ルキノ・ヴィスコンティ監督の作品「若者のすべて」を視聴しました。
177分という長い作品なので、2日(僕は4日と5日連休のため)に分割して視聴しようかとおもいましたが、4日のみで終えました。
それだけ脚本と俳優の描き方が良かったということもあり、それ以上に封切られた1960年代のイタリア社会から、学ぶことが多いとも言えます。
ヴィスコンティ監督はミラノの貴族にルーツがあるんですね。
ヴィスコンティという貴族が中世ミラノを統一し、君臨していましてその時期はフィレンツエにおけるルネサンスでもあり、ピサやジェノバ、ナポリなど、イタリア国内の有力都市が、互いを牽制しあう形でもありました。
映画「ハンニバル」において、ハンニバル・レクターが、自分を疑うフィレンツエ警察の刑事パッツイに
「ここでその名は禁句だろう」
「生きにくくはないのか」
と尋ねる場面がありますが、作者のトマス・ハリスは史実をしっかり考察していることがわかりますね。
ヴィスコンティは貴族であるにもかかわらず
南部からミラノに移住してきた貧しい民を丁寧に描いている
どうして彼にこの手法ができたのか
と感じました。
それはヴィスコンティは同性愛者で、ある意味自分も移住者のような「よそ者」と考えていたためなのでしょうか。
ちなみに映画ではボクシングの風景が登場しますが、カルチョ、つまりサッカーではないのですね。
それはボクシングのほうが会場が狭く描きやすい、サッカーではスタジアムを軸の撮影が大がかりになる、という点もあったのでしょう。
ミラノには当然ACミランとインテル・ミラノが今も昔も君臨していますが、ヴィスコンティがカルチョを好んだという話は、まだ聞いたことがないのです。
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