★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイの「ミッ」の心配事

2023-07-26 10:23:46 | ベトナム・ハノイ

 ブログに時々出てくる「5歳友人」宅が相棒「ミッ」の元の飼い主である。

「この5歳友人」最近は「芸能?活動が忙しいらしい」

「子供服のモデル」「ファッションショーの出演」そして驚いたのは

「映画出演」(短編映画)、そして先日は「ベトナムのクイニョン」で開かれた

「ミスユニバース、ベトナム選抜大会」へのVIP招待を受け、「有名ファッションデザイナー」

のパートナーとして「15000人の観客の前で堂々メジャーデビュー」したとの事だった。

ふだん「あきら」と言って自分とやり取りしている「お茶目な5歳友人」が実は

「いろんな分野で活躍していた」のだ。

話はそれたが、その5歳友人宅には頻繁にミッと共に「お邪魔している」先日、ミッの母親代わりである

5歳友人の母上が「ミッの【たまたま】以上に大きくない?」「赤くはれてるし」・・・との指摘。

みんなで「まじまじと見てみると」、そんな気もしてきた。帰宅後「ネットで色々調べてみると」

この手の病気は「犬は多いらしい」、重篤な物から軽いものまで「いろいろな病気があるらしい」

元気は良くて、食欲もあるのだが? さすがに心配になり、ネットで調べ「評判の良い動物病院」に

連れて行った。 若い先生だったが「大変感じが良く、よく見て頂いた」結果は「心配いりません」だった。

「触診」したところでは「特別な所見は無い」との事だった。驚いたのは「診察明細」を見ると

診察費が取られてないのだ。後で「口コミを見ると」すごく良い先生で、何かあれば診療費はかかるけど

そうでないと「取らない」と記してあった。今どき珍しい事である。

「なんでもなかったこと」「そして良い動物病院」に巡り合えたことで、良い気分で帰ってこれた。

 

等のミッと言えば、相変わらず「スマイル」だった。

 

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ベトナムハノイの「行方不明旅行」

2023-07-25 16:37:52 | ベトナム・ハノイ

「コロナ禍」「円安」「会社の危機」などなど

とても「行方不明旅行」など行ける状態ではなかった。

(行方不明旅行とは、ベトナムで仕事やいろんなことで疲れた時、

誰にも言わずにフラッと1-3日ベトナムビーチリゾートに行ってくることである。

既に11年で10回ほど行方不明になっている。)

先月、2年7か月ぶりに「ほんの数万円だが」黒字になった。

恐らく今年の年末から「日本のEV化と新車開発が3年ぶりに佳境に入る」

このチャンスを活かし「何とか会社を3年前の状態に戻さなくてはならない」

・リストラ・経費削減・値上等等 やるべきことはやった。後はこの2-3年

自社の実力を信じ「頑張らなくては」

 そんな時「たまたま」ここの予約が格安でとれた。

場所は「カムラン」(一般にはニャチャンと呼ばれる地域だが)ニャチャンの中心街はこのカムラン空港から

20Km以上離れている。しかし空港の近くのカムランと言う地域には「最近は大型のリゾートホテル」

が林立して、今も工事が行われている。そこの1つに今回滞在した。

プライベート付きのビラ。初日は「大雨」少しプールに浸かり、ホテル内で夕食を食べた。

翌日「良く晴れて」プライベートプール、そして大型のプール、そしてプライベートビーチ

のビーチチェアで「寝て、ビールを飲み、また寝る」というルーティンをこなし

昼の飛行機でハノイに戻ってきた。つかの間の「行方不明旅行」だった。

以前と違うのは「相棒ミッ」を残してきたため、「心から楽しめなかった」

手のかかる「子供を残してきた」ような気分だった。帰ると「荷物を置くが早いが」

「ミッ」を迎えに行った。

敷地内のあちこちにこの花が咲いていた。リゾート気分を盛り上げてくれた

人もまばらな「プライベートビーチ」。泳がず、「寝て、ビール飲んで、寝て」を繰り返した。

周辺には「何もない」 そんな環境が「良い」のである。

そして「行方不明旅」もう一つの条件はホテルに「雰囲気の良い浴槽」があることである。

ベトナムで普段はシャワーのみだが、「行方不明旅」では「浴槽にゆっくりつかりながら

ビールを飲むのも至福の時」なのだ、今回も4回風呂に入り「ビールを飲んだ」

 

