め、対応していく」などと、これからの政府としての方針を示し、国の「引きこもり支援」の在り方が新たなフェーズに入ったことを印象付けた。

 確かに、引きこもりする本人と家族が長期高齢化している現実を「社会として新しく認識した」と言われれば、その通りだろう。そもそも「引きこもり」という状態を示す言葉自体、精神疾患や障害などの世界と比べてもまだ歴史の新しい概念だ。

 しかし、40歳以上の「大人のひきこもり」が新しい社会問題なのかと言われれば、決してそんなことはない。引きこもる人たちの中核層が長期高齢化している実態については、多くの引きこもる当事者や家族、現場を知る専門家たちが、ずっと以前から指摘し続けてきていたことだし、各地の自治体の調査結果でもすでに明らかになっていたことだ。蛇足ながら、筆者の当連載も2009年に開始以来、10年近く続いている。

 にもかかわらず、40歳以上の引きこもり当事者やその家族の相談の声は、制度の狭間に取り残されたまま、長年放置されてきた問題であり、こうして内閣府が実態調査に漕ぎ着けるまでに、何年もの時間がかかった。

80代の高齢の親が収入のない50代の子の生活を支える世帯が、地域に数多く潜在化している現実を目の当たりにした大阪府豊中市社会福祉協議会福祉推進室長で、CSW(コミュニティソーシャルワーカー)の勝部麗子さんは、8050に近づく世帯も含めて「8050(はちまるごーまる)問題」とネーミングした。こうした8050世帯の中には、持ち家などで生活に問題がないように見えても、子が親の年金を当てにして貧困状態に陥りながら、悩みを誰にも相談できずに家族全体が孤立しているケースも少なくない。

 全てのケアマネジャーが把握

 「8050問題」の深刻な実態

 最近、筆者は役所の福祉部署や社会福祉協議会などから、職員や支援者、地域の民生委員向け研修の講師を依頼される機会が増えた。先月、ある自治体の高齢者支援課に呼ばれて、地域包括支援センターのケアマネジャー向け研修会の講師を務めたとき、自分が担当している高齢者の中に「8050問題」に該当する世帯を把握しているかどうかを尋ねたところ、ケアマネジャーのほぼ全員が手を挙げた。

 地域包括支援センターは、高齢者の介護などの相談や訪問サービスを担う施設であり、引きこもり支援は本来の仕事ではない。そうした現場でよく聞かれるのは、「介護している高齢者の家に引きこもる子の存在を知っても、どこに繋げればいいのかがわからない」「どういう支援をすればいいのか知りたい」といった声だ。

「本人や家族に、どうアプローチすればいいのかわからない」「専門のスタッフがいない」「人手が足りない」という現場の声は、生活支援の相談窓口や福祉・保健の部署からも聞こえてくる。今年3月に公表された厚労省委託事業の「KHJ全国ひきこもり家族会連合会」の保健所調査によると、回答した保健所の45%が「支援の情報に乏しい」、42%が「家庭訪問の余裕がない」と答えた。

 国から「ひきこもり地域支援センター」を受託している都道府県・政令指定都市などの相談窓口ですら、本来、引きこもり支援の担当とされているにもかかわらず、若者の「就労」「修学」を目的としている青少年部署が担当していて、「40歳以上の相談については他の適切な機関に紹介している」だけという、お寒い実情の自治体もある。

同じKHJ家族会の調査によれば、引きこもり支援担当窓口と位置付けられている、全国の「ひきこもり地域支援センター」と基礎自治体の「生活困窮者自立支援窓口」の半数近い48%の機関が「ひきこもり相談対応や訪問スキルを持った職員・スタッフがいない」、半数を超える56%の機関が「ひきこもり世帯数も未知数で、家族会の必要性があるかわからない」と回答。孤立した本人や家族が、せっかく勇気を出して相談の声を挙げても支援につながらず、絶望して諦めざるを得なくなる現実が、全国3ヵ所で開かれたKHJ主催のシンポジウムでも報告されている。

