★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイの「思い出のローカルプール」

2024-11-13 10:01:50 | ベトナム・ハノイ

 現在自分はハノイのアパートで暮らしている。ベトナムハノイでは「一応は外国人が住めるアパート」

は「決まっているとは言われているが?」自分もローカルの$110のアパートに住んだことも有るので、

「要は外国人登録ができるか? あるいはしなくても訪ねてくる公安にわいろを渡して済ませるか?」

のどちらかが成立すれば「居住は可能なのだ」 現在のアパートは下部に「商業施設」「ジム」「シネマ」が入っている。

B1スーパー、7F プール(事務)8F 映画館 住居は11F それなりに重宝している。

(スーパーの品ぞろえ、7Fのプールのクオリティに不満はあるが「まあ仕方ない」)

先週の土曜日「いつもの通り相棒ミッと少し長めの散歩に行った時の事」 この日の散歩の「ルート選定」は

「全てミッに任せた」、歩き始め、「彼は行きたい方向へ来ると立ち止まり、私を見る」 そして「彼が行きたいであろう

方向へ自分が歩くと、すんなりとついてくる」しかし歩き出した方向が「自分の思うルートと異なったときには、座り込み動かない」

解りやすい「性格である」 そんなことで「土曜日の散歩も長距離になった」 しばらく歩いていると「ふと見覚えのある施設の前」

 懐かしくちょっと「立ち止まった」 13年前「ベトナムに会社を作り」業務を始めたころ・・・

ローカルのアパートに住み「社員と同等の生活レベルで耐えていたころ」・・・・それでも「水泳大好きな自分」は

泳げる時期になると「会社の近くのローカルプール」を探して「泳いだものだ」 あの頃は「今と異なり、残業しないと終わらないほど

仕事量があった」 そんなわけで「プール終了1時間前の午後7時に会社からバイクで2分のローカルプールに行き、8時まで泳ぎ」

その後また会社に帰って「業務をする」そんな生活をしていた。 その懐かしいプールが「目の前にあった」もうずいぶん長く

来ていなかった場所だ「相棒ミッと知り合う前のずいぶん前の思い出のプールだった」・・・

 あの頃は「子供たちで昼間は泳ぐどころではなかったほど込み合っていたが?」 今はプールサイドに「ビアホイ」(が併設され

その横には「カフェとレストラン」が出来ていた。それでもどうやら「夏の期間には未だプールも営業しているらしい」

もう何年も来ていなかった場所・・・「立ち止まってしまった自分を不思議そうに見て、早く行こうとリードをミッに引っ張られて」

我に返った。「8年以上前の思い出である」 あの頃は「ジムのプールなどには行ける資力も無く」1回4万ドンのローカルプール

で泳いでいたことを思い出していた。 今は「業界が低迷し、円安もあり」会社の存続を真剣に考えている。

「久しぶりにミッに導かれたローカルプール」を見て「あの頃のことを思い出し、この難しい状況の中」

「もう一度、会社の立て直しをしてみようか?」 そんなことをすこし考えた。

ローカルプールの入り口「この建物はローカルジム」になっており、プールが使えない時期には

よく社員と一緒に「筋トレ」に通ったものだ。この建物の向こうにプールがある。

季節柄「すでにクローズになったプール」手前は子供用、奥が一般プールである。

9月末まで「やっていたようである」 真夏のハノイは10時から15時までは「暑すぎてプールも閉まってしまう」

朝は6時からそして夜は8時まで開いている。 人気のなくなった閉まる1時間前に行き、閉店時間前までに2000mほどを

一気に泳ぐような無茶をしていた。おかげで「プールの監視員や、ローカルの友人もできた」

「たくさん泳ぐ変な日本人のおじさん」と言うことだ。時々「子供を連れてきて、泳ぎを教えてくれ」などと言う

無茶なお願いもあった・・懐かしい思い出である。

 

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