塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

包括的にサッカーを見ること

2022-04-17 18:04:30 | 日記
 トニー・ブレア元英国首相はニューキャッスル・ユナイテッドのファンとして知られています。

 俳優ですとサミュエル・ジャクソンがリバプール、エルトン・ジョンがワトフォードを支援していますが、一番のファンはマンチェスター・シティを3部の頃でも熱心に応援していた、ノエル・ギャラガーとりアム・ギャラガーでしょうか。

 よくライブ会場のマイク・パフォーマンスで

 「俺たちはシティのファンなんだ」
 「ファンと言えども、ユナイテッドのジャージを着て観戦にきたならば、ぶん殴るぞ!!」

 と息巻いていたようですが、それだけ贔屓クラブを持つことは、自分の自尊心と密接に関係していることなのでしょう。

 日本ではたむらけんじがガンバ大阪の熱烈なファンですが、俳優や歌手で

 「僕はこのクラブが好きです」
 「地元でもあるし、贔屓の選手がいるんですよ」

 と語る機会は、欧州程ではないように思います。

 むしろ多くの方が

 「Jリーグも日本代表も好きだよ」
 「欧州リーグにも常に注目しているしね」

 という、ある種「包括的」な形(僕もそうですね)が顕著と思います。

 逆に思い入れのある対象が一つではない、したがって暴力行為に訴えるファンが非常に少ない、という利点があると思います。

 例えばNFLは年間16試合と非常に短く、ポストシーズンに進出できなければそこで押いおしまいになりますが、ファンは過激な行動を起こしません。

 1995年、MLBではアトランタ。ブレーブスがワールド・シリーズで優勝しましたが、(対戦相手はクリーブランド・インディアンズ・当時名)、マイケル・ジョーダンは試合前に記者からどちらを応援するかを聞かれ、故郷ノースカロライナに近いブレーブスだね、と答えました。

 サッカーでは近距離のクラブが勝ち上がれば、むしろ対戦相手を応援しますが、日本と米国ではその考え自体が希薄である、この点も声援に違いがある理由ではないでしょうか。
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ワールド・サッカーダイジェストがワールドカップ選手名鑑を発表

2022-04-17 17:54:14 | 日記
 ワールド・サッカーダイジェスト編集部が、ワールドカップ出場国選手名鑑を刊行しました。

 これは当然「暫定的」な形であり、当落線上の選手からほぼ招集間違いなしであろう選手まで網羅しています。

 この名鑑を眺めますと、サウジアラビア代表やカタール代表など一部の出場国以外は、基本海外リーグに在籍する選手たちで占めているという点です。

 それは必ずしも欧州各国を指すわけではありません。

 例えばエクアドル代表の選手は、アルゼンチンやブラジルでプレイすることは立派な海外でも経験値になりますし、韓国代表の選手がJリーグに移籍することも同様ですよね。

 サウジアラビア代表の選手たちは

 国内リーグの報酬が良いこと
 イスラム教徒の戒律もあるのだろうが、イラン代表のように海外に進出する理由が見当たらない

 という考えの持ち主なのでしょう。

 イラン代表はエースのアムズンが、ゼニト・サンクトペテルブルクから、バイエル・レヴァークーゼンに移籍し、韓国代表のソン・フンミンは同僚のハリー・ケインから「ソニー」の愛称で親しまれるなど、アジアの選手たちが4大リーグで活躍する事は、そうそう珍しい出来事ではなくなりました。

 逆にかつて南米代表、アフリカ代表の個性があったのは、ここまで欧州リーグに参戦していない、つまり画一的な戦術ではなく代表監督が選手の個性を尊重した、自国の香りがする展開を模索していたためではないでしょうか。

 その代表例がブラジル代表で

 欧州的発想を模索するのか
 ブラジルが追い続ける、美しい展開と勝負強さの両立か

 でもがいてきたわけです。

 今はイタリア代表ですらワールドカップに参戦できないほど、各国の力が均衡しています。

 案外日本代表がスペイン代表とドイツ代表に黒星をつけることもあると思いますが。
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達人から褒められる心地よさ