 社会が「大人の引きこもり問題」を新たに認識する以前に、そもそも社会には40歳以上の当事者やその家族の存在が「見えていなかった」ということであり、「見ていなかった」だけのことだろう。もっと言えば、本当は彼らの存在が見えていたのに「見なかったことにしていた」という話なのではないか。

 相談の行き場を失った本人や家族たちは、支援の枠組みから取りこぼされ、長い間、放置されてきた。これだけの数の人たちが行き場もなく高齢化させられている、その責任は誰にあるのか。調査を行ったから終わりではなく、8050問題が顕在化する事態に至った社会的な背景や、従来の支援制度が現実に即していたのかなど、当事者や家族にしっかりとヒアリングした上で、検証と総括も必要だろう。

 40歳以上でひきこもった人が

6割に上るという現実

 今回の調査で興味深いのは、「40歳以上になってからひきこもった」と回答した人が57%に上った点だ。また、ひきこもった理由も「退職したこと」を挙げた人の数がもっとも多く、「人間関係、「病気」「職場になじめず」が続いた。

 支援の在り方についての自由記述の中にも、「40代でも再スタートできる仕組みをつくってほしい」「在宅でできる仕事の紹介の充実」などを望む声があった。

 これは「引きこもり」という心の特性が、従来言われてきた「ひきこもりは不登校の延長」「若者特有の問題」という捉え方ではなく、「社会に適合させる」目的の訓練主体のプログラムでは馴染まないことを意味している。むしろ、社会の側にある職場環境の不安定な待遇、ハラスメント、いじめといった「働きづらさ」の改善に目を向け、一旦離脱しても何度でもやり直せるような雇用制度につくり直さなければいけない。

また、「ふだん悩み事を誰かに相談したいと思わない」人は43%と、助けを求められずに引きこもらざるを得なくなる心の特性が示された格好だ。一方で「関係機関に相談したいと思いますか」の問いに、「相談したい」と答えた人は47%と半数近くに上るなど、いずれも39歳以下の若者層の割合より高かった。「どのような機関なら相談したいか?」という本人への設問に対しては、「無料で相談できる」「あてはまるものはない」が並んで多く、「どのような機関にも相談したくない」「親身に聴いてくれる」が続いた。

  自由記述でも、「偏見を取り除くのが大切」「公的機関としては“外出できない人”の周囲を助けるアドバイスや支援があったほうがよい」「外で働けない人たちに報酬付きでやってもらう仕組みができれば」「何かのきっかけで、イキイキする人には、きっかけになるような場所を」といった声が寄せられた。

「引きこもり」とは、人との交わりを避ける場所でしか生きられなくさせられている状態であり、その状況や背景は1人1人それぞれ違って、一律ではない。そんな中で、『メディアが描いた引きこもり像とは違うから』と誤解を受けやすいのは、就労しても長続きせずに引きこもる行為を繰り返す「グレーゾーン」のタイプであり、実はボリューム層だ。

 社会に繋がろうと頑張るほど

絶望が積み重なっていく

 まったく働けずに引きこもっていた人に比べて、こうして社会につながろうとして頑張ってきた人ほど、絶望が積み重なっていく。自分の心身を騙して頑張ろうとするのは、自らの意思というよりも、周りのバイアスに追い詰められ、働かなければいけないと思わされている証左でもある。今は課題を抱えていても、身近に理解者が1人でもいいから傍にいて守られていれば、生活や心身面で困ったときに相談することもできる。

 これからは、雇用されることが前提でつくられた従来の制度設計を見直し、1人1人が自分らしく生きていけるための仕組みづくりを構築ていかなければいけない。そのためには行政の支援の施策づくりに、まず家族や当事者を交えた協議の場を設ける必要がある。

 (ジャーナリスト 池上正樹)


今日は札幌へ行ってきました。遅い更新となってしまいました。


平成の遺物FAX?

