★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイの「久しぶりの出勤したが?」

2022-04-01 11:22:29 | ベトナム・ハノイ

 4月1日、以前から依頼のあった「鉄骨系の会社のエンジニアリング部門」に弊社内の1室を本日から貸与する。

そのために、在宅勤務なのだが本日は出社した。

この会社、未だ技術者も集まらず、業務の方向性も決まっていないようだが?

 該社の親会社は「ハイフォン」と言うベトナム最大の貿易港のある地域に「大規模な鉄骨工場」を稼働させている

メーカであり、その社長から「何とか面倒を見てほしい」と言う依頼だった。

弊社としても「この会社の取っ付きとして、コストをかけないでハノイに事務所を持ちたい」と言う該社と

とりあえず「空いている部屋」のコスト削減の意向で一致し、このようになった。

それを任された日本人は、この会社とは直接の関係は無いらしいが、そこの社長がこの人物をなんとか

してあげたいという一念で、今回、「業務を委託したようだ」

 昨日、彼から「明日からよろしくお願いします」と連絡があり、安心していたのだが。

本日、このために準備して出社したが、8;30になっても姿を現さない。電話しても出ないし、連絡も無い。

先行き不安な「会社」である。

 この日本人は私と同時期にハノイに来たらしい。日本で離婚し年の離れた「ベトナム人女性」と結婚し

現在は「6歳の娘さんもいるらしいのだが」? 定職を持たず、この鉄骨会社の社長から「アドバイスと支援を受けて

会社を作ったらしい?」そして、いよいよ業務スタートのはずだったのだが?

 ハノイに来る日本人には「この手のタイプも多い」

日本でいろんなことがあり、起死回生を願いベトナムに来るのだが?

 そんな人から人伝えに、会いたいと言ってお会いすると、盛んに「ベトナムとの強力なリレーションをアピールしてくる」

(政府の役人と知り合いだ、もう国家プロジェクトに参加しろと言われている、等々)羽振りのよい食事や

お酒の飲み方なのだ。

しかし3か月もすると「知らない間に居なくなっていたりする」。農業支援できたのに「気づいてみると、資格がないにもかかわらず

「送り出し機関でベトナム語のできない日本人講師など」をしているケースも多い。

(本来事業には失敗したが、ベトナム人のパートナーができて、帰るに帰れなくなった人に、このパターンは多い)

そしてどうにもなら無くなり、日本に帰る段になって、決まって「言い出すのは」

「ベトナムの悪口である」(信頼できない、能力が無い、性格が悪い、等々)である。自分はもう聞くに堪えないので

この種の人たちとは「距離を置いている」(もちろん頑張っている日本人もいるが)

以前も話したが、ベトナムに来る日本人(日本の会社)で5年後に残る確率は5%以下なのだ。

その厳しさを「よく理解して、頑張ってもらいたい」ものだ。

 この方は、お子さんもいるし、ベトナム人の奥様もいる。何とか安定した生活を送れるように

頑張ってほしいものだ。

 

 

 

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ベトナムハノイで「思い出の味」

2022-04-01 00:14:24 | ベトナム・ハノイ

 今日の夕飯、サラダとほうれん草の胡麻和えで久しぶりに「ビールを飲んだ」

それだけで満たされず、〆に何か食べたかった。

冷凍庫を見ると「イオンで買った日本そばの冷凍」と「ハノイの日本スーパーで買った冷凍カレーコロッケ」

が目についた。「そばとカレーコロッケ」

・・・・・

 あれは高校2年の夏休み、(40年以上前の話だ)群馬の田舎から「東京の予備校に友人2名と夏期講習に来ていた」

予備校は代々木、友達の親戚が登戸近くに住んでいた。夏休みでちょうど留守の間、そこから通った。

朝食と昼食を兼ねて「小田急線の登戸駅で【箱根そば】と言う店で良く食事した」

そこで「コロッケそば」と言う群馬ではお目にかかることの無い「メニューを発見」し、虜になった。

 食欲旺盛な「高校生」あのころの「箱根そば」の「コロッケそばは、豪華に2個のカレーコロッケが乗っていた」

そしてハノイ在住になってから1度だけ、日本に出張時なつかしさで「同じ小田急線沿線の駅でコロッケそばを注文したが・・・」

コロッケが1個になっていてがっかりした思い出がある。」

・・・・・

 そして時は流れ、本日、「コロナ禍」のハノイで、家飲みの後の〆として、「同じコロッケそば」を

食し、「あの頃を思い出した」

 たまたま冷凍庫に「日本そばとカレーコロッケがあったおかげで」・・・

「箱根そばの少し濃いめの真っ黒い汁とは異なるが・・・」

それでも「あの日のコロッケそばを思い出すには十分だった」

 味覚とは「長い時を超えて、記憶に残るものだと、改めて気づいた」

うまい「あの時のカレーコロッケが2個乗った箱根そばの【コロッケそば】が食べたい」ものだ。

食べかけの写真で申し訳ない。ベトナムハノイで「たまたまあった食材で作った思い出の味」

【コロッケそば】 ポイントはコロッケが「カレーコロッケであるところだ」

もう一度食べたいものだ。 「思い出の味を食べながら、ベトナムハノイでそんなことを考えた」

 

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