面白く、そして下らない

私は批判をして何かを為した気になっている大衆の一人に過ぎないが、何か少しでも波紋を起こす小石になれればと書いている。

マスコミは体制の狗

2021-09-11 21:46:51 | マスコミ
メディア黒書の筆者黒藪哲哉はゴリゴリの左翼で社会主義者、共産主義者だ。だがマスコミ批判は鋭く、知性はあると思えるので参考にしている。しかし明言こそしていないが皇室を廃止しようとする思想は許容できない。

自民党総裁選におけるマスコミの立ち位置を批判しているのでいくらか参考になる。ただ体制転覆の思想は批判したい。

~~引用ここから~~
http://www.kokusyo.jp/mass_media/16524/(メディア黒書)

現在進行してる壮大な世論誘導のひとつに、自民党総裁選の報道がある。テレビ・新聞はいうまでもなく、雑誌やインターネット・メディアも盛んに自民党総裁を報じている。たとえば候補者の「お人柄」や人脈を紹介する。その先鋒を務めているのは、田崎史郎、鈴木哲夫、東国原英夫といった人々である。

しかし、大半の視聴者・読者は総裁選報道がメディアによる世論誘導であることに気付いていない。おそらく報道現場にいる人々も、自分たちがやっている「ジャーナリズム」活動が、自民党の支持率回復に、重要な役割を果たしていることを認識していない。悪気なく、無邪気にやっているのだ。世論誘導の構図とはそういうものなのだ。無知が、その根底にある。

自民党総裁選の報道は、自民党総裁が変われば、日本は新しい出口にたどり着けるというい誤解を国民に植えつける。実際、マスコミは、岸田氏が優勢か、河野氏が優勢か、それとも高市氏が優勢かと言った視点の報道を繰り返している。財界にとっては、誰が総裁になるかで、多少の権益関係の違いは生じるだろうが、大半の国民にとっては何も変わりがない。

人選によって大きく政治が変わるという考えは、一種の英雄史観に基づいた誤まりである。英雄史観というのは、ひとりの偉大な人物が現れれば、社会は変わるという単純な考え方である。観念論の歴史観の典型だ。

日本のマスコミは、この歴史観に汚染されている。NHKの歴史関連番組がその典型で、渋沢栄一をクローズアップしている背景にも、英雄史観がある。人気番組「その時歴史が動いた」もその典型的にほかならない。彼らにとっては、ナポレオンのような人物が古代に生まれていれば、もっと早く世界は変わっていたのである。

しかし、政治家を語るとき、その社会を支配している経済体制を無視することはできない。新自由主義の時代には、渋沢栄一のような人物が宣伝媒体として利用される。社会主義の構築をめざす勢力は排除される。そういう力学が常に働いている。同時代の経済体制を維持する方向性で、政治もマスコミも結束しているのだ。

自民党の総裁選は、自民党枠内で欠点を「修正」して、大企業を支援する従来の枠組みはそのまま維持する方向性の人選なのである。が、マスコミは誰が総裁になるかで、あたかも日本が革命的に変わるような錯覚を国民の間に広げている。それにより自民党の支配を維持しようとしているのだ。

◆◆
世論調査というものがある。新聞やテレビによる世論調査の信頼度は高いが、公表されているデータは、第3者による検証を経たものではない。この点に言及すると、「謀略論」のレッテルを張られかねないが、マスコミが電波利権や軽減税率(対象は新聞)の恩恵を受けることで、日本の権力構造に組み込まれていると考えれば、自民党に有利になるように、ウソの数字を公表する事態は十分に起こりうる。新聞・テレビの世論調査を見れば、自民党以外に投票しても、勝目がないと判断してしまう。

マスコミの情報は、原則として鵜呑みにしない方がいい。

現にメディアの信頼度に関する世論調査では、新聞・テレビは常に新聞を最も信頼できるメディアとする調査結果を公表してきた。新聞購読率の数字も不自然だ。新聞のABC部数に至っては、まっかな嘘である。

おそらく国民の側も新聞・テレビが発表するデータにウソはないと頭から信じ込んでいる。が、今の時代に、裏付けが証明できないデータを堂々と公表すること自体が異常なのだ。

かりに偽りの政党支持率を公表する行為が慣行になってきたとすれば、それだけで日本人は世論誘導されてきた可能性がある。

◆◆
新聞・テレビによる自民党総裁選の報道には、TBSなど「リベラル保守」といわれるメディアも参入してる。「リベラル保守」のメディアは、社会問題も積極的に取り上げるが、彼らの視点は、社会を根本的に変革する方向性のものではない。社会の欠点を「修正」して、現在の体制を維持する方向性に徹している。現状を維持することが原則なのだ。
皇室報道に至っては、ジャーナリズムの基本原則すら守っていない。