2019年04月04日 | なんだかんだ。

 FAXの調子が良くない。原稿2枚の時、初めの1枚が白紙になっているらしい。いつ買ったのかも忘れてしまった。
 ブラザー製の電話、FAX、コピー、スキャンができる複合機だ。とは言え、印刷がうまくいかなくなり、今はCanonのコピー機と2つをPCに接続している
このFAX機、見るだけ受信ができるので購入した。
 わたしの場合、結構FAXが送られてくるし、アルバイト先に勤務予定表や勤務実績などを送らなければならない。同僚にはメールの添付ファイルを送れば済むのだが。
 先日ヤマダ電機のチラシを見たら1万円を切る値段で載っていた。早速買いに出たのだがすでに売り切れ。買わずに済んだ。いまさらFAX機など買う気がしないのです。相手のほうが変わってくれるといいのですが。インク代がもったいない。紙がもったいない。さらに、あのインクリボンてな奴が大嫌い。このままゴミとして出せる人は凄い「勇気」。だから絶対インクリボン対応の機種は買わない。
 そこで、この機種がPCで送受信できるということだったので、悪戦苦闘、設定変更。いちいち印刷しなくてもいいし、小さな画面で苦労して読まなくてもいいようになりました。
 それにしても、もうご隠退の時期では!?

久しぶりにいい天気に恵まれ、雪解けも進みました。

沼の氷もどんどん小さくなってきました。

ふきのとうと水仙。よく見ると新たな氷が張っていました。

ハウス内は積雪0周りの畑も、だいぶ土が見えてきました。


「order and harmony」

2019年04月03日 | 社会・経済

令和は「Beautiful Harmony」外務省が英語の趣旨説明

毎日新聞 2019/04/03

   外務省は、平成に代わる新元号「令和」について外国政府に英語で説明する際、「Beautiful Harmony=美しい調和」という趣旨だと伝えるよう在外公館に指示した。今月1日の新元号発表後、「令」を「order=命令、秩序など」と訳す外国メディアがあったのを受けた措置で、外国メディアにも個別に説明している。

 「令和」の発表後、国際的に影響力が大きい英BBC放送が「order and harmony」と表すと報道。「令」については「Command=指令」を意味すると報じる欧米メディアもあった。外務省の担当者は「令和の意味を正確に訳すのは難しいが、全く異なる解釈をされるのを避けるため、趣旨を伝えることにした」と述べた。

 外務省内では「令」が律令など法律の意味で使われることがあることから、「『令和』は『法の支配に基づく平和』とも解釈でき、日本の外交姿勢になじむ」といった声も出ている。【秋山信一】


  わたしも、まず『法の支配に基づく和』という意味を想起した。アベらしいと思った。「全く異なる解釈」ではなく、最も妥当な解釈ではないだろうか。

 日がだんだんと長くなって、日がさすとその強さに驚く。作業時間も日の長さによって少しづつ長くなっている。
 札幌の根雪は先月19日で終わったそうだが、江部乙はあと1週間ほどだろうか?ここはさらに2週間後だろう。北風でまだ寒い。

 


「相談できる人が誰もいなかった」

2019年04月02日 | 社会・経済

 

貧困、いじめ、10代で覚醒剤、強盗 「相談できる人いなかった」

   東京新聞 2019年3月30日 夕刊

 

自身の体験を語る女性=神奈川県内で

 非行に走る少女の多くが、幼少期に親から虐待を受けている。少年と比べると、性暴力被害や妊娠・出産など女性ならではの問題を抱えるケースも少なくないが、周囲の大人たちの理解は不足しており、更生の糸口がなかなか見つからない。十代で強盗傷害事件を起こし、少年院に収容された経験のある関東地方の女性(26)の半生から考えた。 (竹谷直子)

 女性は本紙の取材に「相談できる人が誰もいなかった」と眉をひそめた。

 女性は幼いころに両親が離婚し、母と暮らした。新たな男性と交際しているらしい母はほとんど家に帰らなかった。生活は苦しく、三日分の食事はロールパン六個。空腹に耐えかねて小学生で万引を繰り返すようになった。料金未納でガスが止められた際には風呂に入れず、学校で「汚い」といじめられた。

