https://twitter.com/tadanoriyokoo/status/1655511071342616577?cxt=HHwWgoDTkYqjx_ktAAAA
義:
「今」以外にないですからね、いつでも。
横:
ええ。
義:
ですから、その今の時間を他へ求めるということ、それだけ無駄ですわね。
横:
ええ。
義:
そういう風な状態なんじゃからですね、ですから、それを、そのまんまにこう自分で信じられりゃいいんですけど、それを考えるから、あとから人間が。
横:
その、あとからっていうのは、まあ、いろんな、あの…。
義:
それは物心ついたということ以後のですね、事実を思想にみな移すからです。それで誤りが起きてきた。
横:
そうしますと、その思想の中には悟りに到達する、そういう要素が…。
義:
あるんです。
横:
あるわけですか。
義:
うん。思想だってそうでしょ。考えだって、考え自体というものはですね、人間の考えるという、自分の今の、思想で生まれたんじゃないんでしょう。
横:
ええ。
義:
考えというそれ自体がね。そうですから、そこにもう要素がきちんとあるんです。
横:
そうすると、物心がつく以前の状態に還ればいいってわけですね。
義:
そうそうそうそう、そうです。
横:
その、以前の状態っていうのは、記憶してないわけですね。
義:
ええ、むろん記憶しとらんです。記憶しとらんけど、みなこうやって生きてるんでしょ。
横:
ええ…。
義:
たとえばですね、(膝をポンと叩いて)この音でもでしょ、ここで今(ポン)始まったんです。前に用意しておらんですね。それから、叩けばそれっきりで(ポン)、後がないでしょ。後も先もないです。
横:
ええ。
義:
いつでもそういうふうに、「今」(拳をぐっと出す)、そっから始まってる。で、それでこう終わりなんです、全て。そういう大きな事実がこれ(自分自身を指して)を最初にこう生み出したんでしょ。
それを皆さん、仏教の中で因縁生とかいうような言葉があるでしょ。 因縁生というのは、向こうにも持ち物がない、こっちにも持ち物がない、で、自我としての持ち物のないもの同士が、ただ触れて活動が始まるわけでしょ。
横:
つまりもう、全部そう触れながら必然的に起こってるわけですか。
義:
そう、必然性なんです。
それから、悟りということは、一口に言いますとですね、全てのものの発生する、根源としての理体そのものがこれ(自身を指して)ですからね。
横:
なんですか、「りたい」ですか?
義:
そう、理体。
横:
理体ってのは?
義:
理として、道(どう、みち)として存在してるね、それ自体に本当にこう徹する、その徹したことを自覚するということが大切なんです。ですから、今、私もこうやって、おるんでしょ。それで、これも、もう徹底しとる事実に違いないです。他にあるんじゃないんです。
じゃけども、それに対して、こう疑問が起きるんでしょ。
横:
ここに花がありますね。これ自体は…悟ってるわけですか?
義:
うん、そうです。これ自体(花)とこれ自体(自分)とは、あなたが考えんでもどうせんでも必然に、ただ、あるんでしょ。
横:
あるわけですね。
義:
すでにあるんでしょ。あるものをなぜ考えてそういうふうに苦労せにゃならんですか。
横:
それは、どうして苦労しなけりゃならないんですか?
義:
いや、それですわ。そこにあの、人間のこの、生活というものが、物心ついたという時点からですね、人類というものはそう動いとるんでしょ。それ以前は知らんのですわ。
それから、釈尊の自覚というのは、それ以前を、釈尊自体が本当に自覚をせられて、それでそれを教えられて、私どもでもそれをやって、本当にそういう実証があるんですわ。
それによって、今のようなことが、こう、判然としてるんです。
横:
じゃ人間はどうして、その、生まれたままですね、死ぬまでそういう悟った状態で、来れないんでしょうかね?
義:
いや、はじめ誰でも来れてるんです。
横:
たとえばこういう文明あるいは文化、そういったものが、もし関わらなけりゃですね、非常にこういう原始的なね、もう状態だったとすればですね、悟ったまま一生を過ごすことは可能ですか?
義:
可能です。
横:
はあ。
義:
(腕を動かしながら)こういう、動くんだってごらんなさい、あなたが、悟るとか悟らんとかっていうことよりもですね、その以前に人間がこう問題にする前に、これ事実こう動いとるんでしょ、全て。
横:
うん。
義:
その動きはあなたの考え方じゃないじゃん。知らずにできた、本性としてのそれは動きなんでしょ。
横:
その「考え方」に「心」が動かされますね。
義:
うん、心というものは動くようにできてるんです。
横:
できているわけですか。
義:
そうです。あなたが考えたから心が生まれたんじゃないです。
横:
…。
義:
そんならいいじゃん。(笑)
横:
いや…よくないんですね。(笑)
義:
いや、それですわ、そういうところですわ。それがよくないということに問題があるんでしょ。(笑)
(中略)
横:
そうしますと、あの、井上老師は、そういう、苦悩は無いですか?
義:
無いです。
横:
そうしますとね、例えば…死の恐怖ってのは?
義:
死なんかね、そんなものは小便するのと同じことですわ。(笑)
横:
小便と同じですか。(笑)
義:
ただ、そうだったんです。
横:
以前はそうじゃなかったでしょ?
義:
うん、そりゃそうですよ。
横:
いろんな不安とか。
義:
そうそう、むろんそういうことがあったんですがね。だけどね、知ってみたら、なに、そういうものは鼻かんだと同じように、別にどうっちゅうことはないですわね。
横:
僕は今ずっと、このところ、不眠症でずっと悩まされてるわけです。ところが井上老師に言わせれば、そういうものは無いわけですね。
義:
ええ、無いです。
横:
しかし不眠という状態はありますね。
義:
そうそう、状態はあるでしょう。その状態なんかでも、自分で考えをもってそれをこう、つかまってるから、それでよけい不眠症になるわけでしょう。
問題は、つかまってるから。それでそれを詮索ばっかりするから。
(後略)