面白く、そして下らない

私は批判をして何かを為した気になっている大衆の一人に過ぎないが、何か少しでも波紋を起こす小石になれればと書いている。

初等教育も良いが高等教育にもっと予算を

2020-12-10 23:45:13 | 政治
日本で「教育」というと初等教育が語られることが多い。せいぜい中等教育について語られるくらいで高等教育に言及されることは少ない。大学、大学院の教育内容に口出ししにくいのはあるのかもしれない。

小学校の少人数学級の実現も良いが、それより大学の授業料の高さの問題を何とかする方が先ではないか。国債を発行すれば良いだけなのであれよりこれをやるべきというよりは両方やれば良いのだが。

とかく日本は大学の授業料が高い。「奨学金」も世界的には「学生ローン」という代物で返済の必要がある。大学の授業料の高さが少子化の一因になっているのに大学に國からの補助金を増やして授業料を下げようという話にはならないのだ。

大学に通う人はその学年の50%を越えるくらいなので大学に補助金を増やして授業料を下げることは「不公平」だという批判があるからだ。しかし自民党の大企業、富裕層、外国人優遇に比べればどうということはない話だ。大学、大学院を出た人達が社会の中核となって日本を引っ張って行くのだから彼らに予算を費やしても「不公平」ではない。

日本というより東アジアの伝統かもしれないが、昔から子女の教育には力を入れてきた。とくに日本は資源がない國だから人材こそ國の宝であり、欧米の植民地にならないためには教育に力を入れる必要があった。

國はそれに甘えている。家庭が教育に力を入れているから國が予算を教育に割かないのだ。GDPにおける公教育の予算比率はOECD加盟国最低の3.1%程度でしかない。

江戸時代の教育は寺子屋と呼ばれるものが中心で当時世界最高の識字率を誇ったといわれる。その高い下地を背景に明治政府は大学を整備し、高等教育の充実も図っていく。

ただとにかく欧米の植民地にならないため、欧米に追い付き追い越せが国家目標になったために「富国強兵」のための教育にならざるを得なかった。欧米の高等教育を真似たために管理教育になってしまい厳しい、体罰も辞さない教育になってしまった。

また軍隊の教育を義務教育でその下地を教育するための教育になった。また高度経済成長で画一的な仕事をする人材が求められたから画一的な教育になってしまった。少しは改めれば良いのだが、長年無批判に繰り返していると「伝統」ということになってしまい誰も改めなくなる。

また財界が大学に人材育成を求めるなどの話を聞くが、大学は就職予備校ではない。企業の新人教育を大学に求めるのは間違っている。大学、大学院で学ぶのはやはり「教養」と「専門教育」だろう。不景気になるととかく財界が口出ししてくるが「経済」と「教育」は別の話だ。

まずは大学に補助金を増やして授業料を下げて欲しい。それは少子化対策にもなる。

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