 転落のきっかけは中学時代、友人からの「もらいたばこ」だった。たまたま吸っているところを上級生に見とがめられ、「親にばらすぞ」と万引や性的関係を強要された。本意ではないのに非行はエスカレート。思いあまって暴力団と関係のある男性を頼ると、守ってくれた代わりに覚醒剤を薦められた。初めは拒んだが、やがてやめられなくなった。

 覚醒剤を買う金を工面するために強盗傷害事件を起こしたのは高校一年の十六歳。東京都狛江市の女子少年院「愛光女子学園」に入所した。

 一年半の少年院生活では真剣に向き合ってくれる教官にも出会った。出所時は更生したとの自負もあった。しかし、別の高校に入学したものの、学生生活になじめずに退学。職探しでは「学歴がないと、全く相手にされなかった」。

 昔のグループとの関係は断ち切れず、その仲間らと結婚、DVを受けるなどして離婚を三回繰り返し、三人の子をもうけた。この間、少年院出所者の全国ネットワーク・NPO法人「セカンドチャンス!」(SC)に参加していたが、生活が困窮するたびに風俗店で働いた。住居と託児所を用意してくれるのが大きかった。「少年院に入っているときは、誰もが更生したいと思うけど、夢の世界と現実は違う」

 給料を減らされても風俗店から抜け出せずに働く四十代の女性の姿に将来を重ねた。一方、同じ四十代でも、SCの先輩は大学を卒業して就職した。ようやく三年前、子どものために大学進学を決意。中学卒業や高校中退の学歴でも、高校卒業と同等の資格が得られる大学通信教育の「特修生制度」を利用し、四月から学び始める。一定の単位を習得すれば一般の大学生になれる。税理士の資格を取るのが目標で「生活を立て直して、私と同じようなシングルマザーの支援がしたい」と前を向く。

◆幼少期に7割 虐待経験

 専門家からは切れ目のない支援を求める声が上がる。

 非行問題に詳しい千葉大学教育学部の羽間(はざま)京子教授が二〇一五年度、全国の少年院で実施した調査によると、幼少期に家族から虐待を受けた女性の割合は72%、第三者から暴力などを振るわれた被害経験のある女性は88%に達した。羽間教授は「地域や学校の先生など、子どもに関わる大人たちは背景に何があるかを知ることが必要。大人のまなざしが変われば、それ以上の非行を食い止めることにつながる」と指摘する。

 「女性は性被害の経験のある人が多く、人を信じられなくなることがある。一方で、生きていくために性を利用されがちだ」と語るのは、十代~二十代の女性を支援するNPO法人「BONDプロジェクト」(東京都渋谷区)代表の橘ジュンさん(48)だ。「女性は子どもがいると就労の門戸が狭くなる。自立するまで支援する緩やかなシェルターが圧倒的に足りていない」と懸念する。

 羽間教授も、二十歳になると保護観察が終了することから「(成人後も)支援のつなぎ目になるNPOや自助団体がもっと必要だ」と強調した。


ミニトマト,いよいよ断根

1hほど水を吸わせバーミュキュライトに挿し木、4日程で根と新芽が出てきます。

江部乙圃場の様子

ハウス内はもう少し、外の圃場も所どころ土が見え始めています。

雪をどけるとイチゴの株が出てきました。

下は昨年植えた亜麻。



北こぶしのつぼみが膨らんできた。


古賀茂明「安倍総理がダメにした日本の悲惨な未来をジム・ロジャーズが警告」

2019年04月01日 | 社会・経済

  AERAdot 2019/4/01

古賀茂明(こが・しげあき)/1955年、長崎県生まれ。東京大学法学部卒業後、旧通産省(経済産業省)入省。国家公務員制度改革推進本部審議官、中小企業庁経営支援…


 このコラム記事が配信されるのが4月1日午前7時。同日昼前には、新しい元号がわかる。 発表当日はエープリル・フールの日だ。1日は新元号にまつわる様々なフェイクニュースがネット上に氾濫するかもしれない。

