塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

改めて、稲本潤一引退を考える

2024-12-05 00:14:18 | 日記

 日本代表選手として初めてFIFAワールドカップで得点を記録したのは、中山雅史になります。

 

 ジャマイカ代表、クロアチア代表、日本代表と初見参の国が3つも顔をそろえた1998年ワールドカップのグループH.

 

 しかし日本代表は勝てる見込みが一番高いとされたジャマイカ代表に1-2で敗北。

 

 初めての得点を刻んだ中山雅史よりも、ジャマイカ代表のウイットモアのほうが有名になったほどです。

 

 ですから昨日引退が明らかとなった稲本潤一の

 

 韓日ワールドカップの2得点は、引き分けと勝利、日本代表の躍進に貢献

 少なくともロシア代表での得点は、アレクサンデル・モストボイ欠場の影響が大きくとも、日本代表の歴史に刻まれる形

 

 であることに間違いはありません。

 

 中山雅史の得点が、ゴールに結ぶことはなかった

 しかし、稲本の得点は異なる

 

 この中には、4年間キリンカップを軸に国内に有力国を招待したこともあれば、本番直前にノルウエーに遠征するなど、ホストとしての責任を考えたこともあるでしょう。

 

 一方で小野伸二、中田英寿、そして稲本自らが本場に移籍し

 

 欧州の有力クラブで場数を踏む

 日本代表への還元を模索

 

 という日々があったこともあるでしょう。

 

 今の時代ならば、ゴンさんは間違いなく欧州に移籍していたはずですが、まだ当時はそうではなかった、時代の影響も色濃いワールドカップだったのではないでしょうか。

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