権力構造の中でのこの「役割」を放棄すると、メディア企業そのものが存続できない。権力構造からはじき出される。

このところマスコミが注目している「修正マルクス主義」なるものも、実はマルクス主義ではない。単に社会の欠点を「修正」して、現在の体制を維持すること促進する一種のトリックである。それゆえに財界人からも支持されている。

この世界には、巧みなトリックが溢れている。その代表格がマスコミによる世論誘導である。が、逆説的に言えば、自民党総裁選の報道は、世論誘導の具体的な形を把握する格好の機会でもある。
~~引用ここまで~~


マスコミは体制の狗なのだ。読売新聞、日経新聞、産経新聞の御用系三紙は言うに及ばず、朝日新聞、毎日新聞、東京・中日新聞の左翼系三紙も体制の中で動いているに過ぎない。

御用系三紙は自民党支持であり、左翼系三紙は野党支持だが、資本主義、自由主義、民主主義の現体制を転覆しようとは考えていない。朝日新聞も根底では親米だ。自民党には逆らっても財務省、警察、検察、米国には逆らわない。

左翼紙は大企業、富裕層から中間層・貧困層への分配を増やせとは主張しているが、革命や体制転覆を望んではいない。米国民主党のようなものと説明すれば分かりやすいだろうか。

学生運動では東大生の樺美智子が死亡したのち、在京6紙は合同社説として「議会制民主主義に戻れ」と書き学生運動を潰した。学生運動により体制転覆、一種の革命が起こるかもしれなかったが、新聞はマスコミは合同でそれを潰したのだ。

革新勢力は新聞の合同社説でこれで運動は潰されたと慨嘆したそうだ。

それを悪いとは言わない。現在の体制が続いたから日本は繁栄を謳歌できたのだ。現在は「失われた24年」だが。「革命」により体制が転覆されていればどうなったかわからない。

だがマスコミは権力構造の一端を担っており、体制の狗であることは認識しておいた方が良い。私も朝日新聞は大嫌いだが、朝日新聞も結局は体制の狗に過ぎないのだ。

自民党及び政府から新聞社が優良国有地を格安で売却されたのはその「ご褒美」だったのではないかと私は疑っている。

メディア黒書の筆者黒藪哲哉は社会主義・共産主義を望んでいるようだが、私は明確に反対だ。体制に問題があろうとも「革命」のような方法で解決を図るべきではない。犠牲が大きすぎる。

社会を進歩させるのは漸進主義で行くべきだ。一知半解であるが、フランス革命を批判した保守主義の大家エドマンド・バークのように。

人間の理性など信用できるものではない。日々折り重ねられてきた伝統、慣習を疎かに政治はできない。「伝統」の美名の下思考停止に陥るのは無論良くないが。

マスコミとくにテレビが自民党総裁選を連日長々と報道していることは国民に影響を与えずにはいられない。「メディアジャック」だ。テレビだけではなく、新聞、雑誌、ネットマスコミも自民党総裁選に掛かりきりだ。

ツイッターをやっているとそれが自民党への支持を増やす行為だから止めるよう要求している人達もいる。だが恐らくは少数だろう。

いやあるいは少なくない国民が薄々気づいているかもしれない。マスコミが連日連夜自民党総裁選を報道するのは世論操作であると。しかしある程度気づいていても「繰り返し」報道されると操作されてしまうのだ。

また既存マスコミによる国民への操作力が落ちてきているから、ネットを使って国民を操作しようとしているようだ。検索エンジン最大手のグーグルのアルゴリズムを弄ればネット言論を操作できる。私のブログもグーグルでは検索上位に表示されない気がする。それ以前につまらないかもしれないが。

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最後にジョン・スウィトンの言葉を引用して終わる。

~~引用ここから~~
ジョン・スウィントンの名言~

「世界史上、今日のアメリカに報道の自由などというものはありません。
それはあなたがたもわたしも知っていることです。
あえて率直な意見を書こうとする記者は1人もいないし、たとえ書いたとしても絶対に印刷されることがないことは初めからわかっています。
わたしが勤め先の新聞社から給料をもらえるのは、正直な意見を書かないからこそであります。
ここにいるみなさんも、同じことをして同じように給料をもらっているのです。
よしんばわたしの率直な意見が新聞に掲載を許されることがあったとしても、わたしはその日のうちに職を失うでしょう。
記者の仕事とは、真実を壊し、公然と嘘をつき、真実を歪曲し、人を中傷し、富の邪神にへつらい、国と同胞を売って、日々の糧を得るものであります。
あなたがたもわたしも、それを承知している。
とすれば、報道の自由に乾杯するとは、なんとばかげたことでありましょうか?
われわれは、舞台の陰にひそむ金持ち連中の道具であり召使いなのです。
われわれは操り人形であり、彼らが糸を引けば、それに合わせて踊るだけです。
才能も可能性も人生も、すべては他人の手の内にあります。
われわれは、知性をひさぐ娼婦なのです。」
~~引用ここまで~~



(追記)
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