きょう8月12日は、私にとって記念の日なのです。もう昔の話になりますが、弟の祥月命日にあたります。以下の文はもう6、7年前に書き、文中のきりんさんに送ったところ、彼女のフェイスブックで紹介されました。きょうお墓参りをしたのを機会に、自分のブログでも掲載したいと思います。まだ戦後の雰囲気が残る時代に、こんなこともあったのだ、ということを残したいと思います。一人の子どもが確かに生きた証しに。
カルピスの味
ある女性のコンサートに出かけました。映像を映しながら自らが作曲した歌を中心に歌うきりんさんのコンサートでした。やさしさをたたえた透明感のある歌声はしみじみと胸を打つものがありました。
その半ばで「七夕さま」の歌のときにスクリーンには子どもの「水道からカルピスが出てきますように」と願い事を書いた短冊が大きく映し出されました。とてもかわいらしい、ときりんさんは受け取っているようでしたが、私はこの写真を見るなり、胸が熱くなり思わず涙をこぼしてしまいました。(たまたま7月7日は「カルピスの日」なのだそうです)
私には弟が一人いました。私が高校1年生のとき弟は小学5年生でした。その夏休み、弟を突然の病で亡くしました。高熱にうなされていたある日、弟は「カルピスが飲みたい」と言ったのです。親からお金をもらい買いに行きましたが、お金が少し足りずに、結局サイダーを買って帰りました。「カルピスが飲みたかったのに」と言った弟はやがて亡くなりました。昭和34年、世の中全体がまだ貧しい時代ではありました。
なぜカルピスを飲ませてやれなかったのか、なぜ直ぐに買い直しに行かなかったのか。他人からみれば何の変哲もない話なのに、私には後悔の念となって未だに強く残っています。
弟が死んで以来、私はカルピスを一度も飲んだことはありません。あの甘酸っぱいさわやかな味は忘れていないのに。
きりんさんのコンサートに出てきた短冊を書いた子どもは、どんな思いで笹の枝先につるしたのでしょう。そんなことを思いながら、また泣けて仕方ありませんでした。
7年ほど前、弟の50年忌をお寺で家族だけで営みました。もうこれで弟がこの世に生きたことすら忘れ去られてしまうのか、とやりきれない気持ちになりました。
私は、カルピスを飲ますことが出来なかった悔しい思いは死ぬまで持ち続けるでしょう。そして、私が生涯を終えるとき、カルピスを所望して飲み、おいしかったよ、と弟に報告することができたら‥そんなことを思っています。もし許されるならば、私の一番好きなモーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」を聴きながら。
☆宮崎市を拠点に音楽でのボランティア活動を積極的に行っているきりんさん。2015年7月9日、宮崎市民プラザ・オルブライトホールで第1回「論語を学ぶ会」の第一部としてコンサートが開かれました。
涙なしでは読めませんでした...
お変わりありませんでしょうか。
毎年このカルピスのお話を思い出します。
大切にしたいと思っています。
どうぞご自愛くださいませ。
再会の時を楽しみにしておりますので!
きりん