『武士道』
●『葉隠入門』(新潮文庫)の作者・三島由紀夫は次のように語る。
・・・
なによりもまず外見的に、武士はしおたれてはならず、くたびれてはならない。人間であるからたまにはしおたれることも、くたびれることも当然で、武士といえども例外ではない。
しかし、モラルはできないことをできるように要求するのが本質である。
そして、武士道というものは、そのしおれた、くたびれたものを、表へ出さぬようにと自制する心の政治学であった。健康であることよりも健康に見えることを重要と考え、勇敢であることよりも勇敢に見えることを大切に考える、このような道徳観は、男性特有の虚栄心に生理的基礎を置いている点で、もっとも男性的な道徳観といえるかもしれない。
・・・
●「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」という一節だけを聞いて『葉隠』(はがくれ)を腹切りのススメと解釈してはいけない。三島に言わせれば、『葉隠』は自由と情熱を説いた本なのだ。
私もこの本を読んで、自由と情熱を感じるまでには至っていないが、現代人にも必読の道徳書だと思える。
●ではなぜ「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」という有名な一節がひとり歩きしたかというと、古来、武士はたえず自らの死に場所と死に様を想像し、覚悟しておくことによって潔い生き方につながると考えていたからだ。
決して死そのものを賛美していたわけではない。
●平成の今日、昔にくらべて平和な世の中になったことは好ましいことだが、人が死ぬ時って事故か病気しかないのだろうか?
命の上手な使いみちが他にもあるのではないか。
●そんな気持ちになった時、『葉隠』を読んでみよう。
何気ない日常生活の中にこそ、あなたの命を必要とする生き様がある
ということに気づくだろう。
●ある意味、今を生きる私たちに向けて書かれたような気もする。そのあたり、三島由紀夫の訳を参考に、ちょっと『葉隠』をつまみ食いしてみよう。
○仕事に関しては、大高慢で死に狂いするくらいがいい。雑務方は、知らぬがよし。
○自分の目的の障害になるのなら、神仏に嫌われてもかまわない
神はけがれを嫌うが、戦場で血を浴びたり死人を足げにして働いて
いるときの武運長久を祈るために信心を大切にせよ。けがれが身に
ついているとそっぽを向いてしまうような神仏であったら、それも
仕方のないこと。自分のけがれのいかんにかかわらず、神仏を礼拝
しよう。
○成り上がり者を馬鹿にしないこと
奉公人も下賤から身を起こして高い身分にまでなった人というのは
その人なりの徳や能力が備わっていたから立派なこと。はじめから
その地位にあった人よりは、下々からのぼってその地位についた人
を我々は尊敬しなければならない。
★『葉隠入門』(三島由紀夫著)新潮文庫より
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4101050333/
●『葉隠入門』(新潮文庫)の作者・三島由紀夫は次のように語る。
・・・
なによりもまず外見的に、武士はしおたれてはならず、くたびれてはならない。人間であるからたまにはしおたれることも、くたびれることも当然で、武士といえども例外ではない。
しかし、モラルはできないことをできるように要求するのが本質である。
そして、武士道というものは、そのしおれた、くたびれたものを、表へ出さぬようにと自制する心の政治学であった。健康であることよりも健康に見えることを重要と考え、勇敢であることよりも勇敢に見えることを大切に考える、このような道徳観は、男性特有の虚栄心に生理的基礎を置いている点で、もっとも男性的な道徳観といえるかもしれない。
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●「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」という一節だけを聞いて『葉隠』(はがくれ)を腹切りのススメと解釈してはいけない。三島に言わせれば、『葉隠』は自由と情熱を説いた本なのだ。
私もこの本を読んで、自由と情熱を感じるまでには至っていないが、現代人にも必読の道徳書だと思える。
●ではなぜ「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」という有名な一節がひとり歩きしたかというと、古来、武士はたえず自らの死に場所と死に様を想像し、覚悟しておくことによって潔い生き方につながると考えていたからだ。
決して死そのものを賛美していたわけではない。
●平成の今日、昔にくらべて平和な世の中になったことは好ましいことだが、人が死ぬ時って事故か病気しかないのだろうか?
命の上手な使いみちが他にもあるのではないか。
●そんな気持ちになった時、『葉隠』を読んでみよう。
何気ない日常生活の中にこそ、あなたの命を必要とする生き様がある
ということに気づくだろう。
●ある意味、今を生きる私たちに向けて書かれたような気もする。そのあたり、三島由紀夫の訳を参考に、ちょっと『葉隠』をつまみ食いしてみよう。
○仕事に関しては、大高慢で死に狂いするくらいがいい。雑務方は、知らぬがよし。
○自分の目的の障害になるのなら、神仏に嫌われてもかまわない
神はけがれを嫌うが、戦場で血を浴びたり死人を足げにして働いて
いるときの武運長久を祈るために信心を大切にせよ。けがれが身に
ついているとそっぽを向いてしまうような神仏であったら、それも
仕方のないこと。自分のけがれのいかんにかかわらず、神仏を礼拝
しよう。
○成り上がり者を馬鹿にしないこと
奉公人も下賤から身を起こして高い身分にまでなった人というのは
その人なりの徳や能力が備わっていたから立派なこと。はじめから
その地位にあった人よりは、下々からのぼってその地位についた人
を我々は尊敬しなければならない。
★『葉隠入門』(三島由紀夫著)新潮文庫より
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