★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイの「親なし子(会社)」のつらさ」

2024-11-29 15:08:28 | ベトナム・ハノイ

 最近「日本の自動車業界の低迷が顕著だ」特に「自分が関連している金型業界」はひどい。

原因は「金型の減少(共通化)、ギガキャストに代表される技術、車種数の減少 などなど」である。

自分が大卒で入った「金型メーカ」はそのころ「世界最大の金型メーカ」と言われ

・米国3大メーカ

・スウェーデン:VOLVO,SAAB ソ連の「トラック」等をはじめ

世界中に工場を持ち、世界中の「メインパーツと言われる自動車でも外板部品を中心に生産していた」

・世界中に「技術者を派遣し、技術供与」をしていた。(自分も会社の命で韓国DAEWOO自動車に2年に渡り

技術供与に関連していた)・・・・(世界の金型3大メーカーはオギハラ、宮津、富士テク と全て日本にあった)

 しかし30年たった今では「オギハラはタイサミットに買収され、国の方策で残った宮津と富士テクは合併され

「富士テク宮津」として残ったが、資本は他者に移った。「そのころ大きなアドバンテージを誇った各種の技術も、今や

タイや中国にさえパクられ、内容によっては淘汰された」(それでも未だ残っている技術もあると思うが?)

 自分の会社は「その金型づくりのための基礎データになるデジタルデータをベトナムで作っている」自動車金型業界の

末端の末端の個人会社である。しかも「親が居ない」(親会社)本当に「個人で立ち上げた会社なのだ」だから

何かあっても「支援したり、助けてくれる親(会社)」はいないのだ。 この不況下「このことの大変さを強く感じる」

創業14年目、全ての試練は「自分たちで乗り越えなければならなかった」 時々「親のある日系ベトナムメーカ」から

「いろんな不況情報を聴くが?」それでもそういうメーカは「最後には親からの支援で存続している」・・・

自分の会社には「そんな仕組みはない」・・・「何かあったときのために、利益があったときにそれなりの内部留保」を

作っておいたが「3年以上も続いたコロナと円安」(特に円安)でそれをすべて使い果たした。

創業した時(2011年)の1$は≒80円だった、それが現在は1$≒150円(150円) 利益が出ないはずである。

ユーザは全て日本企業、そして支払いは円建て・・・

世間でも「親の無い子の苦労は計り知れないが?」 こんなベトナムハノイの「業界の末端の末端にある親(親会社)なし会社」

の境遇は「本当に厳しいのだ」・・・さらなる「業界低迷と円安」でなにも良い事の無かった2024年の年末、

「おそらくこれが最後になるであろう【会社のスリム化】(人員削減策と経費削減 等)】を考えながら、何とか2025年からの

「円高」と「自動車金型業界」を願う年末である。

 今まで人生で何度もこのような「苦難」はあった、その時に「いつも思い出す佐野元春の歌のフレーズがある」

「ダウンタウンボーイ」の一節・・・「すべてをスタートラインに戻してギアを入れなおしている・・・・」

このフレーズを思い出しながら「長い間、再起を期して何度も何度もやってきたのだが・・・」

この歳になり、「すべてをスタートラインに戻すことなどできるのだろうか?」・・・・

「ギアを入れなおしても、はたしてエンジンが吹きあがってくれるのか?・・・」などと考えるようになってしまった。

いやいや、もう自分には「戻る場所も戻る会社も無いのだ」もう一度「ギアを入れ直し」

頑張るしかなさそうだ・・・そんなことを考えた。

 

 

 

 

 

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