2022-04-17 12:47:05 | 日記
 講談社α文庫「神々にえこひいきされた男たち」を再読(3回目)しています。

 著者の島地勝彦の作品を読んだことがあるならば、彼が「先生」と呼ばれ、同時に「シマジ教」という教祖であることをご存じのはずです。

 周囲に集う方は

 「先生に喜んでいただきない」
 「先生によくやったぞ!と言わせたい」
 「先生に一目会いたい」

 と思って毎日生きているのです。

 僕はよく登場する単語「じかあたり」はしたこともありませんし、しても何か事が起こるとは考えたこともないのですが、単純にそんな度胸がないとも言えます。

 例えば僕たちはレオ・メッシを見て

 「凄いなあ、なんであんなことが出来るのだろう」
 「僕もレオ・メッシのようになりたいなあ」

 とため息をつき、羨望のまなざしで見つめます。

 ただ、選手本人からすればファンの称賛、言い換えれば単なる「感想」「相槌」にはありがたいとは思っても、心からの喜びは見いだせないのではないでしょうか。

 もし僕がメッシならば、どんなファンの称賛よりも

 アンドレス・イニエスタに代表される、名手の中の名手
 極論ではあるが、ロナウドのような宿敵からの敬意

 の方が、数倍はうれしいと思います。

 彼らはエキスパートであり同業者でもありますから、僕たちよりも当然レオ、メッシの神髄がわかりますし、そこがアマチュアとの一番の違いですからね。

 僕は46年生きてきた中で、各段評価されたことはありません。

 ごくごく少数にブログを毎日書いていることを伝えると

 「毎日は書けないよ」
 「そんなに頻繁に更新はできないと思う」

 と指摘されますが、これは既に「習慣」の上、僕自身は幼少期から書くことと読むことは好んでいるので、苦にならないのです。

 メッシもこの習慣や自然体で生きているだけなのでしょうが、だからこそ周囲の達人たちからは改めてそのすごさがわかるのでしょう。
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早朝、地区の清掃活動に参加しました

2022-04-17 12:35:35 | 日記
 早朝5時に起床し、6時から地区の清掃活動に参加しました。

 俗に言う「ゴミ・ゼロ運動」です。

 実際僕が拾ったのは落ち葉であり、下の土を持参したスコップで石膏から脇に映すという作業でしたが、先日の雨で土は重く、掻き出すことは思いのほか重労働でしたよ。

 僕は数年前になりますが、長野Uスタジアムのボランティア清掃に1度だけ参加したことがあります。

 清掃終了後、集ったファンの集合写真を営業担当の大橋さんが写真におさめ、長野パルセイロ公式ホームページに掲載してくださったのですが、試合の運営はボランティアを軸に、多くの方々が支えていることを改めて感じたものです。

 僕の近所でも高齢化で自宅が空き家となり、取り壊しが相次いでいます。

 僕自身が46歳で未婚と積極的に「日本の少子化」に貢献しているわけですから、大口をたたこうとは思いませんし、46歳という年齢は既に自治体が推進する独身男女の集いから漏れてしまう、(通常は性別問わず45歳を上限に設定)という形なのですね。

 つまり、自力で何とかしろというわけでもありますし、少子化は地区の様々な行事を任せられる人物が減少していく意味合いを持ちます。

 サッカーでもしばしば

 「代表の平均年齢を幾分さげるべきではないか」
 「思い切って、若い選手を積極的に起用しよう」

 という声が聴かれますが、案外地区活動も同様なのでしょう。

 クラシックでもシューベルト、ブルックナーにチャイコフスキーなど妻をめとらなかった作曲家がいる一方、モーツアルトのように死因は妻にある言う事例もありますが、家がつぶれるということを単純に彼らは考えなかったのでしょうか。

 サッカー選手も時に帰化し、家を継がないことはありますが、その寛容さがすでにできないほどの高齢化がわが国には控えていますが。
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