4月1日、以前から依頼のあった「鉄骨系の会社のエンジニアリング部門」に弊社内の1室を本日から貸与する。
そのために、在宅勤務なのだが本日は出社した。
この会社、未だ技術者も集まらず、業務の方向性も決まっていないようだが?
該社の親会社は「ハイフォン」と言うベトナム最大の貿易港のある地域に「大規模な鉄骨工場」を稼働させている
メーカであり、その社長から「何とか面倒を見てほしい」と言う依頼だった。
弊社としても「この会社の取っ付きとして、コストをかけないでハノイに事務所を持ちたい」と言う該社と
とりあえず「空いている部屋」のコスト削減の意向で一致し、このようになった。
それを任された日本人は、この会社とは直接の関係は無いらしいが、そこの社長がこの人物をなんとか
してあげたいという一念で、今回、「業務を委託したようだ」
昨日、彼から「明日からよろしくお願いします」と連絡があり、安心していたのだが。
本日、このために準備して出社したが、8;30になっても姿を現さない。電話しても出ないし、連絡も無い。
先行き不安な「会社」である。
この日本人は私と同時期にハノイに来たらしい。日本で離婚し年の離れた「ベトナム人女性」と結婚し
現在は「6歳の娘さんもいるらしいのだが」? 定職を持たず、この鉄骨会社の社長から「アドバイスと支援を受けて
会社を作ったらしい?」そして、いよいよ業務スタートのはずだったのだが?
ハノイに来る日本人には「この手のタイプも多い」
日本でいろんなことがあり、起死回生を願いベトナムに来るのだが?
そんな人から人伝えに、会いたいと言ってお会いすると、盛んに「ベトナムとの強力なリレーションをアピールしてくる」
(政府の役人と知り合いだ、もう国家プロジェクトに参加しろと言われている、等々)羽振りのよい食事や
お酒の飲み方なのだ。
しかし3か月もすると「知らない間に居なくなっていたりする」。農業支援できたのに「気づいてみると、資格がないにもかかわらず
「送り出し機関でベトナム語のできない日本人講師など」をしているケースも多い。
(本来事業には失敗したが、ベトナム人のパートナーができて、帰るに帰れなくなった人に、このパターンは多い)
そしてどうにもなら無くなり、日本に帰る段になって、決まって「言い出すのは」
「ベトナムの悪口である」(信頼できない、能力が無い、性格が悪い、等々)である。自分はもう聞くに堪えないので
この種の人たちとは「距離を置いている」(もちろん頑張っている日本人もいるが)
以前も話したが、ベトナムに来る日本人(日本の会社)で5年後に残る確率は5%以下なのだ。
その厳しさを「よく理解して、頑張ってもらいたい」ものだ。
この方は、お子さんもいるし、ベトナム人の奥様もいる。何とか安定した生活を送れるように
頑張ってほしいものだ。