ジャコウアゲハはなかなか見つからなかったが、草のなかにはヒメジュウジナガカメムシが群生していた。
生き物それぞれの形態は、それぞれ理由があってそうなっているのだから、カバに向かって「あんた、その下膨れの顔、なんとかなんないの?」などとヒトが考えるのは失礼である。
しかし、なかにはその姿形がヒトの想像力をひどく刺激するものがあることも確か。
初めてジャコウアゲハの蛹(お菊虫)の写真を見たのは、昆虫写真家 新開孝さんの『珍虫の愛虫記』(1999年 北宋社刊)でだった。
まだ虫に興味をもちはじめたばかりの頃で、新宿紀伊国屋書店の生物の棚で、汗をかきながら(なぜか新宿紀伊国屋書店の生物の棚というと暑くて気がつくと汗びっしょりだった記憶が)の虫の本を探すのが楽しみだった。
そんなとき『珍虫の愛虫記』12ページの「お菊虫と山女郎」を見て、目が点になった。
冬枯れの野原のなかの蛹の写真は、衝撃的だった。
うそっ、こんな生き物がいるの!?
ど、どうしてこんな形してるのよ!?
『お菊虫を初めて見たのは、私が高校生のときの冬であった。川の土手にあったポンプ小屋の板壁に、点々と並んだ様は異様であると同時に感激的であった。私はお菊虫を一つだけそっと取り外して、持ち帰った。そうして昆虫図鑑を貪るように読み、お菊虫の一生を我が目で見たい気持ちではち切れそうな毎日を送った』(『珍虫の愛虫記』より)
新開さんは、初めて見たジャコウアゲハの蛹(お菊虫)を見つけたときのことを上のように書いている。
以来、お菊虫を見てみたいと思いつつ、時は流れ、3年前の夏、井の頭公園そばの川の欄干にお菊虫がいる、という情報に、即見に行った、のだが・・・。
この欄干にたどり着く前の道で、私は少し持ち上がっていたマンホールの蓋につまずいて、それまでにないほどひどい捻挫をしてしまった。
怪我というのをあまりしたことがないので、自分の足の状態がどのくらい深刻なのかもわからず、「だいじょうぶだよね、これくらい、明日は高尾に行く予定だし・・・」と思いながら這うようにしてお菊虫探索をつづけた。
そして、やっとのこと川にたどりつき、あこがれのお菊虫を見つけたときには、かがんで写真を撮るのも困難なほど、右足が膨れ上がっていた。
「ついに念願のお菊虫をこの目で見たのだ!」という喜びとともに帰宅するも、それから2週間は家から出られないほどの捻挫で、完治までには何ヶ月もかかった。
そして、先週、「ナナフシガール まゆ子ちゃん」のお母さん(受験生であまり虫探しに行けないまゆ子ちゃんに代わって精力的に虫探しをしている)から「多摩川のある地点で、ジャコウアゲハが飛んでいるのをよく見る」ときき、宇佐美朋子さんも誘って「行ってみよう!」ということになった。
ところが当日、まゆ子ちゃんのお母さんは風邪で来られないことに。
宇佐美さんとふたりで川辺を歩いてみたけれど、ほとんど草刈がされていて、ウマノスズクサって、あるかなあ、という状態。
やっぱりまゆ子ちゃんのお母さんと出なおさないと、ダメか、と思ったとき、
「あ、ジャコウアゲハ!」と宇佐美さんが成虫を見つけた。
やっぱり、いるんだね!このあたりだよね、と一瞬テンションがあがったものの、幼虫や蛹は見つからない。
ジャコウアゲハは年2化で、次の初夏に羽化するものは、今、幼虫か蛹のはずだ。
「けっこう人工物で蛹化するらしいから、最後にあそこの神社の壁でも見て帰ろうか」と、半分あきらめつつ、ふたりで行ってみたら・・・・・・小さな神社の石の柵の下側に、蛹が5頭、蛹化寸前のものが2頭!
今にも蛹化しそう。
それにしても、ジャコウアゲハの蛹って、どうしてここまで奇怪な姿形をしているの?
