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趣味の世界と零細企業末端社長としての近況報告。
書きたいことを書き、たまにアッと驚くことを発表する。

『ファンあっての自分』

2008-03-16 11:04:37 | 永住できる目黒区を考える
★全開でがんばる松井選手
http://www.mainichi-msn.co.jp/sports/major/news/20070305spn00m050011000c.html

●松井選手は調子が良くても悪くても試合後には必ずインタビューに応じるという。調子が良くても浮かれず、悪くても落ち込まず、そんな彼の真摯な態度をみていると、ジャイアンツ時代にはそれほど好きでなかった私でも、今は彼の応援をしている。

●てっきりヤンキースの広報部が日本のマスコミ対策の一環としてそのような取材時間を設定をしているのかと思いきや、そうでもないらしい。現に元ヤンキースの伊良部投手と日本のマスコミとの関係はほぼ最悪だったのを思い出す。

●そのあたり、『ヤンキース流広報術』(広岡勲著、日本経済新聞社)
を読んで疑問が氷解した。

松井選手が「僕と一緒にアメリカへ行ってくれないか」と白羽の矢を立てた相手が著者の広岡勲氏だったのだ。
同著によれば、松井選手はヤンキースとの交渉で、「広岡の同行を認めないのであれば契約はできない」とまで言って広岡氏にこだわったという。

●広岡は、松井に任されて次の四者を均等に大切に扱う方法を考えた。
それは、日本のメディア、アメリカのメディア、ヤンキースという球団、松井選手本人、の四者である。

たとえば20人足らずのアメリカ人メディアに対して180人もの日本人メディアが松井選手の練習を追いかける。まだキャンプ初日だというのに、ワールドシリーズの開幕のような報道陣になる。
アメリカメディアは、「天皇陛下よりも多くの報道陣を連れてきた男」
と皮肉る。

●もちろんそうした加熱取材が続けば誰も得しない。
そこで生まれた苦肉の策が、試合後の松井選手単独インタビューだった。一年目はシーズン+ャXトシーズン合計して180試合すべてテレビカメラの前でインタビューに応じた。
そのかわり、練習中は松井選手や他のプレイヤーのためにも取材を自粛するという取り決めを作ったのが広岡氏だ。その広岡氏の同行を決めたのは松井選手本人なのだから、広報という考え方を一番よく知っていたのは松井選手かもしれない。

●メジャーでも日本のプロ野球でも、「ファンあっての自分」ということを知っている選手は言動が他の選手と違うようだ。



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