 新元号「安晋(あんしん)」。という冗談は既に使い古されたのかもしれないが、どんな気の利いた話が出てくるか楽しみだ(こんなことを言うと、「不敬罪!」と言われそうだが)。

 そして、これから1カ月は、「平成」を振り返る特集がテレビを占拠するだろう。

 失われた30年とも言われる平成だが、「平成は良かった」という人が7割いるという(共同通信の世論調査)。過去の時代に比べて、戦争がなかったという意味では、確かに良い時代だった。天皇、皇后両陛下の思いが通じたのかもしれないとも思う。

 一方、昨年11月に発表された大和ネクスト銀行によるインターネット調査では、平成の時代が「良かった」が39.8%、「良くなかった」19.9%、「どちらともいえない」が40.3%だったという。やはり、人それぞれという感じだ。

 では、私自身、平成をどう総括するのかと問われたら、「昭和の遺産を食い潰した時代」と答えたい。遺産を使っても、次の時代に花開く新しい芽を育てたのであれば、「食い潰した」とは言わない。しかし、遺産を使った結果、残されたのは1100兆円の借金と崩壊寸前の社会保障制度だけ。次代を担う新たな産業や企業、そして世界に伍して競争できる若者は、ついに育たなかった。だから、「食い潰した」と言うのだ。

 折しも、4月1日には、出入国管理法や労働基準法の改正法が施行される。実はこの二つの法律が日本の「失われた30年」を象徴するものであることに気づいている人はどれくらいいるだろうか。

 いずれの法律も、少子高齢化による人手不足がその背景にある。

 80年代には「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われた日本企業は、平成に入って90年代以降、急速に国際競争で優位性を失った。主として、低賃金を武器にしたアジア諸国の追い上げによるものである。本来は、ここで、日本の大企業は、賃金を含め高い労働条件でも競争できるビジネスモデルへの転換を図らなければならなかったのだが、そうはしなかった。

 同様の課題に日本より少し早く直面した欧州では、イギリス病、ドイツ病、オランダ病などという言葉が象徴するとおり、非常に長期の停滞を経験したが、労働条件を向上させつつ何とかその困難を克服しようと努力した。これに対して、日本は労働コスト引き下げで競争力を維持するという、より安易な方向に逃げ続けたのである。

 その一環として実施されたのが、一連の企業の労働コスト削減を支援する政策だ。(詳細は、2018年11月19日の本コラム「安倍政権の外国人単純労働者の受け入れ拡大は経団連のための低賃金政策だ」を参照)

 労働者派遣拡大などによる正規雇用から非正規雇用への大々的転換政策、留学生30万人計画による就労目的の外国人留学生導入政策、技能実習制度という名の外国人単純労働者受け入れ政策、そして、究極の国際競争のための賃金カットになる円安政策。

 これらは、低賃金により企業の競争力を維持する政策として機能した。目指す方向が労働コスト切り下げだから、労働者を守るはずの労働基準法もザル法のまま温存した。残業時間規制は名ばかりで事実上の青天井野放し、サービス残業という賃金不払いは当たり前、有給休暇も思うように取れない。最低賃金も先進国の7割程度で途上国にも負け始めている。とても先進国とは言えない労働環境が、2019年もまだ続いているのだ。

 その結果、日本の労働生産性は、G7諸国の中で最下位、先進国の中でも下位グループのままだ。低い賃金・労働条件とは、低生産性と同義である。労働条件の向上を可能にするためには、もっと儲けるか、企業の利益を削って労働者への分配を増やすかだが、後者は永遠に続けることはできない。つまり、企業は労働条件を上げるためにもっと利益を出す経営が求められる。そして、もっと利益を出すということは生産性を上げるということと同じだ。だから、働き方改革と同時に、生産性革命と叫ばれるのは、当然のことで、それはまた経営革命という意味でもある。