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ベトナムハノイの「ひょうきんなバーコード犬」

2023-07-25 16:14:59 | ベトナム・ハノイ

 昨日は「久しぶりの行方不明旅」に出て帰ってきた。

「一日、5歳友人宅に預けていた【相棒ミッ】引きとり、部屋に戻った。

犬友のミンと「まるまる1日」騒ぎまくったせいで「ミッ」もお疲れのようだった。

そんな夏の日の夕方、ともに「昼寝してしまったようだ!」西日が入る夕方、すこし暑くて目が覚めると

私の横で「ミッ」も爆睡していたが、私が起きると「目を覚ました」

その顔をみて「笑った」、私が寝ている間、おとなしくしてたのかと思いきや、

どうやら行方不明旅行のお土産である「魚介類の乾物が入っていたスーツケースを狙っていたらしい」

ミッの顔をよく見ると「VNエアライン」のスーツケースに貼られる「認識番号」のシールをおでこの横に

貼り付けていた。あまりにおかしくて「一人で笑っていた」。疲れて昼寝した夏の日の午後

「こんなお茶目な犬と過ごすのも楽しいものである」

ミッの昼寝の定位置「ソファーの背もたれの上」で寝ていたがふと見ると

バーコードを付けて寝ていた。

 

 

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ベトナムハノイの「ミッの散歩とついでのカフェ」

2023-07-19 10:04:15 | ベトナム・ハノイ

 土曜日の午後、「掃除洗濯片付け」を済まし、プールでひと泳ぎした後、疲れた体を休めていた。

ふと見ると「相棒ミッ」は暇そうにしていた。「その表情が愛おしく」思わず「散歩行こうか?」

と言ってしまった。彼はもうこの言葉は「理解している」表情が変わり、騒ぎだした。

仕方なく「泳いで疲れてはいたが」昼食も未だだったし、散歩に行ったついでに「カフェで何か食べよう」

と思い「相棒ミッ」と出かけた。出かけると言っても「住んでるアパートの1F」そこそこ大きな建物なので

この周りを周回するだけでも散歩になる。「はしゃいでいるミッ」をなだめながら、ここを3周ばかりした。

さすがに暑い。ここの1Fにはカフェが1件、ベーカリー兼カフェが1件ある。いつも利用するカフェとは

異なるカフェに入ってみた。きれいなショッピングセンターのオープンスペースのカフェである。

日本ならば「ペットはお断り」と言われそうな場所である。しかしここはベトナム。「ミッを連れて入っても」

セキュリティのおじさんは「ただあやすだけだった」

早速カウンターで「小さなバインミーとカフェアメリカ―ノのHot」を注文した。

オープンスペースなので「モールに来た人や、カフェにいる人たち」がひっきりなしに目の前を通っている。

そんな中でも「相棒ミッ」は平然としている。吠えるでもなく、うなるでもなく「ただマイペースで、興味ある者には

興味を示し」基本「お座りするか、寝っ転がってその様子を見ている」大したものだ。

この落ち着きようは「今まで飼った犬の中でも上位に入る」安心して「外に連れ出せる犬だ」

もちろん「そそうは全く無い」(家のトイレ以外では、元の飼い主の5歳友人宅では、友犬がいるので

そこら中にマーキングするのだが、他ではほとんどそそうはしない)

しばし、久しぶりにカフェで「バインミーを食べながらコーヒーを飲む」と言う優雅な午後を過ごした。

「ミッ」にはバインミーを勧めたが、「相変わらずの拒否」だった。それでもお互い

家ではできない環境で楽しみ、土曜日の午後を過ごした。

一人なら「まずはしない行動だ」相棒ミッが居ることで、自分の生活も「少しづつ変わってきている」

良いと思う。60過ぎの日本のおっさんが、土曜日の午後ハノイのカフェで犬と共にくつろいでいる。

これもまた「一興である」

オープンスペースのカフェで土曜の午後「相棒ミッ」と散歩の後、くつろぐの図

(ミッの顔は平たい)

