https://www.youtube.com/watch?v=OKHZpLffhZQ
本当に分からなくなって下さい、と禅師が示す。
普通に分からないと言う処は、認識上の我の懐。
分かる分からないは、既に分別の付いた処の事。
青苔未だ生ぜず春雨未だ来らざる以前の仏法は?
芭蕉は、「蛙飛びこむ水の音」と仏頂に返した。
潙山が、父母が未だ生まれる以前の一句を問う。
香厳は、「小石撃ちたる竹の音」で後に開悟す。
法は既知の懐に留まらず、応無処住、一期一会。
文字の意味を認識する処は、記憶の狭間の既知。
認識は、過去と比較した我の分別に他ならない。
未知の言語で語られる説法は、認識ができない。
只今の一切の主客未分の処は、認識未だ至らず。
未だ認識到らぬ処は、分かる分からぬ以前の事。
本当に分からない処は、分別以前の只今の面目。
知にも不知にも属さぬゆえ、知識の有無と無縁。
今日の縁: 「一撃に所知を亡ず」