面白く、そして下らない

私は批判をして何かを為した気になっている大衆の一人に過ぎないが、何か少しでも波紋を起こす小石になれればと書いている。

節水と合成の誤謬

2020-04-23 23:27:30 | 日本人への呼びかけ
今日は節水について少し書こうと思う。温めていたというほどではないが、いつか書きたいと考えていた。

節水はまず意識から始まる。無駄に水を使っていないかそれを意識することでだいぶ無駄が減らせるのではないか。

まずは歯を磨く際や洗い物をする際に水を流しっぱなしにしないことだ。水量的には大したことはないかもしれないが、毎日のことなので月単位年単位で考えればそれなりの水量になる。

家庭での二大水の消費は風呂と便所だ。

風呂は浴槽にお湯を溜める際に水を大量に消費する。体と頭を洗う際にもシャワーを流しっぱなしにすると大量に使ってしまう。浴槽のお湯を張り替えを毎日しないで一日置きにして節水しても良いのだが、あまり衛生的ではない。浴槽の水を洗濯機の水に使用するのが節水の定番ではあるが、あまり労力を使うなら奨めない。疲れるだけだ。簡単にできるならやった方が良いが。

便所はまさか使用回数を減らすわけにも、用を足した後流さないわけにもいかない。簡単に節水するには節水型の便器を使うことだ。もちろん大小レバーの付いた型が良い。しかし節水のためにわざわざ便器を買うのは本末転倒だ。便器は結構高いのでもとをとれない。何千回と利用してもとを取っても仕方あるまい。新しいの買う時に節水型を買うくらいで良いだろう。

浴槽のお湯を便所の水として再利用できないか長年未練たらたらに考えているが、それはできないそうだ。浴槽の水は垢や温度の関係でカビが発生してしまうらしい。便所の水は汚くても良いので浴槽の水を再利用できれば毎日浴槽のお湯を張り替えることにもなるし一石二鳥なのだが。残念だ。便所で手を洗った後の水もそのまま流して捨てるのでなく小便器にでも流せば、臭いや汚れの抑制になるだろうに、そういく仕組みにはなっていないしできないだろう。こちらも何かできないか考えているのだが。

家庭では雨水の利用は面倒なだけで労力に合わないと思う。下手にやればボウフラが湧く。だが高速道路のサービスエリアなどでは雨水を溜めて便所の水として再利用すればかなり節水になるのではないだろうか。大型施設でそういう取り組みをしているところもあるらしい。

節水について少し書いたが、日本人が全員節水に励むと「合成の誤謬」が発生する恐れがある。水道料金が原価を下回っている自治体もあるのだが、水道料金は原則「独立採算」だ。家庭や企業の水道料の支払いによって水道を維持している。皆が節水に励むと自治体に入ってくる水道料金が減ってしまい、維持するために基本料金を値上げせざるを得なくなりかねない。これが「合成の誤謬」だ。

水道料金は自治体間で格差が大きい。それは水道管の設置維持に掛かる費用に差があるからだ。山間部や面積に比べて人口比が少なかったりすると水道料金が高くなってしまう。他の理由もあるかもしれない。

水を浪費しろとは口が避けても言わないが、節水をあまり奨められない理由はそこにある。

「節約」についても同じことが言える。個々人では節約は良いことなのだが、皆が節約に励むと日本全体の経済が縮小してしまうのだ。賃金削減や失業、自殺の増加に繋がりかねない。政府、自治体の歳出も同じことだ。「無駄」は大罪だが、無駄を削ると全体の経済が縮小してしまうのだ。政府の「無駄の削減」は誤りだと言える。

日本最高の大蔵大臣高橋是清に学ぶべきだ。

更に一層砕けて言うならば、仮にある人が待合へ行って、芸者を招んだり、贅沢な料理を食べたりして二千円を費消したとする。これは風紀道徳の上から云えば、そうした使い方をして貰いたくは無いけれども、仮に使ったとして、この使われた金はどういう風に散らばって行くかというのに、料理代となった部分は料理人等の給料の一部分となり、また料理に使われた魚類、肉類、野菜類、調味品等の代価及びそれらの運搬費並びに商人の稼ぎ料として支払われる。この分は、即ちそれだけ、農業者、漁業者その他の生産業者の懐を潤すものである。而してこれらの代金を受け取りたる農業者や、漁業者、商人等は、それを以て各自の衣食住その他の費用に充てる。それから芸者代として支払われた金は、その一部は芸者の手に渡って、食料、納税、衣服、化粧品、その他の代償として支出せられる。即ち今この人が待合へ行くことを止めて、二千円を節約したとすれば、この人個人にとっては二千円の貯蓄が出来、銀行の預金が増えるであろうが、その金の効果は二千円を出ない。
 しかるに、この人が待合で使ったとすれば、その金は転々して、農、工、商、漁業者等の手に移り、それがまた諸般産業の上に、二十倍にも、三十倍にもなって働く。ゆえに、個人経済から云えば、二千円の節約をする事は、その人にとって、誠に結構であるが、国の経済から云えば、同一の金が二十倍にも三十倍にもなって働くのであるから、むしろその方が望ましい訳である。これが個人経済と、国の経済との異なっているところである。(高橋是清:著「随想録」(中公クラシックス)

橋本龍太郎の緊縮財政から続く日本政治の罪だ。政治家も財務省もマスコミも知識人も主流派はこのことを全く理解していない。歴史に全く学んでいないのだ。虚しくなるではないか。中堅・若手の政治家は経済というものを理解しているようだが。

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