 

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ベトナムハノイの「日本との決別」

2023-07-18 13:05:47 | ベトナム・ハノイ

 日本のいろんな「制約がベトナム会社の再生」や自分の生活再生を阻んでいる。そして年々日本との関係が

希薄になってきている。

この3年、いろんなことで「日本との,、言わば決別」をしてきた。

*市民税、県民税の免除。(住民票の削除)

自分はすでに11年ベトナム在住である。コロナもあり平均すれば11年間、毎年日本に帰った日数は1か月にも満たない。

つまり、日本行政サービスはほぼ受けていない。従ってこれを市役所に申し出ることで「市民税、県民税の免除が得られる」

(もちろんパスポートで日本在住実績が無いことの証明はしなければならない)

つまり日本在住者ではなくなる。

*健康保険の返却

当然日本の医者にもかかっていないため「健康保険費」も支払い義務がない。しかし日本に帰国した際、健康保険課に行き

戻っている間の健康保険費を払えば「日本での健康保険での診療は可能だ」この点は日本は良いと思う。

そしてベトナムに帰国する際は「転出届を出すことで、日本を離れてからの健康保険料は徴収されない」

*厚生年金(法人会社所有者)の支払い

これはややこしい、日本では法人会社を持つと厚生年金加入の義務がある。しかし中小企業や零細企業などでは

未加入も多い。しかし今回「それを支払うように執拗に連絡が来た」たまたま帰国したときに電話に出たのがまずかったようだ

弊社は「社員は自分1名」日本に在住実体がない。1年のほとんどを海外で暮らしているのに「この厚生年金」は収入があれば

徴収するらしい。そこで「税理士からのアドバイス」で「日本での給与をやめざるをえなかった」そうでないと

会社としての実態や在住もしていないのにそして「社員もいない」のに、果たして返却されるかもしれない

返金に加入しなければならない(年金機構は今年こそ利益が出たが、今まで何度となく巨額損失をして

我々労働者から集めた返金を目減りさせてきた罪は重いと思うのだが?)仕方なく「日本での所得をやめた」

つまり日本での収入が0円になった。これで「支払い義務は無くなった」1円でも収入があると「それなりの金額が取られる」

しかしこれは実に面倒だ。自分はベトナムで出向先の会社から「全額給与をもらう」もちろんベトナムでは多額の所得税

を支払わなくてはならない(貨幣価値が低いベトナムでは月額約15万円以上所得があると35%いう最高の所得税が取られる。)

日本で言えば年収1000万円以上のようなものなのだ。しかし上限は35%なのでそこは同じだ。

しかし自分はカード支払いや家族への仕送りもしなければならない。従ってベトナムの口座から給与をもらったら

そのほとんどを今度は「日本の銀行に送金しなければならないのだ」もちろんそこそこの送金料はかかる。

それでも「厚生年金」を払うよりは幾分ましなのだ。 そしてこのベトナムからの海外送金は

インターネットバンキングなどが使えず、毎月「銀行に行き、自分がサインしないと送金できない」のだ。

ここは何とか委任状を作り、会社経理をそれに代行させることで手間は回避できたが?