 人手不足は平成の初めには誰でも予見できた。私が課長補佐をやっていた90年代初めに、20年後に深刻な人手不足になると予測して、労働時間を短縮することなどを提言したことがある。共産党の当時の不破哲三委員長に国会で褒められて冷や汗をかいたものだ。課長補佐でもわかるくらい自明のことだったのだが、それから30年間、日本は必要な改革を怠った。

 本来は、ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われたこの頃に、厳しい道、すなわち、労働条件を引き上げながら儲かるビジネスへの転換を目指す道を選択していたら、平成が終わる今頃までには、様々なイノベーションと改革のための投資によって、少子化を乗り越える経済構造に到達し、新たな産業、企業の発展の道筋が見えていたかもしれない。今とは全く異なる絵になっていたのではないか。

 しかし、日本は、それを怠り、昭和の遺産を食い潰しながら、楽な方へ楽な方へと舵を切っていったのだ。もちろん、その舵取り役は、政治においては自民党、経済においては経団連と経産省である。

 平成の終わりになって、追い詰められた日本は、過去の過ちにようやく気付き始めた。「始めた」と言ったのは、まだ完全ではないからだ。働き方改革の名の下に19年以降残業規制が厳しくなる。同一労働同一賃金は来年から実施だ。これらの政策によって、企業の労働コストは上がる。それでも儲かるビジネスに転換できなければ生き残ることはできない。

 遅きに失した感はあるが、今からでも厳しい道を選び直して、何とか茨の道を乗り越えようではないかというのが、日本のリーダーが国民に呼びかけるべき言葉なのだ。しかしながら、そんなことは不可能なことのような気がする。なぜなら、一国の企業全体が、新たなビジネスモデルへの転換を遂げるには、20年はかかるというのが欧州諸国の経験だ。さらに厳しく言えば、その間にかなりの企業は淘汰されてしまうかもしれない。しかし、今の日本には、20年などという猶予期間はないと誰しもわかっている。既に30年を無為に失っている間に、財政は借金漬け、社会保障制度の基盤は崩壊寸前になってしまった。つまり、欧州諸国がかけた時間よりももっとはるかに短い時間でこの大転換を成し遂げろということになる。

 経営革命と聞くと、経団連企業がやることだと思っている人も多いようだが、実際には、中小企業がその最前線に追い立てられる。働き方改革や最低賃金のさらなる引き上げは中小企業にこそ最も深刻な負担を課す。

 今回の非常に微温的な働き方改革でさえ、中小企業には猶予期間(例えば、残業規制は来年4月から適用)を与えざるを得なかったが、もし、来年以降、厳格に残業規制などを適用すれば、多くの中小企業にとって、「地獄の苦しみ」になってくるのは必至だ。人手不足は、合理化投資をできない企業ほど痛めつける。合理化投資をする知恵も余力もなければ、質の低い労働者を毎年上昇する賃金で雇うしかない。自分たちの手取りを減らし、自らの労働時間だけは大幅に増やして、文字通り身を粉にして働いても、残念ながら先は見えない。

 一方、中小企業は、自民党や公明党の大事な支持基盤である。あまり厳しい改革を強いれば、選挙に負けるという恐怖感が先に立つので、やるべきことをそのまま実行することは不可能だ。そこで、どうしても甘い政策に戻りたくなる。出入国管理法を改正し、これまで同様低賃金労働を温存する政策を強化したのは、その表れだし、労働基準法の厳格運用は行われないだろう。

 言葉を換えれば、低生産性温存の政策を引き続き採用し続けるしかないのだ。

 こう見てくると、日本にはもう先がないのではないかという暗澹たる気分になってくる。やるべきことはわかっているのだが、それを今の日本人に実行できますかと聞かれたら、どうしてもNOという答えしか浮かばない。

 私は今、イソップの「アリとキリギリス」という寓話を思い出している。夏の暑いさなか、冬に備えて汗を流しながら食べ物を巣に運ぶアリを見て、周りに食べる草はたくさんあるのにと嘲笑しながら歌に興じるキリギリス。冬になって食べる草が無くなった時、アリの巣を訪ねて食べ物をくれと頼むと、アリに断られる。この話の終わり方には様々なバリエーションがあるが、キリギリスが、冬の寒さと飢えで死んでしまうところに追い詰められるのは共通だ。

