ふたたびと せぬとちかひし あやまちを またくりかへす 馬鹿者の道
*今週も三つほど詠めました。なかなか感性の扉が開かず、なんだかぎくしゃくした歌ですが、それでもまるで詠めなかった頃よりはましでしょうか。
考えなくてもあふれるほど歌が詠めていたころが夢のようだ。あの頃は神の鉱脈をあてたかのように、次々と言葉が浮かんできたものでした。今はそのころの財産を大事にしつつ、かたく縮こまった感性を揉みこんで、わずかな乳をしぼりとるように、詠んでいます。
さて表題の歌ですが、最後の七がなんだか無理やりくっつけたようですが、これ以外の言葉を思いつかず、こうしめました。
よくいますね。口ではもうしないというが、同じ過ちを繰り返す人。他人の顔をかぶって、嘘の人生を生きている人など、よく、もうこんなことは二度としないと言います。自分のやっていることが、あまりにも馬鹿だからです。しかしかといってすぐに嘘の人生を捨てて、本当の自分に戻るかといえば、そうはしない。いつまでも嘘に安住して、同じことを繰り返す。
彼らは嘘の人生が惜しいのです。人から盗んだもので作った自分や、人生が、まことに良いものに見えるからです。でもそれは自分のものではない。嫌なことやずるいことをして作った、偽物の人生なのです。そんなものをいつまでも惜しんでいると、いつかとんでもない不幸が落ちてくるのだが。
馬鹿者はやめられない。やめればすべてを失うと思っている。そんなものは失ったほうがいいのだが、なかなか思い切ることができない。
そのままいけば、馬鹿者の道は、あきれるほどつらい地獄に通じてしまうのだが。それは、愛を馬鹿にしたものが行く、寒い虚無の地平なのだが。
馬鹿者は今の安楽を惜しんで、どうしてもその道に吸い込まれてゆくのです。