高校時代の音楽活動を、また、就職してからの再会、東京での再会、それも綱渡り的につながってきた愛大軽音のすごいギタリストである(音楽で飯食おうとは思ってなくて、今も大手企業の開発部で研究者)先輩の御長男が夭折された。
49日がすぎるまで彼も心の整理が、、、、といっていたので、とりあえず待った。
あたりまえですが、あまりに落胆しているので「生きた証」をここに転用します。
彼によると、今は大手企業も葬儀などは会社が絡まなくなり、ひっそりと家族葬が増えているという。
費用の面でも、社会的に150年に一度の変革だという。
しかし、やはりこの世から消えるということの哀しさは身近でいる、その周辺、知っている人にしか意外に伝わらない。
ニュースで事件事故、コロナなどでも死者が出ている。
やはり「他人事」にしか感じない部分が多い。
社会の在り方というのも、せめてみんなで送ろう、葬ってあげようという「共有」は大事だと思う。
訃報
200314 優一郎2020年3月3日 23:00 最愛の長男 ゆういちろうが亡くなりました。
25年の足跡を残して消えてしまった。
いったいどこにいってしまったの。
いつもいっしょ。
どこに行くのもいっしょ。
時が巻き戻せるものなら。
すべてが夢であれば。
何事もなく朝がくれば。
何度おもうことだろう。
今、何を見ているの。
今、何が聞こえるの。
僕の呼びかけが聞こえるかい。
僕を感じることができるかい。
悲しいことだか、一人でも多くに知らせたい。
ゆういちろうが生きた証。
永遠の時を止めて。
何とも声のかけようがなく、このコロナで線香もあげに行けない。
それが余計に悲しい。