 この寓話を用いれば、「昭和はアリの時代」「平成はキリギリスの時代」だと言える。そして、平成の終わりは、晩秋だ。キリギリスの日本を待つのは寒い冬。新元号の時代は、これまでにない厳しい時代になるだろう。

「新しい時代が始まる前から、なんて暗い話ばかりしてるんだ」と言われるかもしれないが、こうした心配は私だけがしている訳ではない。

 最近来日して大きな注目を浴びた投資の神様、ジム・ロジャーズ氏の言葉を紹介したい。彼は、米名門のイエール大と英オックスフォード大で歴史学を学んだあと、これまた今は投資の神様と呼ばれているジョージ・ソロス氏と設立したファンドで、10年で投資収益4200%という実績を挙げた。リーマン・ショックやトランプ大統領当選などの予言が的中したことでも有名だ。

 同氏の訪日で、最も多くの報道に引用されたのは、「私がもし10歳の日本人なら、ただちに日本を去るだろう」という言葉だ。彼は今日の日本を高く評価しながらも、将来については極めて断定的に悲観論を述べる。「その日本が50年後か100年後には消えてしまうのは心から残念でならない」というほどだ。そして、「当然だ。これだけ借金があり、しかも子どもを作らないのだから。私はこれだけ日本を愛しているが、日本に住もうとは思わない。借金と少子化、この二つがシンプルな理由だ」と解説する(PHP新書『お金の流れで読む日本と世界の未来』)。

 実は、彼のこの言葉には、もう少し長いバージョンがある。それは、「もし私が10歳の日本人ならば、自分自身にAK-47(自動小銃)を購入するか、もしくは、この国を去ることを選ぶだろう」(2017年11月の米投資情報ラジオ番組「スタンスベリー・インベスター・アワー」での発言。前掲書より)というものだ。「2050年には日本は犯罪大国になる」からだという。

 もちろん、アベノミクス信奉者は、安倍総理が日本を救ってくれると思っているかもしれないが、そのアベノミクスについても、彼は、こう断罪する。「アベノミクスが成功することはない。安倍政権の政策は日本も日本の子どもたちの将来も滅茶苦茶にするものだ。いつかきっと『安倍が日本をダメにした』と振り返る日が来るだろう。」

 1カ月後の5月1日に迎える新元号の時代がいつ終わるのかわからないが、平成と同様30年程度だとすると、2050年頃になる。投資の神様ジム・ロジャーズ氏が言う「日本が犯罪大国になる時」だ。その前に破たんという最悪のシナリオも否定はできない。

 井の中の蛙という言葉がぴったりの日本だからこそ、世界を俯瞰する投資の神様の言葉は謙虚に受け止めるべきではないだろうか。

 世界に目を向ければ、平成は、「日本が世界一流から二流へと転落し、アジア一流の地位も揺らぎ始めた時代」だった。新たな時代では、すぐに「アジア二流」への道が待っている。

 新元号を発表するのは菅義偉官房長官だが、それとは別に安倍総理の会見も開かれる。将来、安倍総理と新元号が対になって人々の記憶に残るようにしたいという安倍総理の希望があるのだろう。しかし、ジム・ロジャーズ氏が言う通り、「安倍が日本をダメにした」と振り返る日が来るのではないかと思えてならない。

 そうならないようにする道筋が見えないからだ。

 日本に「神風」が吹くことはあるのか。望みはそれだけのような気がする。


 天気予報によると昼過ぎから雪マークになっていたのだが降らなかった。日差しもあり、融雪が進んだようだ。

 住まいのほうと江部乙のほうと雪の量がどれほど違うのか見てみた。

こちら江部乙。積雪25㎝てところでしょう。

(写真、回転させても戻ってしまいます。悪しからず)こちらは今までハウスを建ててやっていた家の前の圃場、120㎝以上ありますね。この年になると少し楽したくなります。