人によって感じ方は違うと思うけれど、私には蠱惑的で、エロチック-情念のかたまりみたいに感じられる。
瑞々しい乳房のように見える2つの突起。
象牙か骨の彫り物のような質感の、着物の襞のように見える側面。
頭部を後ろに固定している帯紐はまるで細い髪の毛のように黒い。
見る角度によっても違う印象で、正面から見ると、腰に手をあてて唇をとんがらかしている、気が強いけどどこか抜けているおばさんのように見えなくもない。
宇佐美さんは、「観音様みたい、クリオネにも似てるかなあ」と。
『珍虫の愛虫記』によると、麝香の匂いがするオスは、「山女郎」と呼ばれることもあるとか。やっぱりジャコウアゲハは、ヒトの気持ちをザワザワさせるような特別な連想をかきたてるチョウのようなのだ。
生き物それぞれの形態は、それぞれ理由があってそうなっているのだから、カバに向かって「あんた、その下膨れの顔、なんとかなんないの?」などとヒトが考えるのは失礼である。
しかし、なかにはその姿形がヒトの想像力をひどく刺激するものがあることも確か。
初めてジャコウアゲハの蛹(お菊虫)の写真を見たのは、昆虫写真家 新開孝さんの『珍虫の愛虫記』(1999年 北宋社刊)でだった。
まだ虫に興味をもちはじめたばかりの頃で、新宿紀伊国屋書店の生物の棚で、汗をかきながら(なぜか新宿紀伊国屋書店の生物の棚というと暑くて気がつくと汗びっしょりだった記憶が)の虫の本を探すのが楽しみだった。
そんなとき『珍虫の愛虫記』12ページの「お菊虫と山女郎」を見て、目が点になった。
冬枯れの野原のなかの蛹の写真は、衝撃的だった。
うそっ、こんな生き物がいるの!?
ど、どうしてこんな形してるのよ!?
『お菊虫を初めて見たのは、私が高校生のときの冬であった。川の土手にあったポンプ小屋の板壁に、点々と並んだ様は異様であると同時に感激的であった。私はお菊虫を一つだけそっと取り外して、持ち帰った。そうして昆虫図鑑を貪るように読み、お菊虫の一生を我が目で見たい気持ちではち切れそうな毎日を送った』(『珍虫の愛虫記』より)
新開さんは、初めて見たジャコウアゲハの蛹(お菊虫)を見つけたときのことを上のように書いている。
以来、お菊虫を見てみたいと思いつつ、時は流れ、3年前の夏、井の頭公園そばの川の欄干にお菊虫がいる、という情報に、即見に行った、のだが・・・。
この欄干にたどり着く前の道で、私は少し持ち上がっていたマンホールの蓋につまずいて、それまでにないほどひどい捻挫をしてしまった。
怪我というのをあまりしたことがないので、自分の足の状態がどのくらい深刻なのかもわからず、「だいじょうぶだよね、これくらい、明日は高尾に行く予定だし・・・」と思いながら這うようにしてお菊虫探索をつづけた。
そして、やっとのこと川にたどりつき、あこがれのお菊虫を見つけたときには、かがんで写真を撮るのも困難なほど、右足が膨れ上がっていた。
「ついに念願のお菊虫をこの目で見たのだ!」という喜びとともに帰宅するも、それから2週間は家から出られないほどの捻挫で、完治までには何ヶ月もかかった。
そして、先週、「ナナフシガール まゆ子ちゃん」のお母さん(受験生であまり虫探しに行けないまゆ子ちゃんに代わって精力的に虫探しをしている)から「多摩川のある地点で、ジャコウアゲハが飛んでいるのをよく見る」ときき、宇佐美朋子さんも誘って「行ってみよう!」ということになった。
ところが当日、まゆ子ちゃんのお母さんは風邪で来られないことに。
宇佐美さんとふたりで川辺を歩いてみたけれど、ほとんど草刈がされていて、ウマノスズクサって、あるかなあ、という状態。
やっぱりまゆ子ちゃんのお母さんと出なおさないと、ダメか、と思ったとき、
「あ、ジャコウアゲハ!」と宇佐美さんが成虫を見つけた。
やっぱり、いるんだね!このあたりだよね、と一瞬テンションがあがったものの、幼虫や蛹は見つからない。
ジャコウアゲハは年2化で、次の初夏に羽化するものは、今、幼虫か蛹のはずだ。
「けっこう人工物で蛹化するらしいから、最後にあそこの神社の壁でも見て帰ろうか」と、半分あきらめつつ、ふたりで行ってみたら・・・・・・小さな神社の石の柵の下側に、蛹が5頭、蛹化寸前のものが2頭!
今にも蛹化しそう。
それにしても、ジャコウアゲハの蛹って、どうしてここまで奇怪な姿形をしているの?
人によって感じ方は違うと思うけれど、私には蠱惑的で、エロチック-情念のかたまりみたいに感じられる。
瑞々しい乳房のように見える2つの突起。
象牙か骨の彫り物のような質感の、着物の襞のように見える側面。
頭部を後ろに固定している帯紐はまるで細い髪の毛のように黒い。
見る角度によっても違う印象で、正面から見ると、腰に手をあてて唇をとんがらかしている、気が強いけどどこか抜けているおばさんのように見えなくもない。
宇佐美さんは、「観音様みたい、クリオネにも似てるかなあ」と。
『珍虫の愛虫記』によると、麝香の匂いがするオスは、「山女郎」と呼ばれることもあるとか。やっぱりジャコウアゲハは、ヒトの気持ちをザワザワさせるような特別な連想をかきたてるチョウのようなのだ。