自分の生活基盤がベトナム、家族や「カード引き落とし口座が日本」ということになると

はなはだ厄介なのである。

自分はすでにサラリーマンとして30年ほど厚生年金を納めている。果たして海外在住になったとき「その支払った

多額の年金がもらえるかどうかも未確認だ」しかし日本での収入がなくなった今、繰り上げて「この年金をもらおうと

考えている」せめて払ったものは「頂きたい」と思う。

*保険(生命保険など)

これもまた厄介だ、厳密に言うと「すでに日本に住民票が無く11年も海外生活をしていると日本の生命保険会社

では保証がない。」なので今回「30年もかけた生命保険は解約した」その代わりに「ベトナムで海外移住社保険」なるものに

加入しようとしているが、「持病やがん手術の履歴がある自分には、はなはだハードルが高い」

入れなくはないが「補償は低い」。それでも後にかかるお金を考えると「手厚い生命保険は不要だと思う」

葬式費用程度の「掛け捨て保険」に入るのが得策だろうと思う。べトナムにもそんな保険はあるのだ。

もしどうにもならなくなった時は「日本帰り、国民健康保険に帰国当日から加入すれば保健医療は

受けられるのだから。

 もしこちらで何かあれば「社員がそのお金で私を荼毘に付し、骨だけベトナムと日本で撒ける金額」だけあればよい。

と思っている。葬式もお墓も不要だ。

*車

現在は「コロナ前の円安になる前に社用車をリースしていた」それも今は足かせになっている。あと5か月ほど残っている。

これが終わったら、もう日本で車は不要と考える。(必要なら月額1万で乗れる軽自動車でもリースしようと思う)

日本はとにかく維持費が高い。車は買うべきでないし、新車などもってのほかと思う。車に資産価値や付加価値はよほど

希少な車でもない限りないと思う。移動の手段として「家族に迷惑が掛からず利用するには、使う時だけシェアでしたり

レンタカーで充分なのかもしれない」

*家

これも「年を取ると」負担である。幸い「家を建てた時の住宅ローンは完済」した。しかし、その後「息子夫婦と1階2階で

完全分離型の2世帯住宅にリフォームするのに再び多額のリフォームローンを組み、それが今、足かせとなっている。

完済は後10か月。これが住んだら楽になるだろうと思う。後は「メンテナンス費」程度はかかるだろうが?しかしそうしたころには

今度は「エアコン」などの「電化製品が耐久年数を超えてくる」いつまでも「かかるお金はあまり少なくならない」

税金もあり、果たして「家を建てたのが正解なのかどうかは分からない」

 ことわざに「立って半畳、寝て1畳」と言う言葉があった。そこまでではないが、人間年をとったら「それなりに掃除もメンテナンス

も楽なコンパクトな住処が良いのかもしれない。

*財産

幸いかどうか?「コロナ禍」と「円安」でベトナムで10年かかって蓄えた「財産」(会社の内部留保)は

この2年半で全て「使い果たしてしまった」財産を残すことはできなそうだ。それでも私が先に死んだら

この会社は、残った家族に「この家族が居なくなるまでは、最低限の援助をする契約が出来ている」

年金とこの援助で何とか生活はしていけるだろう?

1人いる子供もすでに結婚し、自立し「財産を当てにすることは無い」

★こんな状況を「客観的に見ると」好むと好まらざるとにかかわらず「自分の日本との決別」は確実に進んでいる。

自分は確かに「日本人」だが、すでに日本を離れて10年以上。現状は帰る予定もない。

生活基盤は確実に「ベトナム」なのだ。

色んなことで「日本とベトナムの法律や規制に手を焼きながら」 何とかベトナムで生きている日本人なのだ。

自分のアイデンティは「どこで何なのか?」もわからなくなっている。

日本で日本人としてだけ暮らすのならば「日本は良い国なのかもしれない」しかし同年代のサラリーマンでいた

人を見ると、定年してからの日本では「夢や希望を持っての暮らしは非常に難しい」(お金があれば別だが?、普通の

サラリーマンだった人にとっては不安しかないだろう)・・・

 日本を出て「ベトナムで起業したことに悔いはない」自分らしく生きたと思う。しかしせめて今の会社を

「あと3年で立て直し」ベトナムの田舎で「ゆっくり暮らす」という夢はかなえたい。・・・

そんなことを考えながら「久しぶり台風の近づいたハノイ」で「委任状サインの連絡を待っている」

これからどうなるのだろう? 頼るべきは「日本か?ベトナムか?」いいや、結局は

今まで通り「頼れるのは自分だけなのだろうと思う」

「人生二勝一敗」

 

 

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